第八話 はるかに遠き、あの夏の日
「で、どんな風に口説かれた訳?」
ワイルドミミさん・
「く、口説かれてなんてないっ」
顔を真っ赤にしながら日輪が否定する。
「でもでも、なかなかにいいムードだったし、ひーちゃんだって悪い気はしていないんじゃないかな?」
これまたニヤニヤ顔でお下げユーコ・
「うっ……」
日輪が言葉に詰まる。
実のところ一誠に対しての悪印象というのは払拭されていたし、逆に異層空間でのやり取りで彼の株は本日最高値ストップ高状態である。
「――まぁ、そこら辺はまた追々聞くとして。実際どんな事話したの?」
苦笑しつつ、ノッポのタッつん・
「あ、うん。コンパクトのシールのこと」
これ幸いとその船に乗り込む日輪であったが、
「では、あの愉快なシールからどうしてハグされる状況になったのかを詳しく」
表情を一転させ、先のふたりに劣らぬニヤニヤ顔で覗き込みながら、タッつんが詰め寄ってくる。
おおっとぉ。助け船、実はドロ舟だったかぁっ。
「えっ……それは……、中禅寺さぁん」
詰められつつも視界の隅に写ったクール系、実はドSの恋心満開中のクラス委員・
しかし、視線によるその救助要請を読み取った中禅寺は、
「その辺りは私も興味あるわ。是非聞かせて」
いつもより冴えた眼差しを向けて あっさりと助けを求める手を払いのける。
まさに四面楚歌。
「さあ、さあ、さあさあさあさあ」
声を揃えて日輪に迫る友人たちでありました。……友情ってなんだなんだブギ。
結局、四人がかりで押し切られた日輪は、異層空間でのやり取り以外の一誠との会話を微に入り細に入り話すことになりましたとさ。
聞いてみたら案外大したことのない内容だったので、三人衆からは「なーんだ」という視線を、もうひとりからは「……成程」と興味深そうな一言を受けることに。
後者がその一言にいかなる想いを抱いたのかを、日輪は知る由も無かったりして。
教室に戻った一誠が席に着こうとすると、
「い~っせい。さっきさぁ、内海さんが来てな~」
内海の言葉を伝えようとする。この件で一誠に恩を売り、内海との仲介をさせ、あわよくば……という淫らな魂胆だったが、
「放課後の件か? 聞いた」
席に着いた一誠に容赦なく断ち切られる。
クリティカル! 宮戸のヒットポイントはゼロになった。
「会ったのか、内海女史に?」
淫望を阻止され精神的に塵化していく宮戸を無視して、いつの間にか傍に来ていた
「ああ。屋上で」
細かな経緯はすっ飛ばして結果のみを一誠が返すと、中野はそんな一誠を半眼で見据えて、
「――なぁ一誠、お前わかっているんだよな?」
トーンを落とした声で静かに話しかける。
その声音と言葉に含まれる意味に対して、
「あぁ、わかってる」
次の授業の支度をする手を止めて中野へと向き直り、一誠は真摯な態度で答えた。
ふたりの視線が絡み合い見えない火花を散らす。一触即発的な緊張感をもった睨み合い。
が、見方しだいでは熱を込めて見詰め合ってるようにしか見えない、
そんな風にふたりを認識したクラスメイトの女子Aが、鼻息も荒くノートの端に "安生×中野|(強気受け)" と殴り書きをする。
……ダメだこいつ、腐ってやがる。
「わかってんなら、応えてやったらどうなんだ? ……正直、健気過ぎて見てて辛い」
中野がここには居ない誰かへと向けた、少しばかり哀れみを含んだ眼差しをしてそう言うと、
「向こうがそれを望んでいるのかわからん。……中野、察しているからってこっちの勝手で向こうの気持ちをどうこうって言うのは出過ぎた真似だと俺は思う」
一誠は落ち着いた、というよりどこか冷たく突き放すような口調で答え、
「――それに、俺の方にはそういった気持ちは無い」
と続けた。
中野は、その言葉に一誠から視線を外すように顔を逸らしながら、
「だったら……せめてもう少し距離とるくらいしろよ。お前のハッキリさせてない態度が向こうに期待持たせてるなんてわかってるだろうがっ」
胸のうちから湧いてくる苛立ちを隠せないまま、吐き捨てるように言った。
「俺は友人としての適切な距離をとっているつもりだが?」
「男と女の友情が成立するのは枯れたジジババになってからだっ。十代の男女に本当の友情なんて存在しないっ、そんなもんはまやかしだ!」
一誠のしれっとした言葉を受け、つい声を荒げる中野。
「一誠、お前いい奴だけどな、こと恋愛に関しては最低だと俺は思う。相手をとっかえひっかえやってる
見た目は一昔前のツッパリさんだが温厚なタイプである中野が、親友といって憚りない一誠に対していきなり声を荒げる様は、クラスの皆の注目を集めた。
少なくとも彼らと同じクラスとなって初めて目にする光景だったのだ。
ある者は何事かと興味深げに、しかし冷静な眼差しを向け、またある者は「あっしにゃあ係わり合いのねぇことでござんす」と木枯らしの似合う渡世人風にあえて視線を外し、そしてまたある者は、ノートの片隅に力強く "中野攻守逆転下克上" と書き記し、その横に "あり!" と大きく書いてそれを色ペンで何重にも丸で囲む。
……クラスメイト女子A、だめだコイツ、早くなんかしないと。
「そうだそうだっ。一誠はなんか知らんがもてるクセにどれもこれも邪険にしすぎる。もったいないからひとつくらい俺に譲ったってバチは当たらん、つーか譲れ!」
――囁き、詠唱、祈り、念じろ! 宮戸は元気になりました。――
復活に成功した宮戸が唐突に横から口を挟んでくる。
だが、そんな私情丸出しの宮戸の言葉が、口論以上へと発展しかけていた一誠と中野の緊張を解く。
空気を読まないバカは、状況によって場の緩衝材にもなるという好例である。ハイ、ここテストに出るから覚えとくよーに。
「……すまん。口が過ぎた」
「いや、中野の言ったことはおおむね正しい。悪いのは俺の方だ、気にするな」
高ぶった感情を静め、肩を落としながら言う中野に、何事もなかったように返す一誠。そこへ、
「自覚してんのならならどうにかしろよっ。そんで俺に一人回せ」
宮戸が割り込んでくるが、
「お前は」
「宮戸は」
中野と一誠の声が重なり、
「黙れ!」
と、一喝。
「あぅんっ」
あっさり排除され、情けない声を発しその場にへこむ宮戸。
そんな宮戸の首根っこをひっつかんで自分の席へと戻りかけた中野が、思い返したように一誠へと視線を向け、
「けどな、お前がどう思っているのかは早く伝えた方がいいと思う。……その方が向こうの受ける傷も小さくて済むからな」
言うとすぐに背を向けその場を離れた。無論宮戸を引き摺ったまま。――こんな扱い方していますが彼らはとてもよい友人同士です。嘘じゃないよ?
離れていく中野の背を見送る一誠に言葉はなかった。
そんなふたりの醸し出す雰囲気に、"中野哀愁受け!" とノートに力強く書き、鼻息も荒く、その下に蛍光ペンで強調線を入れるクラスメイト女子A。
ホント、コイツ何とかして下さい。
特筆すべき事もなく午後の授業が行われ、各種連絡等で少し長引いたホームルームも終わり、二年三組の生徒たちも席を立ち、帰路につく者、部活へと赴く者と、それぞれのルートへと分かれていく。
中野と宮戸に軽くまた明日の挨拶をして一誠は教室を後にする。ハッキリ言ってその歩みは鈍く、面倒くさそうなのが見て取れた。
階段を下り二階に。そこから渡り廊下で目的の場所保健室の在る第二校舎へ。
渡り廊下の中ほどで、進行方向の第二校舎側から第一校舎へ戻ってこようとしていた女子生徒が一誠に気づき、呼び止めた。
「イッく~ん」
軽やかに弾む声で親しげに一誠の愛称を呼ぶその女生徒の首元で揺れるのは藍色のリボンタイ。三年生だ。
鮮やかな栗色の内巻きセミロングボブの髪を綺麗な深緑色のカチューシャで押さえている。高すぎず低すぎずの身長に制服の上からも見て取れるメリハリの利いたプロポーション。
街中を歩いていれば、すれ違ったあと誰もが振り返るであろう美貌の持ち主。
そんな上級生の別嬪さんに声をかけられた一誠。一瞬眉をひそめたがすぐにいつもの読み取り難い表情に戻り、
「これは
どこか余所余所しい態度で返事をする。
立ち止まった一誠の前まで来たその上級生は、向けられたら誰もが同じ様な笑顔を返さずにはいられないだろうスマイルで一誠を下から覗き込み、
「ん~、今なんて?」
鈴を転がすような可愛らしい声で、自分をどう呼んだのかと暗に問い詰めてくる。
「え~、四条河原先……」
「ん~?」
先と同じ様な呼称をしようとする一誠を、愛らしくも凄みを内包したスマイルで制する四条河原先輩。
凄まじいまでの圧迫感をもった笑顔である。
傍目には、眩い笑顔で見上げている上級生の美少女と、話しかけられて硬直している下級生男子といった図に見えるだろう。
水面下で行われている精神的攻防は、そんな和やかなものなどではけしてないが。
「……はぁ」
観念したかのように一誠がつめていた息を吐き体の緊張を解く。それに呼応するように、四条河原の笑顔から秘めた凄みが失せる。
「タカちゃん、こんちは。――これでいい?」
「うん、よろしい」
眉尻を下げて降参といった風な一誠が、柔らかい声音で名を告げると、頬をほんのりと染めて、先ほどとは違う童女の笑顔で応える
ミス
「それにしてもさ、同じ学校にいるのに、なかなか会うことってないよね~」
「学年が違うとそんなもんでしょ? 学年同じでも会わないときゃ会わないし」
渡り廊下の壁面にもたれかかるようにして話すふたり。かなり気安い関係なのがうかがい知れる雰囲気だ。
「だからってさ、久々に顔合わせた幼馴染にあの態度はないんじゃないかな~?」
プンプン怒ってますよといった感じのタカちゃんである。
そんなタカちゃんへと返す一誠の苦笑いには、笑みよりも苦味が強かった。
十二年前、一誠が今の家に越したときに知り合った同年代の遊び仲間。
出会った頃は短く刈った頭に程よく日焼けした肌、年中半ズボン姿で走りまくってた元気のありすぎる子供で、「たかお」 という名前からしばらくは男の子だと思い込んでいたほどのオテンバさんだった。
十年前ある夏の日を境にオテンバ加減は鳴りを潜め、元が良かったこともあり、あれよあれよという間に可憐な少女へと変貌を遂げていった。
百田の街の大地主・四条河原家。その孫娘という立場ながら、それを鼻にもかけない人当たりのよい気質をした誰もが認める上級美少女。それが今の四条河原貴央である。
「ほら、一応上級生だから、それらしく接しないと。あと二年連続でミス百一に選ばれるような人にあまり気安くしてるとファンが怖いというか……」
昔のオテンバさんだった頃のことを思い、苦笑しながら一誠が言い訳をするけれども、
「他の誰がそういった態度とったっていいけどさ、イッくんにだけはして欲しくないよ?」
そう言って貴央は身体を一誠にもたれかかせ、少しだけあったふたりの隙間――空間も気持ちも――を埋める。
「あたしが想ってるのイッくんだけなんだからさ。気にしないでよ」
「……タカちゃん」
貴央の言葉の裏に隠れている想いに、複雑な気持ちで返す一誠。
心が遠い夏の日に還る。一緒に野山を駆け回り、虫捕りをし、捕った数を競ったあの日に。
「今まで何度も言ったけど、あの時のことを気に病む必要はないって。俺は無事で、今こうして元気にしてんだし――」
「ヴィに助けられたからだよ。ヴィがいなかったらイッくん大怪我してた。ううん、死んじゃってたかもしれない……」
一誠の慰めるような言葉に対する貴央の返事は重い。
「……あたしが言い出さなきゃ木に登ることはなかった。イッくんが落ちちゃう様なこともなかった。言いだしっぺのあたしが悪いのはハッキリしてる!」
触れていた一誠の袖をきつく握り締め、顔を伏せたまま自分を責める言葉を吐き続ける貴央。
「ヴィにはすっごく感謝してる。だけどさ、あたしは自分が許せない。あたしの軽口でイッくんの人生狂わせてたかも知れないってことがね、怖いの。怖くて堪らないの」
貴央の言葉はあたかも懺悔のようだった。
その姿を痛ましそうに見つめる一誠。
普段は極めて明るく振舞っている貴央であったが、十年前の一誠の落下事故、それに触れると途端に精神的に脆く崩れ、自己批判を始める。
彼女にとってあの一件はトラウマとして心の奥底深くに根付いていて、一誠と会うといつもこんな風になってしまう。
一誠はそれが嫌だった。
貴央を苦しめたくはない。それゆえ出来るだけ彼女に会うことを避けるようにしているのだが、同じ学校に通い同じ街に暮らしている限りそれは難しい。
だから会ってしまった時にあの一件に触れることになれば、可能な限り貴央に悪いところはないのだと訴え続ける。
けれども内罰的な貴央は、当事者である一誠の言葉をなかなか受け入れようとはしない。
貴央には子供の頃の様にいつも明るく笑っていて欲しい、そんな一誠の願いは未だ届かないままだ。
"――イッくんがなにかの罰を与えてあげればいい。それであの娘は「許された」と思うよ"
"――お前のオンナにしてやりゃあいいんだよ。さっさと抱いてやれ、向こうもそれを望んでんだから"
一誠の脳裏にいつか聞いた言葉が、それを言った人物とともに浮かぶ。
頭を軽く振ってそれらをかき消し、いまだ自分を責め続ける言葉を発している貴央の頭を優しく抱え込んで声をかける。
「――タカちゃんの気持ちはわかってるから。お願いだからあんまり自分を傷つけないで。そんなタカちゃん見るのは辛いよ……」
一誠に包まれている安心感と彼を苦しめたくないという気持ちから、貴央はゆっくりと落ち着きを取り戻しだす。
暫くして自分から一誠の腕の中から離れ、赤くなった瞳で見上げながら、
「ごめんね、いつもいつも……」
ほんの少し前までの明るさはどこへ行ったのだというような、弱々しい笑顔で話す貴央。
「タカちゃんが悪いんじゃないから、謝らなくていいって」
出来る限り貴央の心に負担をかけないように、柔らかい口調で返す一誠。
そして、そおっと貴央の頭に手を乗せ、
「タカちゃんは笑っていてよ。俺は謝ってもらうより、そっちの方が何倍も嬉しいから」
優しく撫でる。
「……うん、うん」
目尻に溜まる涙を指で拭いながら、貴央は答える。
貴央が泣き止むまで優しく撫で続ける一誠だった。
勿論、渡り廊下の中ほどという往来の中でこんな真似をやっていたのだ、この場面を目撃した生徒たち、一部教員は幾人もいた。
だが過剰な反応を示したのはホンの一部で、その他大勢はほとんど見て見ぬ振りをして通り過ぎていった。
前年度に一誠が入学して以来、校内でこのふたりがこの手のやり取りをしているのは幾度も目撃されており、理由も説明されているのでなるだけ触れないようにしていてくれているのである。
反応をするのはその事実がまだ周知されていない新一年生だけだったりする。
そして、そんな一年生たちが目撃した一件を面白おかしく語ることで一誠の武勇伝に新しいページが加わっていくといった寸法なのだった。
……なんだかんだ言って一誠の武勇伝は自業自得だよな。リア充爆発しやがれ。
ウル〇ラ〇ンのカラータイマーが点滅する時間ほども撫で続け、やっと落ち着いた貴央に、
「じゃ、俺寄らないといけないとこあるから」
と告げ、別れようとする一誠。
「引き止めちゃってごめんね。……どこ行くの?」
泣いたことで鼻の頭を、羞恥から頬を赤くしたまま貴央が訊ねると、一誠はちょっと嫌そうな顔をして第二校舎一階東側の端へと視線を向ける。
その仕草から目的地を察する貴央。
「
「そっ。どうせまたサキ姉ぇへの伝言かなんかだと思う。電話かメールで済むのに、あの人俺を都合のいいパシリだと思っているからね」
どちらも苦笑しながら言葉を交わす。
「……じゃあ、ついでにあたしも伝言お願いしていい? 生方先生にまたお話し聞いてもらいたいって」
苦笑いから、少しだけ自嘲気味になりながらそう言う貴央。
「――わかった。伝えとく」
そんな貴央に憐憫の眼差しをちょっとだけ向け、ポンと頭を軽くはたいて第二校舎へと脚を運び出す一誠。
「イッくん、またね!」
背にかかる貴央の声に、振り返らず片手を挙げることで答える一誠であった。
第二校舎へと渡り中央の階段を下り、それから廊下を西側へと数歩進んで目的地の扉前へと到着する。
ここは保健室。健康を保つためにある部屋なのに、どこか淫靡な香りのする色んな意味で特殊な場所だ。
一誠はその扉の前で呼吸と気持ちを整え、ノックをしてから声をかけた。
「生方センセ、二年三組安生一誠、お召しによりただいま参りました」
「どーぞー」
待っていたぞという雰囲気がハッキリと伝わってくる、若い女の楽しげな声音が返ってくる。
その声に、思いっきり嫌そうな顔を浮かべるが、
「入ります」
すぐに真顔に戻して扉を開け中へと入る一誠。
「遅かったね~。なにしてたの?」
椅子の背もたれに体預けアームレストに片肘を乗せ、その乗せた側の手の甲に頬を預けて、どこか面白がっているような企んだ笑顔を向け養護教諭・
あからさまに染めているのがわかる、金茶まだらのウェービーなボリュームのある髪の毛を後ろで軽くまとめたヘアスタイル、かなり薄めのナチュラルメイクだが派手目な顔立ち。
女であることを強くアピールするかのような赤い唇が扇情的だ。
仕事柄アクセサリー類はほぼないが、エメラルドグリーンが鮮やかな髪留めが目を惹く。
首から下へと視線を向ければ、養護教諭の証しでもある白衣の下、ミントグリーンのブラウスを押し上げるたわわな双丘、ぐっと絞られた腰、そこからなだらかに続く尻へのラインは男の目を捕らえて離さないことだろう。
濃いベージュのひざ丈タイトスカートから覗く御美脚は、さぞかしガーターストッキングとハイヒールが似合うだろうと思われた。勿論その場合のストッキングは黒の網目で、ハイヒールは真紅だよね。
だが、今穿いているのは、一見生足に見えるノーマルなストッキング。それはそれで艶めかしさをアピールしていて、全体的なスタイリングに見事にマッチしていた。
ハッキリ言って教員、それも養護教諭をやるなんてどっか間違っているんじゃないか、あんた夜の仕事の方が絶対合ってるって何なら紹介するよと、その手のスカウトさんに言われるような、文句なしの官能系美女である。
事実、彼女が赴任してから、保健室への来室人数は爆発的に増えた。
生徒は勿論、男性教師たちも度々訪れるようになっていた。独身は当たり前として妻帯者までもがである。……オイオイ、それでいいのか聖職者?
普通、この手のタイプは同性の同僚には嫌われたりするものだが、ざっくばらんで開けっ広げな性格が功を奏し、話してみれば付き合い易いと女性教諭陣とはかなり良好な関係を築いていたりする。
派手な外観に反し、仕事への取り組みがいたって真摯であることがまた人気に拍車をかけていた。
美人の上に性格もよくて仕事も出来るだとぉ? ええぃ、どうしてくれようか、このパーフェクト超人。
ただし、それは一部を除いての評価であり、その一部にとっては実に付き合いたくないタイプなのであった。
一部とはご想像の通り、安生一誠。我らが主人公のことである。
生方薫子は一誠の従姉妹で姉的存在である
学部は違ったが共通の友人を通じて知り合った彼女らは、お互いが百田の街の出身ということもあってすぐに意気投合、あっという間に無二の友に。
その頃から安生家には幾度も訪れていて、一誠もその際に面識を得ていた。
真咲の一誠に対する一種偏り歪んだ愛情についても理解しており、親友を見守るといった建前で一誠をからかっては楽しんでいる。
一誠個人を気にいったから言う理由をついでのように付け加えて。
大学卒業後は直接的な交友は途切れ連絡を取り合う程度だったが、養護教諭の職についた薫子が百田の街に赴任してからは関係も自然に復活し、学生時代に戻ったかのような付き合いが続いている。
一誠はたまにどこか懐かしそうな眼差しを向けて来る薫子が嫌いではなかった。だが、苦手ではあった。
「まーた、女生徒とでも絡んでたかー? あ~ん、お盛んで結構結構」
とても判り易く、からかっていることが丸判りな口調でニヤニヤと告げてくる生方センセに一誠は、
「来る途中でタカちゃ、――四条河原先輩に会いまして、少しばかり話しを」
淡々と言葉を返す。
四条河原の名前が出たことで、薫子もニヤニヤ顔を止め教諭の顔に戻って、
「――成程、それならば仕方ないね」
言外に労いを含めながら、こちらも淡々と返事をする。
「で、四条河原先輩からの伝言です。また時間を頂いて話を聞いて欲しい、と」
「わかった。日時はあたしの方から彼女の担任を通して後日連絡しとく。伝令、ご苦労様」
淡々と告げる一誠に、真面目な教育者の態度で応える生方先生である。
「――ホント、イッくんはご苦労だね~。あんな重たい娘、普通なら逃げ出すところでしょうに」
お仕事モードからふっと力を抜くと、からかい気味だがどこか褒めるように一誠へと言葉を送る。
「以前にも言ったけど、簡単な解決策ならあるんだよ? そうしたって誰も責めやしないと思うし、あの娘だってお手軽に救われるんだけどねぇ?」
その言葉に一誠の頭にあの文句が浮かぶ。
"イッくんがなにかの罰を与えてあげればいい"
「――あれは、根本的な解決にはならないでしょう? いっそう俺に依存するようになるだけだし、タカちゃんが自律出来ないと意味ないですよ」
首を振り、その提案を否定する一誠。
「自律したところであの娘がイッくんの傍に居たがるのは変わりゃしないんだから、大した問題じゃないと思うけどねぇ」
「トラウマがなくなれば、俺なんかよりももっと他に目を向けるようになりますって」
"なに甘いこと言ってんの、この青二才が" といった態度で提案を受けるように促す薫子に対し、一誠は突っぱねるよう否定するが、
「うん、それはないね。あの娘にはイッくん以上の男なんて現れやしない。乙女の幼い頃からの思い込みを甘く見るなよ、少年?」
年上の恋愛経験値の高いだろう女から、それは小僧の意見だと、あっさりと切り捨てられた。
「この際だから断言しといたげる。イッくんには真咲か四条河原さん、その二択しかないよ。……自分でも薄々は気づいてんじゃない?」
薄ら笑いながらそれでも真摯に残酷な宣言をする薫子に、一誠は返事をしなかった。
「……沈黙は肯定とみなす。イッくんさ、色々と浮名流れるけど、どれもこれも噂程度なのは本命決めちゃってるからでしょ? 真咲は
うかがうように言ってみるが、一誠の反応はなかった。
その頑なな態度から、この話はこれまでだなと薫子はひとつ息をつき、気持ちに区切りを入れると、
「本来の用事に入ろうか。真咲に伝言ね。次の土曜の夜、空けとけって。そう言やわかるから」
事務的に言葉を伝える。一誠はそれに頷くことで答え、用は済んだとばかりに薫子に背を向けると扉へと向かう。
「さっきの話だけど――」
去り行こうとしているその背中に薫子の声がかかり、一誠の歩みが止まる。
「急かす様に言っちゃったけど、時間はまだあるんだからね。イッくんもじっくりと自分の気持ちと向き合ってみなよ」
先までとは違う、どこか柔らかい口調で告げる。
「自分の人生が決まっちゃったって思うかもしれないけど、決まったところからだっていろいろと見えてくるものもあるよ?」
その言葉に何か感じるところがあったのか、一誠は少しだけ振り返ると、
「それって、センセの経験からの?」
突き放したところのない、それでも少しだけ距離を置いた声音で返す。
「おうっ、大人の女を舐めんなよ~」
大人と言いつつも子供っぽい笑い顔で答える薫子。一誠は適わないなと言う風に苦笑すると、
「はい。ご忠告、心しときます」
軽く頭を下げ、柔らかく返事をする。
薫子はそんな一誠の態度に、良しといった感じに頷くと、
「よしよし、約束したよ? 男の子なんだから、約束は守るんだぞー」
破格の笑顔と良い声で言葉を投げかけた。
その声音と言葉になにかを突き動かされ、ハッと振り返り薫子を凝視する一誠。
にっこりと、ヒマワリのような笑顔が一誠に向けられていた。
全然別人なのにその笑顔がはるかなあの夏の日に見た、パッフュミィ・ヴィの笑顔に重なる。
「――えっ?」
記憶のフラッシュバックに驚き動けなくなった一誠に、薫子は笑みを浮かべたまま、
「用は済んだんだから、さっさと帰る」
しっしと払うように手を振り、下校を促す。
「は、はい。失礼します……」
その言葉に動かされるようにふらふらと保健室をあとにする一誠。
廊下を進みながら頭を振り、今し方の不思議な感じを色々と考えるのだが、あまりにまとまりがつかず、わからなくなっていくばかりだった。
「あ、いかん。時間が」
ハッと管理人さんと交わした約束を思い出し、慌てて靴を履き替えるべく第一校舎の玄関ホールまで走り出すのであった。
西日が強く差し込む保健室では養護教諭・生方薫子が、
「ちょっと、あれこれ言いすぎたかな~」
と、悪戯っぽく呟いていた。
浮かべた笑顔は、やはり咲き誇るヒマワリのようであった。
─────────────────────────────────────────────────────
『イッくんにとっては重たい存在であるあたし』(四条河原)
『姉代わりの友人にしてなにやら訳有りな存在のあ・た・し』(生方)
『迷惑、という点で共通してます?』(四条河原)
『それは自虐しすぎじゃないかな? もう少し軽く考えなさいって』(生方)
『でも……』(四条河原)
『あー、そこら辺の話はまた今度ね。今はお仕事お仕事』(生方)
『あ、はい。……待ち合わせの場所へ赴くイッくん』(四条河原)
『彼は見る、鈴城日輪が変わる姿を!』(生方)
『次回、「第九話 変身! サニー・ベル」』(四条河原と生方)
『あたし、イッくんに償わないと……』(四条河原)
『そういうのが良くないんだけどな~、やれやれ』(生方)
次回へ続く。
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