第六話 屋上とそこへと至る幾つかの思いについて

 安生一誠あんじょういっせいが屋上へと向かってしばらくして、彼の所属している二年三組の教室に訪れる者がいた。

 女生徒だ。

 女子にしては高い身長で均整の取れたスタイル、襟足で縛った背の中ほどにまで長くしなやかに流れる黒髪が印象的。

 理知的な整った面立ちをしており、オーバルレンズのリムレスメガネをかけていた。深緑色のリボンタイから同じ二年生なのが判る、

 その女生徒は少し遠慮がちに教室に入ってくると、一度教室内を見渡しそれから自席でだらりと休憩を満喫していた中野隆三なかのりゅうぞうの元へと進み、

「中野くん、安生くんは?」

 挨拶もなしに声をかける。その様子から知った間柄なのがうかがい知れる。

「おや内海うつみ女史、一組からわざわざご苦労様。一誠は飯食ったらどっか行ったよ」

「行き先は知らないってこと?」

 内海と呼ばれた女生徒の言葉に中野は頷くことで答える。

「なに、一誠に用?」

 宮戸裕次郎みやとゆうじろうがいつの間にか現れて、ちゃっかりと会話に参加する。

 必要以上に距離を詰めてこようとする宮戸をやんわりとかわしながら、

「大した用じゃないんだけど、早いうちに片付けたいって思って」

 苦笑しつつ答える。因みに宮戸よりも少しだけ彼女の方が背が高かったりする。

「あいつのことだから中庭か、それともの保健室じゃない?」

 中野が避けられている宮戸を、目でからかいながら言うと、

「そのお気に入りしてる養護教諭から頼まれて来たのよね」

 嘆息しつつ内海。

「かーっ、また生方うぶかたセンセからのお呼び出し? まったく、知り合いだからってけしからんよな~一誠は」

「正直に言えば? 羨ましいって」

「羨ましーーーーッ!」

 一誠に対して憤った振りをする宮戸に、中野がさりげなく突っ込む。それにあっさりと本音を吐露する辺りが宮戸の宮戸足るゆえんなのか。

 そんなやり取りに苦笑しつつ、

「じゃ頼まれてくれるかしら? 放課後でいいから保健室に顔出すようにって、伝えて欲しいの」

 内海がそう願うと、

「いいぞー」

「引き受けたっ! と言うことで今度一緒にお茶なんかをふたりきりで……」

「あ、こいつの妄言はいつもみたいに無視していいから」

「中野~っ?」

 漫才しつつ内海に答える中野と宮戸であった。

「それじゃ、お願いね。私ももう少し探してみるけど」

 少しだけ困った様な笑みを浮かべ、そう言って三組の教室から出て行く内海。

 その後姿を見送りながら、

「……内海さんも保健委員だからって、生方センセにいい様に使われてるよな~」

「――あれは好きで使われてんだって」

 宮戸の言葉に答えながら中野は思う。

 一組の保健委員が、わざわざ他のクラスの生徒のために動くか、普通?

 動くとしたら、それはきっととても個人的な感情。少しでも多く会いたい話したいって気持ちからで――。

「なにそれ?」

「……わかんねーうちはお前絶対にモテないよ」

 言葉の含むところを理解できていない宮戸にそう言いながら、"じゃあ、判ってんのにモテねぇ俺はなんなんだろうな" と自嘲する中野であった。

 ……やだ、中野くんカッコいい。きゅん♡

 人様の色恋沙汰にはやたら詳しかったりするのに、自分のそれはテンでダメ。なのに友人のためには労力を惜しまず。ってあなた、それはギャルゲー主人公の親友ポジそのまんまじゃないですか~。

 名曲『女々しい野郎ども〇詩』が聴こえてくらぁ。


 鈴城日輪すずしろひのわが屋上へと向かってからきっかり二分後、一年四組のドSでクールビューティなクラス委員・中禅寺晃ちゅうぜんじあきらはいたって自然に、それが当たり前であるかの様に教室から出て行こうとしていた。

 それを目ざとく見つけたお下げさんこと鳥居遊子とりいゆうこが声をかける。

「あれ、いいんちょ。どこへ行くのかなかな?」

 少しだけ見つかってしまったって顔をしたが、すぐにそれを消し、いつもの様に穏やかだがどこかひんやりとしたものを感じる笑みを浮かべ、

「ちょっとばかり気分転換をしようと思いまして。風にあたりに屋上へ」

 何も含むところはありませんよとばかりに、しれっと放ったその言葉に、

「奇遇だね~。あたしもちょうど風にあたりに行こうかなって思ってたんだ」

「あ~、実はあたしもー」

 ノッポのタッつん・細貝達己ほそがいたつきとワイルドミミさん・宇佐美美由紀うさみみゆきが即応する。

 その顔には「面白そうだから乗った!」と書かれていた。

 今ひとつ会話の流れが意味するところに乗れていなかったユーコも、友人たちの企み顔に察しが付き、

「ハイハーイッ、わたしも行くー」

 と、手を挙げて参加の意を示す。

 そんな三人をチラリと見据え、実に楽しげな笑みを唇の端に浮かべながら、

「では、揃って参りましょうか」

 中禅寺は先頭に立って教室を出て行く。後に続く三人衆。

 四人の思いはひとつ。こんな面白そうなこと、黙って見逃す手は無いっ!

 ……友情ってなんでしょうね?


 鈴城日輪は固まっていた。

 ここへ来るまでにどんな事を訊かれても大丈夫な様にと、心の準備はしたつもりだった。が、いざ当人を目の前にして、その妙に威圧感のある視線に捉えられると何も出来なくなっていた。

 予め用意していた返事の数々、それが見事なまでに頭から消し飛んでしまっている。

 頭の中を真っ白にしたまま蛇に睨まれたカエルのごとく、身じろぎひとつも出来ずに只々突っ立っていた。

 安生一誠は困惑していた。

 約束の時間を違わずにやってきた待ち人が、顔を合わせた途端に硬直したからだ。何か必要以上に緊張している面持ちである。

 この一年生の抱え込んでいる秘密。

 その一端を見たと思われているであろう自分とこうして会うことが過度の負担になっているのだろう。それでこんなに緊張してんだなと勝手な解釈なんかしていたりする一誠である。

 原因は当たっている。が、理由は違う。

 ――お前の顔が怖いんだよ。


 屋上にいた幾人かの学生たちも身動きがとれずにいた。

 学年別教室配置の関係から、屋上へよく上がるのはすぐ下の階の一年生がほとんどである。

 そんな彼女彼らが昼休みのひと時を穏やかに過ごそうとしていたら、怖い噂で有名な二年生がやって来て、しかもどういうわけか屋上と校舎内を繋ぐ扉付近に陣取っているのだ。

 今このタイミングで屋上から下りようとしたら、それは彼が来たから居辛くなったといわんばかりの行為であり、しかも下りるためには彼の前を通って扉へと赴くことになる。

 そんな虎の尾を踏むような真似が一年の彼らに出来る訳もなく、只々居心地の悪いままにそこに足止めされていたのである。

 こうして屋上ではなんとも言えない、おかしな三竦み状態が作られていた。


 二年の教室が並ぶ三階の廊下を中庭へと向かうべく、昇降口へと歩を進める内海。そこに階段を上って来た一団が鉢合わせをした。

「おっやー、これはこれは才女の誉れ高き内海女史ではないですか~?」

 その一団の先頭に立っていた長身の、なんというか人目を強く惹くタイプの男子生徒が、人を小バカにした芝居をする時の三木眞〇郎さんみたいな口調で声をかけてくる。ちなみに声もそっくりだ。

 あまり会いたくない相手なのか、内海は一瞬だけ表情を曇らせたがすぐに平静を保つと、

「――ご機嫌よう十日市とおかいちくん。……相変わらずお盛んね」

 十日市と呼ばれた男子生徒の背後にいる派手目なスタイルをした遊び慣れしている感じの数人の女生徒へ視線を走らせて、幾分か嫌味を込めてそう答える。

 言葉に込められた悪感情を感じ取ったのか、女生徒たちが色めき立つ。が、十日市がすっと両者の間に入る。

「ええ本当に。身体がもうふたつ欲しいくらいですよ。そしたら今すぐにでも、あなたのお相手も出来るって言うのにね」

「――お生憎だけど、何度も言ってるように、私あなたのお相手なんかするつもりはないから」

 芝居がかった言葉と仕草で場を収めた十日市に、苛立ちを隠せずに返す内海。

 その反応を楽しむかのように、

「そいつは残念だ~。でも諦めませんからね~」

 などと極めて軽いオーバーアクション付きで言ったかと思うと、すっと内海との距離を詰め、その耳朶に、

「いつかその綺麗な顔を、蕩けさせてあげますよ」

 低く抑えた声でそう呟く。

 女なら、いや男でも一発で腰に来る、そんな美声だった。

 一瞬挫けそうになるヒザを持ちこたえさせ、身体を退いて十日市から距離をとり、きつく睨み返す内海だったが、その顔は紅く火照りを隠せてはいなかった。

 たとえ心が拒絶しようとも、肉体に直接影響を及ぼすイケメンボイスには内海も抗えなかったのだ。海闘士マリーン海魔女セイレーンのソ〇ントか、十日市おまえは

 内海を見下ろして満足そうに笑う十日市。見上げながら唇を噛む内海。実に好対照である。

 傍目から見れば見詰め合っている様にも取れる、睨みあったふたりに業を煮やしたのか、

「十日市く~ん、そんな女の相手なんかしてないでさぁ……」

 派手目の女生徒のひとりが十日市をせっつく。

「あぁ~っ、そうだったそうだった。楽しい時間は限られていたよね~」

 内海をやり込めたことで高揚した気分そのままに、爽やかなエロ笑顔を振りまいて女生徒たちに接する十日市。

「では内海女史、どこへ行こうとしていたのか知らないが、邪魔をしちゃったね。どうぞどうぞ」

 例によって芝居じみた仕草で道を譲る。見下ろした笑顔は勝者のそれだった。

 敗北感と屈辱にまみれながら、その横を通り過ぎようとする内海。だが、一瞬思いたち、足を止めて背を向けたまま十日市に尋ねた。

「――下に安生くんは居たかしら?」

 人間的に対照的である十日市多聞とおかいちたもんと安生一誠は、どういう訳かウマが合い良い友人関係であることを内海は知っている。それゆえの問いだった。

「一誠? いや見なかったが……あぁ、行き先は一誠のとこかい? マメなことで」

 唐突な問いに虚を突かれたが、即座に安生一誠に対する内海の気持ちを掬い取り、下世話な感情のこもった含み笑いで答える。

「……ありがとう」

 理性を総動員して感情を押し殺し短く礼を述べ、当初向かおうとしていた下ではなく上へと階段を進んでいく内海。

 軽くない、叩きつける様な階段を踏み込む音が彼女の気持ちを代弁していた。

 階段から聞こえてくるその音に笑みが抑えられない十日市。

 理性の殻を壊され、生の感情を晒している内海。その姿が可愛らしくて仕方がないのである。

「アタシィ、あいつ嫌い。頭いいかもしれないけどさ、生意気なのよね。人んこと見下してるみたいでさぁ。態度わっるぅ~」

「十日市クンも内海のこと嫌いなんでしょ? そんな感じしてたしぃ~」

 内海が去ってから口々に彼女への悪口を言い出す派手目ギャルたち。

 対して十日市、

「オイオイ、俺が女の子を嫌う訳がないだろ~? 女の子はみ~んな大好きっ。内海女史だって無問題モーマンタイさ」

 これ以上はないってくらいの爽やかな顔で言い切った。勿論芝居がかったポーズ付きである。でもそれが嫌味なくハマる。まるで及〇光博さんミッチーバリに。

 十日市の言葉に嘘はなく、彼はけして内海を嫌ってなどいない。

 むしろ恋心を素直に表せない不器用さを可愛いと思っている。

 まぁ好意を裏返すようにからかってしまうことが多いので、ふたりの関係は良好とはいえなかったりするのだが。

「え~、なにそれぇ」

 返された答えにブーブーと不満をこぼす派手目ギャルズ。

 十日市はそれをなだめながら「でもま、自分に正直じゃない娘はちょいと苛めたくなるんだよね……」 内海の去って行った方へ視線を向けながら、胸のうちでそっとつぶやくのだった。


 黙っていたら埒が明かない。昼休憩は有限なのだ、時間的な制約もある。そう思い至ると一誠は構わずに言葉をかけた。

「鈴城日輪さん、単刀直入に訊くんだが――」

 その言葉にホワイトアウトしていた日輪の頭が一気に目覚め、情況を把握し来たるべき質問への用意していた回答をいつでも答えられるようにと身構える。

「君のコンパクトに貼られていたシールの図柄、あれがなんなのか君は知っているのか?」

 日輪の頭の中が再び真っ白になる。

 訊ねられるであろうと構えていた問いは来ず、訊かれたのはまったく予想もしていなかった、褪色した蛍光オレンジのシールの図柄のことだったからである。

 しかも、とても真剣な顔をして。

 それで何か日輪を縛っていたものが解けた。

「――ぷっ、くくっ」

 堪えきれず、日輪は笑い出す。何とか抑えようとはするが、それでもこぼれてしまう。

 目の前に立っている上級生は、日輪がなぜ笑い出したのかがわからないって顔をしていた。自分がいかに予想の斜め上の質問をしたのかを知らないのだ。

 その様子がまたなんだか可笑しくて、日輪は初めてこの強面の先輩の事を「可愛い」と思えた。

 一誠は意図せずに日輪の緊張を解し、普通に会話出来る雰囲気を構築することに成功していた。

 パーフェクト・コミュニケーション! ナイスプロデュース、目指せトップアイドル!

「あ~、そのぉ~鈴城さん?」

「あ、すみません……えっとですね……」

 困惑したままの一誠が何とか会話をしようと促す。ようやく笑いを抑えた日輪が先の質問に答えようとする。

 そこには先ほどまでの恐る恐るといった距離感はない。

「あのシールが日輪〇面って言う、昔のヒーロー番組に出てた怪人だってことは知ってます。……私、前の学校でごく一部の友達から "日輪仮〇大将軍様" って呼ばれてたんですよ。名前、同じ字だからって」

 当時のことを思い出しているのだろう、懐かしさと良い思い出から自然と溢れてくる笑みでそう答える。

「前の学校?」

 日輪の言ったその言葉に反応する一誠。

 "日輪〇面大将軍" なんてワードを問題とせず、当たり前に受け入れている辺りがとてもかった。

 ……ちょっと考えたら、女の子に向かって日輪仮〇大将軍だとか、傍目から見たら言葉によるイジメだよな?

 いいのかそれ普通に受け入れて? この娘もやっぱりどっか変。

「あ、私、中学一年の途中からこっちへ越して来たんです。あのコンパクトは引っ越す時に私のこと大将軍様って呼んでた友達が餞別にくれた物で。日輪〇面が付いてればどこへ行っても大丈夫だよとか言って。でも五色ごしきの仮面の五人組には気をつけてとか、何かよくわかんないことも言ってましたね」

 本当に良い思い出なのだろう。一誠に対する気後れなども無く、滑らかに言葉が出て来る日輪である。

「……いい友達だな」

 対して一誠もこれまた穏やかな口調で話しかける。

 心の中で「なかなかにわかってる奴だよなその旧友ってのは。特にそのアドバイスは完璧だ。機会があれば一度会って話がしたいものだ」とか、相変わらず的違いなことを思っていたりするのだが。

 しかし、そんな一誠の胸の内など知らない日輪は、かけられた言葉に響くものがあったのか、ポケットから当のコンパクトを取り出し愛おしそうにそれを見つめながら、

「はい……。木村きむらくん……キムくんって私たちは呼んでた、いっつもおかしなこと言ってる変な男の子だったんですけど、でもホントはとっても優しくって……。彼と仲の良かった女の子、すなおちゃんがコンパクト選んでくれて、それにキムくんが自作したあのシール貼って……世界にたったひとつしかない、大切な送り物なんです……」

 話しているうちにこみ上げてくるものがあったのだろう。瞳に涙をにじませながら、

「――なのに、昨日、落としちゃって、失くしちゃって、もうどうしようって思って、それで、それで」

 両の手のひらでコンパクトをぎゅっと握り締め、しゃくりあげながら言葉を紡ぐ。

「……だから、先輩が、拾ってくれて、届けてくれて、あの、あたし、えっと……」

 瞳にたまっていた涙をほろほろとこぼしながら、一誠をじっと見つめたままで、言葉を続けようとするが、こみ上げてくるものが大きすぎて上手く言えない。

 一誠はそんな日輪を見つめ返して柔らかい笑みを浮かべ、背の高さに似合った広いコンパスで一歩踏み出す。

 ふたりの距離を縮めると、すっと日輪の頭に右の手のひらを添え、そのままそっと抱え込みとても自然に自分の胸へと埋めた。

 ――まるで、ここで泣けばいいと言わんばかりに。

 一回り近くも年上のクセにどこか子供っぽく、感情を爆発させる真咲まさきや、歳相応に感情を表わす継実つぐみとかの相手を務めているうちに、こうした状況下での女の子の扱いには必要以上にこなれている一誠であった。

 こういう対処の仕方をどこかで見られて "人妻熟女から美少女まで" 的なあらぬ噂が立ったことをもう少し自覚しましょう。ね、一誠?

 ちなみに人妻熟女は母親だったりする。

 突然一誠に抱えられた日輪であったが、頭に添えられ優しく撫でてくれる手のひらや顔を埋める大きく広い胸に、何も邪なものを感じないことから、安心してそのまま身をゆだね心ゆくまで涙を流すのであった。


 そして、屋上へと続く扉の隙間から、ちょうどその場を目撃する八つのまなこ

 中禅寺と三人衆である。

「えっ、ちょっと、なに、あれ?」

「わわっ、ひーちゃんなんだかいい感じですです」

「いいんちょー、噂、捏造じゃないみたいだよー」

「……ですね」

 どこか面白げな三人衆に対して、中禅寺の内面は複雑だった。

 日輪が一誠に抱きかかえられている光景をどこか不快に感じているのだ。

 自分でも気持ち半分で言った "ひとめ惚れ" の言葉。それが今、意外なほど大きく重たく胸のうちを占めている。

 公けにはしていない秘かな楽しみ、それを共用し語らい合うことが出来るかも知れないと思った相手が、自分と違う女を胸に抱きかかえている。

 それを許容出来ないでいる自分の感情が、なにかもどかしい。

 こんな感情を抱くのは自分のキャラではない。だけど認めてしまわずにはいられなかった。

 これは嫉妬だ。中禅寺晃は鈴城日輪に嫉妬している。

 それらから導き出される答えはひとつ。中禅寺晃は安生一誠に、本当にひとめ惚れしていたのだ。

 ああ、恋に落ちるのに時間は必要ない、一瞬で落ちてしまうものなのだと、高らかに謳ったロミオとジュリエット。

 所詮は創作、現実はそれほど軽くはない。なんて思っていたが、考えを改めよう。

 中禅寺晃は自分の浅慮さを恥じる。これが恋なのか、と。

 幾千の時間をともに過ごし、幾万の言葉を交わしあい、それでやっと心が響きあう。

 恋愛をそんな風に捉えていたけれど、本当に一瞬視線が絡み合っただけでも、一言言葉を交わしただけでも恋に落ちれるのだと、十五年と少しの人生でそれを今悟った。

 なれば、今自分がすべきことはなんだろう? 中禅寺は自問する。

 感情のまま飛び出してふたりの間に割り込む? ここは見逃して、落ち着いてから改めて安生先輩の元へと向かうか? あるいはこの感情を無かったことにして元の傍観者へと戻るか?

 それとも、それとも――。

 中禅寺のとめどない思考は、力強く階段を踏みしめながら上ってくる音で断ち切られた。

 感情に任せたその昇降運動の主は上りきった先、屋上へと続く扉の前で覗き見をしている不審な一団を目にするとにそこへ向かって、

「あなたたち、そこでなにをしているのかしら?」

 と、至極もっともな言葉をかけた。

 それに唯一振り向いた中禅寺は声の主を見知っていた。

 上級生なので直接言葉を交わしたことはないが、所属しているクラブの先輩たちから ";受ける印象が似ている" とよく言われた人物だったからだ。

 百田ももた第一高校一の才女と称される二年の内海龍子うつみりょうこ、その人である。

「……屋上に出たいのだけど、そこを通らせてもらえるかしら?」

 振り返った中禅寺の首もとにゆれる、臙脂色のリボンタイから下級生と知った内海は、上級生らしい落ち着いた態度で改めて言葉をかけた。

「あ、えっ……」

 それに中禅寺が答えようとした時、

「あ、ふたりが離れた」

「日輪、照れまくってるなー」

「安生先輩も隅に置けないかなかな?」

 内海から声をかけられたことに動じもせずに、まだ覗き見を続けていた三人衆が現状の変化を伝えてきた。

「安生くん? ――失礼、通るわ」

 一誠の名を耳にするや、彼のことで十日市に煽られていた内海の中でなにかスイッチが入り、三人衆と中禅寺を押しのけるようにして扉を開き、屋上へと出ようとする。

 巻き添えを食らって、ごろんと転がるようになだれ込む三人衆プラスワン。


「――落ち着いたか?」

 そっと自分から離れる日輪に向かって言葉をかける一誠。

「はい……あの、その、ありがとうございます……」

 泣いてしまったこととは別の理由で紅くした顔を伏せながら、小さな声で礼を言う日輪。

「……優しいんですね、先輩って。見た目は怖いのに……」

「ん、なにか言ったか?」

 小さく、とても小さくつぶやいた日輪の言葉は届かず、ハーレム系ラノベ主人公の奥義・難聴で返す一誠であった。

 うーん、様式美ぃッ!

 しかし、それはそれとして、ふたりの間に流れる雰囲気は実に良いものであった。恐る恐る遠巻きに見ていた、屋上のその他の生徒の気持ちすらほっこりさせるほどに。

 日輪が落ち着いたことを確かめた一誠は、もうひとつの尋ねごと、いわば本題を切り出すべく口を開く。

「もうひとつ訊きたいんだが、君は超常……」

 その時、結構な勢いで校舎へとつながる扉が開かれた。

 内海が目にしたものは、突然開いて人がまとまって出てきた扉を、それなりに驚いた顔で見つめている一誠と、彼の前で頬を染めて恥らう見知らぬ下級生。

 十日市によって乱された心が、その場面を見たことでさらに荒れ狂う。

「安生くん、あなた下級生相手に何を――?」

 普段の落ち着いた優等生らしくなく、取り乱した口調で迫る内海。

 その姿に、自分の中にある気持ちとの共通点を見出してしまう中禅寺。

 "もしかして、内海先輩も――?"


「おや内海。なにか慌ててるけど、俺になにか用?」

 そんな中、安生一誠はぶれること無く、何事もなかったように言葉を投げかけるのであった。

 屋上は今、幾つかの複雑な感情が交わる異空間へと変わり果てようとしていた。

 迫り来る待った無しの修羅場。

 その時、

「――お困りなら手を貸そうかい、安生一誠くん?」

 一誠の耳に、いや脳内へと直接、とてもいい声が響いた。


 ─────────────────────────────────────────────────────

 

『屋上で繰り広げられる悲喜劇』(内海)

『一誠の女たらしっぷりは、相変わらずだねぇ(笑)』(十日市)

『安生くんのは他意のない行為よ、あなたのソレとは違うわ』(内海)

『人の想いに気がつかないってのは、それはそれで残酷だと思うがね?』(十日市)

『っ……』(内海)

『――混乱する場で一誠に届いた声の正体とは? それが告げる意外な事実』(十日市)

『……次回、第二章 変身ヒロイン、やってます?

「第七話 管理人さん、大いに語る」』(内海)

『ライバル多くて大変だね、内海女史?(笑) 慰めてあげようか?』(十日市)

『……結構よ!』(内海)


 第一章終了。

 第二章スタートの次回へ続く。

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