第二話 とある家庭の日常風景

 高度経済成長期の真っ只中に山の麓を大きく削って作られた造成地。見事に区画整備されたそこに整然と並ぶ建売住宅の群れ。

 そんな住宅地を縦横に走る生活道路のひとつを少年は歩いている。

 陽は傾きそろそろ落ちようとしているが、往来には人々の姿があった。

 買い物帰りらしくカゴにいくつもレジ袋を入れてる自転車ママチャリ、ジョギングやウォーキングをしている人たち、道端で立ち話している主婦たち、書類鞄を抱えたくたびれたスーツのサラリーマン、帰路につく者これから出かける者、様々だ。見知った顔とすれ違い際に軽い会釈を交わしあっている。

 井戸端会議なおばさんたちに捉まってあれこれと言葉をかけられたり、ご近所付き合いも大変だなと思いつつ、それを苦笑い程度で気持ちを収めて少年は家路を辿る。

 一区画大きく取られた角地に建つ、他の建売より少し大きめな住宅。

 その前で立ち止まり隣家との境界線となっている張り巡らされた柵、そこの開放された一部つまり門からアプローチを進んでいく。

 門柱に掲げられている表札には『安生あんじょう』、そして小さく『小辻こつじ』とあった。

 ポーチに辿り着くと少年――安生家の長男、安生一誠あんじょういっせい――は一度ドアノブを握り、施錠されている事を確認しポケットから鍵を取り出すと、開錠しドアを開け越して来て十二年の住み慣れた我が家へと入っていく。

 玄関で自分以外の靴の有無を確かめながら通学靴を脱ぎ、三和土たたきへ上がると奥に向かって声を掛ける。

「ただいまー」

 よく通るその声に反応して玄関から続く廊下の左側、リビングと二間続きの手前にあるダイニングキッチンから、まだあどけなさの残る少女がひょいと顔をのぞかせ高い位置で結ったポニーテールを揺らせながら笑顔で言葉を返す。

「イチぃ、お帰りー」

 言動からすると、少女は一誠の妹のようである。

 一誠は軽く頷くことで応え少女の元まで行くと、鞄から弁当箱を取り出し、もうひとつ何かを抜き出そうとしながら、

「頼まれた本は買ってきたぞ。――サキぇは?」

「サキちゃんはまだだよー。あ、本は部屋に放り込んどいて、鍵あいてるから」

 手にした重さで空になっている事が判る弁当箱を、ちょっと嬉しそうな気分で受け取りつつそう言うとキッチンへと戻っていく少女。

 一誠は踵を返して階段を上り始める。

 二階へ上がると階段を挟んだ向こう側にあるふたつの部屋の片方、『TSUGUMI』のネームプレートの掛けられている扉へ向かう。

 施錠されていないことは確認済みのドアを開け、遠慮なく中に入ると鞄から書店のロゴ入りのプラ袋を取り出し、中身込みで勉強机の上に無造作に置いてから部屋の中を一瞥する。

 脱ぎ散らかされた衣類――学校の制服や部屋着・夜着等――や、読み終えたのだろう雑誌が床に投げ出されていたりの乱雑な状態に少し眉をしかめ、呆れた様なため息をついてから出て行く。

 妹の部屋を出てから対面にある自室へ入り、鞄を置き制服類を脱ぐ。妹とは違って脱いだ服はきちんとハンガーに掛け、吊るす。

 部屋の中も整理整頓されており、彼の几帳面さが見て取れた。

 さくっと着替えた私服は、上は派手な色合いのゆったりしたサイズの某アメリカプロレス団体のロゴ入りトレーナー、下はゼブラ柄のルームパンツという組み合わせ。……着る物の趣味はあまり良くなさそうである。

 着替え終わると部屋を出て階段を下り、廊下からキッチンへ身体を少し預け、妹――継実つぐみと言う――に声を掛ける。

「ツグ、何か手伝うことはあるか? それから、部屋はもう少し片付けとけ。サキ姉ぇの悪いとこ見習うなって、いつも言ってるだろう」

 夕飯の支度をしている継実は、掛けられた言葉の後半にビクリと身体を縮こませるも、兄に背中を向けたまま澱みなく答える。

「……はーい。あ、お風呂用意してくれると嬉しいかなー?」

 声音とは違いその表情は微妙に引きつっていたのだが、兄には知る術もない。

「ん、わかった」

 継実にそう返事をすると、一誠は風呂場へと足を運び浴室へと入る。

 昨夜のうちに掃除済みの浴槽に栓がされていることを確かめてから、蛇口を浴槽に向け、湯・水の分かれた左右のコックを捻り、温度と量を調整しながら注ぎ込む。

 十二年前に据え付けられた浴室設備なのに、注水の自動停止機構は備わっていない。

 そのために外付けの水位センサーをセットするのだが、用意するさまは手馴れており、日常的にこの手の手伝いをしていることがうかがい知れる。

 適温の湯が少しづつ溜まっていくステンレス浴槽を、ぼんやりと眺めながら一誠は思う。

 この浴槽は魔法瓶方式で保温性は申し分ないのだが、追い焚きが出来ないのが残念だと。

 常時給湯出来る深夜電力利用の電気湯沸かし器は便利だが、一誠個人としてはガス釜式の方が風呂らしくて好みなのだ。

 幼い頃に父親の実家で、祖父と一緒に入った追い焚きの出来る風呂。

 歳のわりに熱めの風呂を好んだ祖父は、祖母が身体のためにと用意する温めの湯を嫌い、湯船に入るや否や直ぐに追い焚きをかけてじわりじわり熱くなっていくのを楽しんでいたのだ。

 何度かそれに付き合ったことで、一誠も追い焚き風呂好きになってしまっていた。

 焚き過ぎてふたりしてのぼせ、祖母によく叱られたのも楽しい思い出だ。

 そんな体験があるからか、子供の頃から親に何度も願った。風呂場を釜焚き式に換えてくれないかと。

 だけど、返ってくる言葉はいつも否。

 父親も追い焚きにロマンを感じる派なので割りと乗り気になってくれるのだけども、女性陣がこぞって反対するのだった。

 釜焚きよりも給湯タイプの方が、シャワーを使い易いからというのがその主だった理由。

 湯船に浸かりつつ追い焚きをして、段々と熱くなっていくのを楽しむ。このロマンがどうして判らないのか? そんな風に父とふたりして、何度も何度も熱弁をふるった。

 だが、そんなロマンなど判らん、そんなものは不燃ゴミと一緒に捨ててしまえ。第一、我が家のどこにそんな予算があるのか? と改装する費用のことを持ち出されては父も彼も何も言い返せなかった。

 特に何の稼ぎもない、扶養家族の一誠にはぐうの音も出ない正論だった。

 どんなことにでもロマンという物にはお金がかかるのである。

 現実はいつだって辛辣だ。

 風呂場で彼がそんな昔を思い出し、無念さから軽く目頭を押さえていると、玄関の方から誰かの帰って来た騒がしい音がしてくる。

 不器用に鍵を開け、乱雑に靴を脱ぎ散らかし、どたどたと足を踏み鳴らしながら廊下を進みキッチンに飛び込んで、

「ツグちゃん、たっだいまーっ。帰って来たよー、晩御飯なぁに?」

 と、弁当箱の包みを差し出しながら明るい声で呼びかける、スーツ姿の妙齢の女性――小辻真咲こつじまさき――がそこに居た。

「サキちゃん、お帰りー。キャベツの安売りしてたから、今夜はキャベツ尽くしだよー」

 その声に少しだけ体を向け、応対する継実。

「ビタミンと食物繊維がたっぷりか。やったね、明日のお通じはバッチリだ」

 弁当箱の包みをシンク横の作業台に置いていた真咲は、継実の答えに茶目っ気たっぷりの笑顔とサムズアップで応じ、

「すぐに着替えてくるからね。そしたら手伝うよ」

 と言葉を続ける。継実は真咲にこれまた笑顔で返しながら、

「こっちはもう少しで終わるから、お茶碗とか並べといてー」

「ん~了解。……あ、そう言やイッくんは?」

 着替えをするために自室へと上がろうとしながら、何か思い出したように立ち止まり、この場にいない長男のことを尋ねる真咲。

「イチ兄ぃならお風呂の用意しに行ったよー。まだそっちじゃないかなー?」

 継実の返事に真咲は階段へと向かいかけていた体を鮮やかにターンさせ、風呂場へと迷いなく突き進んだ。

 そんなに距離もないのですぐに辿り着き、浴室でなにやら思いに耽っている一誠を確認するや、

「イッくん、たっだいまーっ♡」

 と、語尾にハートマーク付きの声を上げながら、躊躇せず抱きつきにかかる。

 が、長い付き合いからその行動を察した一誠は、抱きつかれる寸前に身体をずらし真咲のハグから逃れた。

 そして狭い浴室で追い詰められることを回避するように、真咲の入ってきた引き戸を反対側から開け、さっさと浴室から出て行ってしまう。勿論引き戸を閉じることも忘れはしない。

「んもー、イッくんのいけずーっ」

 浴室にひとり残された真咲から、背に投げかけられる非難の声など無視してリビングへと立ち去っていく一誠。

 何事もなかった様なその態度から、これがこの家での日常的なやりとりなのだろう。


「あー、そうそう。今日、サニー・ベル見たよー。しかも結構近くで。動画も撮っちゃった」

 楽しい食事も終わり一誠が風呂へ行きしばらく経った頃、残ったふたりがリビングで思い思いのスタイルでくつろぎの時間を過ごしているとき、真咲が思い出したように言った。

「え、どこでどこで? 見せてー」

 と、身を乗り出して食いついてきた継実に、

「表通りの洋菓子屋のとこの交差点、そ、歩道橋のあるとこの。あそこでトラックと乗用車の衝突事故があってね、乗用車の運ちゃんが押しつぶされた車に閉じ込められててさ、警察とかまだ着いてなくて、大丈夫かなーとか見てたら、いつの間にかサニー・ベルが現れてて、車のドア引っぺがしてひん曲がった車体とか無理やりこじ開けて、運ちゃん助けてた。それがこれ」

 言葉を返しながら真咲は羽織っているカーディガンのポケットからスマートフォンを取り出すと手早く操作し、目的の動画を表示させ、それを継実の方へと向けて見せた。

「おー、写ってる写ってる。こんなカッコしてたんだねー、あたし見たの初めて」

「あたしも空飛んでるのは何度か見たことあったけど、こんなに近くでハッキリ見たのは初めてだわ~」

「けっこうスタイルいいね。モデルさんみたいだ」

「身長はあたしと変わんないくらいだったかな? だけど胸とお尻のボリュームなら勝った!」

「比べるとこ、そこ?」

 などとふたりがワイワイと動画観賞をやっているところへ、風呂上りの一誠がリビングへとやってきた。

 スマホを眺めながらなにやら楽しそうにやっているふたりに向かって、

「サキ姉ぇ、ツグに変なもの見せないでくれよ? 教育上よろしくない」

 しれっとひどい言葉を投げかける。

「失礼な! あたしがいつツグちゃんに変なものを見せた?」

 心外だと顔と態度に表わせて抗議する真咲。しかし、

「小四の時は、BL小説シリーズで読ませてたし。去年は男性向け成人漫画だったよな。しかもどういう意図か義姉と弟の近〇相姦物ばかり」

 冷めた視線で一誠がそう指摘すると、あらぬ方向へ視線を飛ばし、"そんな事もあったかしらね~" などとごにょごにょと口を動かし弁解を始める。

 一誠はそんな真咲を無視し、継実に何を見ていたのかと改めて問いかける。

「サニー・ベルの動画。今日表通りで事故があったんだって。その現場サキちゃんが撮ったの。見る?」

 そんな説明をしてスマホを渡す継実。一誠はそれを受け取り、動画を再生する。

 スマホのさほど大きいとはいえない画面の中、思っていたよりも鮮明な画像で動くその姿。

 なだらかな凹凸のある細身の身体を、鮮やかな青のラインがいくつも走る、白を基調としたなにかの制服をアレンジしたような服装――ハッキリ言えばアニメやゲームキャラのコスプレっぽい――で包んでいる。

 二の腕や太ももなどの露出はあるが、清潔感のある白い服のせいか、それほど扇情的ではない。あえて言えば健康的なお色気か?

 腰まで届く流れるような黒髪。それをティアラを模したようなヘッドギアで抑えている。

 一応ゴーグルのようなものも備えられてはいるが、視界確保のためなのか、スモーク処理機能などは外されているようで、顔かたちがハッキリと見えた。

 細い眉に通った鼻梁、桜色の頬に珊瑚の唇。そして意志の強そうな切れ長の眼差し。

 継実がモデルの様だと言ったのが判る、かなりの美女だった。

「……これがサニー・ベル」

 画像を見ながら一誠は、頭の中で帰宅途中の裏道で見た、あの不思議な裸の女を思い浮かべる。

 あの時コスチュームこそなかったが、見れなかった顔以外の他の身体的な特徴、流れる絹糸の黒髪や、伸びやかな四肢、細身かつ女性的なボディラインなどは見事に当てはまっていた。

 ――あの痴女がサニー・ベル。

 つまり、光が消えた後に現れた、自分と同じ学校の制服を着た少女がサニー・ベルの正体と言うことになる。

 光がなくなる前後の姿を思い比べ、ふっと浮かんだ思いがぽろりと口からこぼれた。

「……ひどい詐欺だよなぁ……」

  ─────────────────────────────────────────────────────

 

『両親不在でも、楽しく明るく仲良くなくつろぎタイム。

 サキちゃんから見せられたサニー・ベルの動画。

 それを覗いたイチ兄ぃには何か思うところがあるみたい。

 サニー・ベルに触発されたのか、十年前の思い出を夢に見るイチ兄ぃ。

 思い出の存在、それはイチ兄ぃの初恋の人にして、

 百田の街、先代のスーパーズ、パッフュミィ・ヴィ。

 そもそも、スーパーズとは、いったいなんなのか?

 次回、「第三話 超常者について彼の知ってる二、三の事柄」

 サキちゃんのこともすこ~し判りますよ♪』

 (ナレーション・安生継実)


 次回へ続く。

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