第一章 彼と彼女が出会うまで

第一話 路地裏の痴女

 最寄り駅へとつながる幹線道路に沿うように並ぶ商店街。

 店舗先の歩道は表通りと呼ばれ、いつもそれなりに人の行き交いがあるのだが、その日の夕刻は普段以上の人出に溢れていた。

 人々はただ溢れかえっているのではなく、皆脚を止め何かを見ようとしているようだ。

 早い話、野次馬の集まりである。

 家人から頼まれた物を買うために駅前にある複合商業施設へと立ち寄っていた少年は、その光景を見て脚を止め思案していた。

 便宜的に少年と言ってはいるが、彼は子供ではない。

 背は結構高く体格も程よく引き締まっており、それを濃紺のブレザータイプの制服に包んでいる。

 その制服は近くにある公立高校のもので、学年で色分けされているネクタイは現二年生を示す深い緑色を締めていた。

 脱色も染めてもない黒のサッパリとした短髪に、わりと整った顔立ち。

 しかし、あまり穏やかとは言えない鋭い眼差し。

 吊り気味三白眼に小さめの瞳で先細りの眉の併せ技、その視線に捉えられたら、きっと睨みつけられているかの様にも感じられるだろう。

 一見やさぐれ系かと見てとられそうだが、制服を着崩してもいないしそれ系に有りそうな装飾品も皆無。

 手にしている学生カバンの厚みは細すぎず太すぎずで、当たり前のように教科書・ノート類を毎日持ち運ぶ、平均的な学生の様に外見からはうかがえた。

 少年が首を振って見渡すと道路の方も渋滞しており、野次馬の群れの向こうからパトカーや救急車のサイレンも聞こえてくる。

 どうやら少年が帰宅するために通ろうとしているルートの途中で、事故でもあった様子だ。

 これからの方針を決めるために、少年はもう一度辺りを見渡す。  

 今進もうとしていた表通りは既に論外、反対車線はどうかと視線を向ければ、こちら側と同じ様に野次馬が群れを成して歩道を埋め尽くしている。

 どちらのルートも無理だと確信するかの様にため息をひとつ吐き、やれやれといった感じで空いている側の手で頭を軽く掻くと、表通りからひとつ外れた、今は裏道となっている旧道へと広い歩幅で歩みだす。

 表通り側の商店群が増築やら改築を繰り広げた結果、古い道路規格で作られて元から狭かった旧道は、はみ出してきた建物の一部やらで細かな曲がり角が増え、入り組んだ迷路にも似た現状に。

 こちらの道を使うのは、その事実に慣れている商店の出入りの業者くらいのものだ。

 好き好んで日常的に通ろうとする者はほとんどいないだろう。

 少年も幼い頃に通ったわずかな記憶を頼りに歩いているが、若干不安そうなのは隠せそうもない様子である。

 しかし、入り組んでいるとはいえかつての生活道路、導線を見失わなければ大丈夫だろうと彼はガンガンと歩を進めていく。

 が、進んでいる最中、違和感を覚えだす。

 いくら普段は使う者が少ないとはいえ、現状の様に表通りが通れなければ自分と同じ様にこちらを使う者がいてもいいはずである。

 だが裏道に入る際に数人とすれ違ったきり、進む先で出会った者はなかったし、自分の後ろに続く者もない。

 違和感が異常へと変わりつつあるのを感じながらも彼は歩みを止めなかった。

 うろたえて留まるよりも、一刻でも早く抜ける方が賢明だと判断したからだ。


 そして、進んだ先でを見た。


 裏道に数多くあるブラインドになった角を曲がった先、裏道と表通りをつなぐ細い路地。

 その裏道側の少しだけ拓けた場所に、若い女の裸体が輝きを放ちながら宙に浮いていたのである。

 輝きを放つ、というのは比喩ではなく、実際に女の身体全体が仄かに発光しているのだ。

 また、宙に浮く女の周りを囲うように光の粒が飛び回っており、その相乗効果が眩さを深めていた。

 裸の若い女が光の球体に包まれて中空に浮かんでいるその状況に、少年は言葉を失っていた。

 というよりも、下手に声を上げればまず間違いなく覗きだと騒がれるだろう事を危惧しての対処だった。

 実際、故意ではないにしてもしげしげと見入ってしまっている訳で、その事実は言い逃れ出来そうにない。

 例え、相手が人気がないとはいえ、天下の往来で裸になるような特殊性癖を持っている女だとしても、である。

 まぁ、ピカピカと光りながら宙に浮いている、などという不可思議な現象は横に置いとくとして。

 ただ、なんとなくではあるが、声を上げていたとしても、相手は気が付きはしなかったのではないだろうかとも考えていた。

 辺りを気遣っている風には、とても見えないからだ。

 異常な状況下で異常なモノを見たからなのか、彼の思考は一周して波立たない水面のごとく、しごく冷静になっていた。

 その落ち着いた観察眼で宙に浮く女を改めて見る。

 照れや遠慮する素振りも無く、マジマジとガン見でだ。

 光のボールの中で、艶やかに広がり波打つ長く柔らかそうな黒髪。

 すらりと伸びた健康そうな四肢。

 かなりの細身ではあるが、女性らしさを程よく保っている裸身。

 女の左後方から斜めに見ている少年からは、頬のなだらかなラインくらいしか判らなかったが、その髪、その身体につりあうかんばせをしている事だろう。

 単純に綺麗だなと少年は思った。

 聖人君子ではない、むしろ高校二年生、やりたい盛り真っ只中の年頃だ。

 友人たちには枯れた男などと言われているが、人並みに性欲は持ち合わせているつもりである。

 だが事ある毎に逆セクハラをかましてくる傍迷惑な存在が身近にいる事で、性的な欲求を押さえる術は上手になっている自覚があった。

 隠れて欲望を昇華する事にも慣れてしまっている。

 そういう事を玩味しても、眼前の光る女に対して劣情は抱かなかった。

 出来の良すぎる芸術作品に欲情しないのと同じ事だろうと、自分を納得させる少年である。

 けして件の傍迷惑な存在から幾度となく罵られている様に、不感症や不能な訳でははないのだ。

 そんな事はない、勃つ時はこれ以上はないほどに勃つ。

 むしろ十代男子の平均値以上だと、自慢出来る逸物だと自負している。ソースは水泳の授業時の、男子更衣室での秘密の比べあい。

 何かおかしな方向へと思考を流しつつ少年がボーっと眺めていると、女に変化が始まった。

 絹糸のごとく細くしなやかな腰まで流れる黒髪、その毛先が白く輝きながら消失していく。

 艶やかな黒から灰色へと色彩を変えながら短くなっていき、うなじに届く辺りで赤みの強い茶色に。

 髪の質も変わっており、細くしなやかな絹糸から強く腰のあるナイロンザイルへと。

 そして身体の方も変化する。放つ光が強くなり、骨格から変わっていくのが見て取れた。

 伸びやかだった手足は幾分か短くなり、肉付きもよくなって、二の腕なんてプルプルしている。

 髪の毛以上に劇的に変わったのは胴体で、明らかに縦へと縮み、皮下に蓄える脂肪の量が増えていた。

 増量が顕著なのが女性を女性たらんとしている部位、胸と尻だった。

 小振りだった尻は骨盤のサイズから大きくなり、実に日本人的などっしりとした安産型に。

 少年の位置からは、うかがい知る事も出来ていなかったつつましげな胸の膨らみは、ウソの様なオーバーサイズへと変わり、その存在をこれでもかとばかりに誇らしげに主張している。

 身体からの発光が収まると、そこにはポッチャリ体型をした赤毛ショートカットの少女の姿があった。

 肉体の変化が終わると今度は光球を形成していた光の粒が、少女の身体にまとわり着き、衣類を生成し始める。

 先ずは下着類。ボトムは青系統のツートンカラーが爽やかな印象を呼ぶシェイプアップタイプのショーツが、トップスは清純な白だが、実用性が際立つラージサイズのフルカップ。

 肌着のキャミソールもブラに合わせてか白だが、こちらは幾分かオシャレに襟や裾など、縁の部分にレースが多く使われている品だった。

 その上に白いブラウスが作られ、襟元には臙脂色のリボンタイらしきものがチラリと見えた。

 さらにすごく見覚えがある、濃紺のブレザージャケットと同色のプリーツスカートが重ねられる。

 ふくらはぎ中程までの黒ソックスと、多少くたびれが見られるアイボリーの運動靴が生成されると、少女は中空から大地へと静かに降り立つ。

 すかさずスカートのポケットに手を入れ、携帯を取り出し、何か――おそらく現時刻だろう――を確かめると、足元にいつの間にか存在していた学生鞄とキャンパス地のトートバッグを慌てながら掴み上げ、足を踏み出してそこから立ち去ろうとする。

 が、なんの障害物のなさそうな場所にも係わらず、何かにつまずいたかの様に倒れ掛かり、勢いで手にしていた鞄とバッグを放り出す。

 口の開いてしまったバッグから中身が盛大にぶちまけられる。

 地面に散らばったあれやこれを、わたわたと拾い集めバッグに収めなおし、鞄とともに掴みなおすと、今度は足元に注意しながら、路地を走り出し表通りの喧騒へと消えていく。

 少女の姿が消えた後、少年は彼女がいた場所へゆっくりと赴き、去った方向をしばらく見つめる。既に表通りへと抜け出しており、その姿はない。

 何事もなかった様に振り返り、帰宅を再開すべく道を進もうとした時、視線をふと下へ落とすと、その場に似つかわしくない物体があった。

 それを手に取り拾い上げる少年。

 彼の手のひらにすっぽり収まるそれは、使い込まれてふちが毛羽立っている折りたたみ式の手鏡。

 いわゆるコンパクトで、黒いプラスチック製の上蓋に褪せた蛍光オレンジのシールが貼られていた。図柄は太陽をコミカルに擬人化したようなキャラクター。

 少年にはその図柄が妙に見覚えあるモノに見え、確かめるかの様にキャラの下側に並べられたアルファベット文字を目で読みあげていく。

 N、I、C、H、I、R、I、N、K、A、M、E、N。

「……にちりんかめん」

 小さくこぼすとやっぱりかという顔になり、ひとつ深いため息をつきながら、手の中にあるコンパクトを上着のポケットへと突っ込んだ。

「……落し物、か。一年だよな、あれ……」

 自分の着ているものと同じブレザージャケットに、一年生を示す臙脂色のリボンタイ。

 やれやれと思いながら空いている手で頭を軽く掻きつつ、自宅へと向けて歩みだす。

 進んでいくと、思い出したかのように裏道へと回り道をしてくる通行人が増えていった。

 こちら側へと侵入を拒む、そんな人払いする何かがあったのだろうと少年は思考をめぐらせ、あの少女へと答えが行き着く。

 "何か厄介事に首突っ込んでしまったかなぁ……。"

 表面上はそんな気持ちをおくびも出さずに、無表情なまま家路を辿る少年であった。


 


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『帰り道の途中、全裸で宙に浮く怪しげな痴女を目撃した俺、安生一誠あんじょう いっせい

 痴女はどうやら同じ高校に通う一年生のようだ。

 その痴女が落としたと思しき奇妙なシールの貼られた手鏡を拾う。

 どうしたものかと思いながら帰宅する俺を待っていたのは兄思いな妹。

 そして時間差で帰ってきた、だらしのない姉もどき。

 ひと時の団欒の後、姉もどきから俺が見せられたものとは?

 次回、「第二話 とある家庭の日常風景」

 家風呂はやっぱりガス釜式が一番!』

 (ナレーション・安生一誠)


 次回へ続く。

 

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