二話 ヴァラン・オヴドル
①
◆
「いッ……痛う……!なんて力……!」
──意識と共に痛覚が全身に浮上する。
痛い。全身が鞭で何度も打たれたような激痛が走り、頭が揺さぶられる。
風操魔術だろうか。村のオーナたちが起こす風の何百倍も強い暴風だった。
他人の体を操ってあの力なら、本人はどれだけ強いのだろう。
「(ッ、とんでもない奴が敵にいる……!あんなのを相手に、どう立ち回れば……!)」
身震いが止まらない。
寒さなどではなく、あの魔術師そのものに対する畏怖がそうさせた。
もし、あいつがホーロンの兵士たちをトランの村に差し向けたら?
村の人たちはどうなる?シュヴルは?
きっとヴァラン・オヴドルは兵隊を近くに潜ませている。まだ皆何も知らない。
早く知らせないと。逃げろって伝えないと。
直後、そう離れていない場所から、悲鳴が聞こえてきた。
「今の声、アミリー!?しまった!」
全身を蝕む痛みの熱が失せた。あの声、まさか獣に襲われているのでは。
……あんな奴におびえてる場合か!アミリーとブジを探さないと。
私は無理やり身を起こし、声の方へ這いずる。
薙ぎ倒された木々に囲まれ、アミリーは頬から血を流しながらも、倒れている大きな体に縋っていた。
ブジだ。頭から血を流し、意識を失っている。アミリーは私に気づいて、おろおろとふらつく足に鞭打って、私にしがみついてきた。
「ぶ、ブジが……私を庇って……!一緒に吹き飛ばされて……!」
「落ち着いてアミィ。けがは浅いね。ブジは生きてる?」
「き、気絶してるみたい。心臓は動いてるけど、頭を打ったみたいなの……」
「治癒術は?」
「私、治癒術使えない。火の系統だから」
「ごめん、そうだった。周囲に探知と獣避けを撒いて。蘇生術の要領でブジを治してみる」
「う、うん!」
指示を受けて、やっとベゼルは冷静になり始めたようだ。
魔術の依代となるランタンを掲げ、生命探知と獣避けの魔術を広げる。
彼女の紡いだ声が小さな炎となってランタンに灯り、ぽんぽんと跳び出して、小規模だけど結界を張った。
これでしばらくは、ベルンの森の獣たちに襲われることはない。
「手順覚えてる?」
「なんとか……はーっ、集中しなきゃ……」
今のうちに処置をせめば。
私は己の親指をナイフで切り、血でブジの顔に術式を書く。
蘇生術といっても、私が使えるものは大したものじゃない。死にかけている人の生命力を無理やり私の力で底上げして、生命活動を促す術だ。
頭の傷は深い。私の生命力を急いで分け与えないと、命に関わる。
「アミィ、プラスチックある?」
「わ、私のカバンの中に!」
「ありがと、借りるね」
私はベゼルがいつも持ち歩いているカバンから、プラスチックの乾物を取り出した。
見た目と色も相まってレンガみたいだ。
味と食感は本当に最悪なんだけど、カロリーとしては下手な食事より高い。
これを気合で噛み砕き、無理やり雪と一緒に頬張って飲み下す。
吐き気がするけれど、食べた瞬間に体がまた燃えるように熱くなってきた。血のめぐりが早くなり、冷えた体に熱がどっかんどっかんと火山みたく湧き上がる衝動が巡る。
「ナ・ブジ、こんな所で死ぬな!私、もっと貴方と話がしたい!アミリーと仲直りしてほしい、だから……!」
祝詞を唱え、ブジの頭に手を置き、術式を発動させる。
私の体を介して、掌から生命力が熱となり、ブジの頭部に巡っていく。
酷い打撲と裂傷が、少しずつだけど、録画映像の逆再生のように癒えていく。この様子なら、多分命は繋げられる。
ブジが何者かなんて知らない。でも自分を嫌っているはずのアミリーを、わが身を挺して助けてくれた。
死なせるもんか。まだ聞きたいことが、知りたいことが、言いたいことが沢山ある。
『──おや、生きていたのですか。運に恵まれた方々ですね』
耳に直接まとわりつく、声。ゾォッと内臓が冷えていく。
赤い靄が再び辺りを満たす。ヴァラン・オヴドルだ。おそらく風の魔術で私たちに直接語り掛けている。
アミリーも声を聞いたのか、ヒッと息を飲んで周囲を見回す。底知れぬ悪意は、冷えた空気に混じり満ちている。何が目的だ?
『しかしナ・ブジは手負いときましたか。楯突かれると少々厄介でしたが、勝手に弱ってくれるとは好都合。このまま貴方達には、森の糧となっていただきましょうか』
その一言に誘われるかのように、小さな地響きが聞こえてくる。
かなりの重量を支え、死を運ぶ足音だ。息遣いが白い霧となって、赤靄を消し去り、血の臭いが濃く鼻腔を刺激する。
……まさか。この足音は。こんな時に限って!
「グルルルル……」
「う、嘘でしょ!こんな時に……!」
この唸り声と足音の主は──あの若い雄のベルーガだ!
食事中だったのか、牙と口の端から、ちぎれた肉とまだ新鮮な血が口から漏れ出ている。
最後に見た時より、一回り体が大きく、筋肉が盛り上がっている。
獣避けの炎が放つ光を吸い込んで、ベルーガの目が爛々と輝いた。
『その若いベルーガは私の
ベルーガは己を攻撃した者を敵対者と見なし、八つ裂きにするまでついて回ると聞く。さて、どれほどその命が持つかな?』
ベルーガが激しく吠えたて、ヴァラン・オヴドルの気配が消えた。
明らかにこの魔獣は、私たちを餌としか見ていない。
最悪のタイミングだ。通常、蘇生魔術を展開している間、術者はその場を動いてはいけない。
戦力は唯一、火の系統の魔術を使うアミリーだけ。今襲われたらひとたまりもない!
アミリーの目は恐怖の色に染まり、とてもじゃないけど戦いを挑める状態じゃない。
そもそも戦ったことなんてないだろう。
「(こうなったら荒技だ!)逃げるよベゼル!走れるかい!」
「ええっ、でも蘇生術かけてるのに動いて良いの!?」
「大丈夫、蘇生術をかけている間は相手に触れてさえいれば問題ない!動くと体力使うけど、今は四の五の言ってらんないよ!アミリー、いつもの「あれ」お願い!」
「ああもうっ、あれ使うのすっごくイヤだけど……仕方ないわね!」
私はブジを背負う。ずしっとした重みが私の背にのしかかる。
多分220ポンド(約100kg)くらいだろう。
狩人の修行でいつも魔獣や家畜たちを背負ってきたお陰で、さほど重石には感じない。若い魔獣は、私たちから逃走の気配を感じて、身構えた。
ベルーガという獣は極端に目が悪い。
動き回るものをその場で捕まえるのは得意ではない代わりに、獲物をひたすら追い回し、疲れたところにトドメを刺すという習性がある。
「
アミリーは私の意を汲んで、魔術を発動させた。
ランタンに灯る炎の色が緑に変わり、ベルーガの鼻先に飛び込んでいく。
直後、ベルーガの鼻の中で、ぽんっと小さな爆発を起こした。
途端、辺りには吐きそうなほどの悪臭が漂い、ベルーガは「ギョエエエッ!」と凄まじい悶絶の声を上げ、その場でドタバタとのたうち回り、鼻を押さえる。
泣いているのは気のせいじゃないだろう。
「うっひょお、いつ嗅いでも強烈な「臭い火弾」!これ何の臭い!?」
「この間うっかり嗅いだ村長の屁の臭いよ!ごめんねベルーガ!」
臭い火術、ベゼルのお得意の魔術だ。
記憶にある限りの「強烈な悪臭」を炎に変えて相手に浴びせるというもの。
暫くあのベルーガは鼻が効かなくなることだろう。音だけでこのベルンの森の中、獲物を探すのは至難の業であるはず。
私たちはその場から脱兎の如く走り出す。
ベルーガから距離を取るためにも、ひたすら森の奥へと駆けていった。
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