────間。

場違いな雪が、しんしん、と降り始める。

三時間もあれば、すっぽりこの辺りを雪で覆うことだろう。

ブジは、なんともいえない表情だ。私も鏡で見れば同じ顔をしていただろう。

「あー」とブジが間の抜けな声を漏らし、言葉を探している間、ベゼルは畳みかけるように続ける。


「私知ってるんだから!薬術師の中には、高額で雇われて子供や若いオーナを攫う悪い奴等がいるってこと!催眠術や麻薬を使って虜にして、人攫いたちに売りつけるのよ。貴方もどうせそういう連中の類でしょ!」


途端。ブジの表情が固まって、金色の瞳に憎悪や激情に似た色が燃え上がる。

遠くから覗き見ている私ですら、その色に気圧されそうな程だ。

アミリーもその変わりように気づいて、さっと顔色を変える。けれど負けじと肩をつっぱって、ブジの恐ろしい目と睨み合った。


「それに私、他にも見たんだから!貴方の背中、ボロボロで傷だらけだけど、うっすら月の焼き印があったわ」


ちょっと待てアミリー。それって裸も見たってこと?いつ?もしかして着替えを覗いた?

顔筋が無意識にひきつる。ブジの表情は変わらず、冷え切ったままだ。


「あれって夜の国ホーロンの印でしょ。夜の国に属する人たちが必ず付ける印があるって聞いたことある。白状したら?貴方、ホーロンの密偵なんでしょ!」


そこまで言い切った直後、突然、ブジがぼそりと何か呟いた。

周囲に熱が集まり、一瞬空気が吸い込まれるようにブジへと走る。

そして彼は手を上げた。指先に光が集結し、魔術文字を描く。呪文をぶつける気だ。私は弾かれたように二人のもとに走っていた。


「きゃ……!」


「駄目」と言いかけた瞬間、呪文が宙を跳んだ。

そしてアミリーの脇を掠め、森の入口近くにある茂みに飛び込み、何かに直撃する。

バチュンッと質量あるものが撃ち抜かれる音と、血の臭い。

続けてくぐもった悲鳴の後、アミリーの背後でばたんと何かが崩れ落ちた。ベゼルは飛び出した私を見て目を見開いているし、私はブジを見ていた。

呆然とする私たちをよそに、ずんずんとブジが音の方へ近づいていく。


「ジョ、ジョイナ!?どうしてここに」

「星朝期間はオーナが外出ちゃいけないって知ってるでしょ。お説教はあと。それより無事でよかった」

「……ご、ごめんなさい……」


俯くアミリーを、私は力強く抱きしめた。

彼女を叱るよりも先に、確認しないといけないことがある。

ブジはずるり、と茂みから何かを引っ張り出した。見慣れない装備を着込んだポリマン人だ。

けれど、ブジがその人物をひっくり返した途端、アミリーが息を飲んだ。

呪文で破けて弾け飛んだ服の下、背中の肌には、月と線の模様、動物の牙を模したような意匠の焼き印が浮かんでいる。


「この紋章……ホーロンの軍人よ!月と牙以外の模様があるってことは、正規の軍兵じゃないわね」

「密偵だろうな」 


ブジが感情を伺わせない声で低く唸る。

密偵は気絶している。私は持っていた縄で密偵を縛り上げた。

早く村の皆に密偵のことを伝えないと。

密偵がこのベルンの森にいるということは、ホーロン軍は周辺のどこかで待機しているはずだ。


「この印は知っている。魔術師ヴァラン・オヴドルの所有物だ」

「ヴァラン・オヴドル?」 聞いたことのない名前だ。

「とても邪悪な魔術師だ。夜の国を拠点として、リーバ大陸に争いの火種をばらまいているいかれ野郎さ。色んな種族の優秀な個体を集めてコレクションにする趣味もある」

「……詳しいのね」 


アミリーが問うと、ブジは抑揚のない声で返した。


「俺も昔、奴の奴隷だったんでな」


それ以上は、何も聞けなかった。聞けるわけがない。アミリーは沈痛な面持ちで、一言「ごめんなさい」と告げた。

この世界で奴隷の身の上と知られることは、手痛い不利益に繋がる。

どこかの国で奴隷として扱われたという証拠や記録がある以上、その人はどの国に赴いても一生奴隷以上の階級には上がれない。

ブジの背中には焼き印があるといっていた。直接見てはいないけど、その焼き印はきっと奴隷の証なのだろう。

彼は奴隷の証を背負い、ずっとこれまで過ごしてきた。この世界で奴隷として生きてきた過去は、口にすることだって苦痛であるはずだ。


『懐かしい声がすると思っていたら、やはり貴方でしたか。ナ・ブジ』


不意に、背筋が泡立つような不気味な声が響いた。

全身から恐怖を引きずりだすかのような、根源的恐怖を煽る何かの気配が漂っている。

ブジとアミリーも、その声が放つ気配に、ぶわっと汗が噴き出る。

声の主は、気絶したはずの密偵だ。縛られたままで、虚ろな目のまま、密偵の口から直接音が漏れているかのようだ。

ブジは密偵を見下ろし、歯軋りして震えを堪える。


「この気配……ヴァラン・オヴドル!」

『私の子飼いによくも傷をつけてくれましたね。このポリマン人、若さと魔力の質が良かったから、お気に入りだったというのに』


密偵の周囲を、赤い靄が漂う。刹那、靄は刃となって密偵の縄を切り裂いた。

魔術を使ったわけではない。ただ魔力を凝結させ刃物代わりにしただけだ。

こんな現象は滅多に起こらない。力が目に見えるほど凝集して色彩や形状を確認できるということは、この魔力の主は相当の実力者ということ。

特に赤色の魔霧を出せる者は稀だ。密偵という傀儡を通してでも、いやでも伝わってくる。

──ヴァラン・オヴドルは、強力な魔術師だということが。

けれどブジは、恐怖を微塵も出すことなく、密偵越しにヴァランに吼える。


「目的はなんだ。トラン村の制圧か?」

『トラン村?ああ、あの辺境のド田舎村。あそこのポリマン人はよき働き者で肉体労働向きだから、是非とも労働力としてほしいと宰相たちが喚いておりましたね。

特に狩人でしたか。彼らは戦闘力が高いそうですね。制圧した暁には、彼らを新たな兵士として迎え入れてもよいでしょう。……ああ、ここまで話したのはよくなかったですね』


ヴァランの声は感情の起伏が読めない。

傀儡となっている兵士を介しているからか、嘲笑っているのかも、怒りがあるのかも、興奮しているのかも全く分からない。それが余計に不気味だ。

密偵は腕を振り上げる。ブジが同時に手を突き出した。


『消えていただきましょうか』


直後、多面体結晶が連なるような半透明の盾が出現し、ブジや私たちをあっという間に薙ぎ払う。

避ける暇すら与えてくれなかった。暴風と共に、私たちは森の中に吹き飛ばされる。

みるみる密偵の姿が遠ざかり、木々と植物たちが私の横を掠めていく。

受け身を取るより早く、樹木に勢いよく体を叩きつけられ、私は一瞬にして意識を手離していた。


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