「あの!貴方、ここで何をしているの?」


私が声をかけると、男はぐるりと私の方を向いた。

言葉が通じるかの不安より、まず男は私に対して指先を突き付けてきた。

先ほどの魔術を使う気だ!

咄嗟に私は両手を差し出して「降伏」のポーズをとる。男は私の行動に驚いてか、魔術をあらぬ方向に飛ばした。

ばちゅん!と凄まじい音とともに、木の一つに大穴が開く。……なんて術を使うんだ。私の頭に風穴を開ける気か?


「お前さん、何者だ」


男は低い声で私に問いかける。酒焼けしたような声だ。

見慣れない服装だ。少なくともムドランの服じゃないことは分かる。ムドランで黒を着ている人は未亡人か憲兵隊くらいのものだけど、彼はどうもそのどちらにも見えない。

私は勇気を出して、耳を覆い隠している毛皮製のカバーを外した。

これを人前で外すなんて、いつぶりだろう。

彼は私の耳を見て、はっと息を飲んだ。


「……人間マンか。久しぶりに見た。こんな僻地に一人とは……奴隷か?旅人か?」

「いいえ、私はトラン村の住民よ。村長シュヴルの子、名はジョイナ。

森の入口で車を見つけて、貴方を追いかけてきたの。もしかしたらベルーガに襲われるかもって思って……」

「そうか、配慮に感謝する。だが不要だ、俺はそれなりに強いからな」

「……そうみたいね。でも無事でよかった、……ねえ、貴方、異世界人よね?」

「ああ。……お前もそうか」


やっぱり!歓喜で心が震える。

同じ丸い耳に出会えることが、こんなに嬉しいだなんて。


「この世界に来て3年経つわ。貴方は?」

「20年くらいだな。もっとも、落ちてきた時間から数えて、だが」

『ねえ、英語は使える?』

『英語、フランス語、ドイツ語、アラビア語、ペルシャ語を諸事情で学んだ』

『すごい!』


ああ、母国語が通じる。懐かしい言葉でなんてことない会話が出来るだけで、涙が出そうだ。

男は私を興味深そうにじろじろ見つめた。

私も負けじと男を見返した。顔立ちを見る限り、歳は三十代半ばくらいだろうか。

顔に小さな傷がいくつか刻まれていて、苦労がそのまま皺に刻まれているみたいな顔だ。過酷な半生がそのまま目つきに現れている。

しばらく私を見つめると、男は少し私から身を引いた。


「俺のことはナ・ブジと呼んでくれ。訳あって旅をしている。村長の子といっていたな。人間なのによく迫害されなかったものだ」

「シュヴルは私を匿ってくれているの。私が人間って知っているのもシュヴルだけよ。とても優しいポリマン人なの」

「そうか。……まあこんな僻地だ、人間を知らん者が殆どだろうな」

「悪かったわね、僻地で」


じろり、と私が睨むと、ブジは「すまなかった」と悪びれることなく返す。

悪い人じゃなさそうだけど、デリカシーもなさそうだ。

ブジは改めて緑水晶の方に視線を向けた。私もそれに倣う。

それにしても大きな水晶だ。100フィート(約30メートル)くらいはあるだろう。

私は殆どベルンの森を訪れることはなかったから、こんな水晶があるだなんて知らなかった。

ブジは水晶にかかった雪を手で払う。私もつい、それを覗き込んで驚いた。

緑水晶に、見え辛いけれど字が彫ってある。しかもこれは……私のよく知っている言葉だからだ。


「え、なんでニホン語がここに?」

「ほう、読めるのか」

「うん。私の国の言葉だもん。貴方は読めないの?」

「読めるとも。生まれはイギリスだが、妻が日本人だった」

「へえ~私はニューヨークだよ」

「? ……そうか。勉強したんだな」


ナ・ブジの態度はちょっと図りかねたけれど、要は私に感心してくれたらしい。

改めて、私は緑水晶に刻まれた言葉をじっくり読む。

ニホン語は三つの言語がなる言葉だ。カンジ、カタカナ、ヒラガナ。

この組み合わせを使う人間は、今のところニューヨークとニホン、南国諸島の一部の人たちだけだ。

かなりマイナーな言語らしいけど、言葉も共有できる人だという事実が無性に嬉しい。


「えっと……」


──碑に刻まれし文を読む者よ。これは警告である。

あるじに相応しき核の血によって、骸は夜に吼える獣として蘇る。

主の魂のとなりて、刃となり、翼とならん。

骸は決して目覚めさせてはならぬ。主が悪しき魂である限り、この骸は禍となりて人々を喰らいつくすだろう。


書いてあることは読めるけど、内容に関してはちんぷんかんぷんだ。

詩的な警告文、ということくらいしか理解できない。

私がぽかんと横で間抜け面を晒していると、ナ・ブジは溜息をついて立ち上がった。


「マナ・クォーツの活性反応を見てここまで来たんだが……無駄足だったか?」

「マナ……なんて?この緑水晶のこと?」

「おっと。さて、どこまで話したものかな」


ブジは悩ましげな顔でぶつぶつ呟く。

一方で、ブジとベルーガを警戒していたロッシャチが、やっと私の元まで歩み寄った。

ベルーガは一向に目を覚ます気配がない。白目を剥いて、呼吸をしているあたり、気絶させられているだけのようだ。


「ねえ、今の見たことない魔術、あれは貴方の独学?」

「まあそんなものだ。君は魔術は嗜んでいないのか」

「浮遊術とか、身を清める術とか、腐速の術とか、その程度だよ。魔術を覚えるのってオーナが大半でしょ。私は村の中じゃオード扱いなの。必要な生活魔法だけ覚えてるだけ」

「成程。ならこの地では極力、人に魔術を見せびらかさないようにしよう」


そう告げると、ブジは緑水晶から背を向け、歩きだす。

私はロッシャチに跨り、ブジに「乗る?」と尋ねたけれど、にべもなく断られた。

ブジと私はジプシーまで戻る。辺りはすっかり夕暮れ色だ。

今は昼がとても短い期間だから、夜があっという間に来てしまう。


「ジョイナ。お前の村の村長に会いたい。図らってくれないか」

「シュヴルに?」

「色々、森の緑水晶について聞きたいのでな」

「そりゃいいけど。代わりに貴方の話も聞かせてね」

「……答えられる範囲でよければ」


私としても、せっかく出会えた同じ「人間」だ。

なるべく色々聞きたいし、元の世界に帰る手段を彼が知っている可能性だってある。

シュヴルは歴史に詳しいし、ムドランの事なら何でも答えられるだろう。

問題は、私がこんな時間までぷらぷら歩き回って、獲物の一匹も捕まえていないこと。

手ぶらで帰ったらシュヴルの機嫌を損ねることは目に見えている。


「ちょっと狩ってからでもいい?あなたの分の肉も採らなきゃ」

「いや、俺の分は構わずに……」

「そういうわけにはいかないんだ。客人の肉は招く人が採らなきゃなんないの。

 それに、貴方の耳」


ずびし、と私はブジの耳をつっついた。丸くてちょっと潰れた耳だ。つつかれて驚いたブジの顔を見て、してやったりな気持ちになる。


「その耳。ちゃんと隠さないと、村で大騒ぎになっちゃう。村に入るなりぐるぐる巻きにされるのは、ちょっとイヤでしょ?」

「む……」

「待ってて、すぐ材料を取ってくるから」


私はなるべく大きな樹木を探す。古い大木には、「ファファン」という大型の鳥類が営巣していることが多い。

時期的に、今は若鳥の巣立ちも終わっている頃だ。頭上を飛び交うファファンの姿をみとめ、私は落ちていた大きめの石ころを拾う。

石をしなやかなベルトに括って、手の中でくるくる振り回し──標的に向けて投擲。

空高く勢いをつけて吹き飛んだ石は、見事ファファンの頭部に直撃。

失神したファファンが雪の上に落下する。


「おお、見事だ」

「でしょー。私、狩りなら得意なんだよね。百発千中!狙った獲物は絶対外さないんだから」

「成程。この世界の人間は身体能力が高まるというが、君のような人物は稀だ。君の師は、よく君の才能を引き伸ばしているようだな」


褒められると、悪い気はしない。

それに、穏やかな笑みを浮かべるナ・ブジを見て、私は直感的に「この人はきっと良い人だな」と感じ取っていた。こういう勘は絶対当たる。

私は手早くファファンの毛皮を剥ぎ取り、水で洗いつつ毛を除去する。

それから、予め水筒に詰め込んでいた「渋」に漬け込んで<腐速の術>を使う。腐速の術は本来、肉を早く腐らせて土に還すための魔術だけど、皮をなめす時の応用にも使える。狩人にとっては必需の呪文だ。

それから耳に合うサイズに加工して、簡易的な耳当てを作って手渡した。


「はい、どうぞ」

「器用なもんだ。君の歳で、投石ひとつでファファンを一撃で仕留める狩人は見た事ないよ」

「ふふん、鍛えてますから。それに私、この世界に来てから鍛えてるもの。まあ、それでもまだ狩人衆の爺さんたちには負けるけどね」

「その若さでベルーガ一匹を相手に立ち回る胆力があるだけで、十分すぎるくらいだと思うがな」


そんな会話をしながら、ナ・ブジを連れ、私は村へと戻った。


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