④
ぼう、ぼーう。
頭上から聞こえる、空気を震わせる音に、私は思わず天を仰ぐ。
何のことはない、空を「汽車」が走っているだけのこと。
蒸気機関車というんだったか。黒と赤を基調とする車体と、連結した巨大な車両が、宙を走っている。
この世界では見慣れた光景であり、常識だ。
「いつ見ても、なんか不思議な光景だなー……」
けれどこの世界にある汽車は、頭上を走るもののほかに数台しかないし、車といえばこの世界における「レスパート」と呼ばれる鉄の塊だ。
シュヴルから聞いた話だが、この世界で車(レスパート)は珍しいわけではない。
ただ、誰が作ったかも分からず、ただぽつんと車だけが放置されている。
どういう仕組みで動くかも、誰がいつ、なんのために作ったかも分からない。
この世界の住民たちはレスパートを拾ったら、とりあえず動かなくなるまで走らせてみたり、ばらばらに分解して武器や防具、アクセサリーなどに作り替えるそうだ。
「あ、やば。来ちゃダメって言われてたのに……」
ロッシャチに止まれ、の合図をする。
私たちは気づけば「ベルンの森」まで走ってきてしまっていた。
ベルンの森は、捕獲・討伐困難な魔獣が多く潜む森だ。巨大な木々が密生し、緑結晶という鉱石が多くとれる場所だ。
一人前の狩人でも、まず3人以上でないと入ることは許されない。
特に今の時期は、猫に似た魔獣ベルーガの繁殖期。今頃、雌と食欲に飢えたベルーガがうろついているに違いない。
……相当、頭に血が上りすぎた。ベルーガの厄介さはよく知っている。
戻らなくては。ロッシャチに合図しようとして、私は森の出入り口に奇妙なものを見つけた。
「……あれって、車?」
じ、っと見つめ、確信する。
学生時代にネットで見かけた、「ジープ」というタイプの車両だ。
天井が開きっぱなしだけれど、雪は積もっていない。
そっとジープまで近寄る。深緑色の車体で、タイヤは丁寧に手入れされている。
車体はまだ温かい。つまり、誰かが乗って、この森まで来たのだ。
綺麗なジープだ。私はそのことが引っかかった。
普通の住民たちは、車を見つけたところで手入れなんかしない。動力が何かも分からないし、そもそも綺麗にして乗り回す発想がないからだ。相当の変わり者か、あるいは──この車の「扱い方」を熟知している人、ということになる。
どくん、と心臓が跳ねた。
ふと見ると、ジープの後部座席には、大きなガラス製の黒い樽に似たものが置かれてある。
ロッシャチが胡乱げな目をして、くんくんと樽のようなものを嗅ぐと、いやそうな顔をした。何が入ってるのか気になって、私もくん、と嗅いでみる。とたん、またどくん!と心臓が跳ねた。
「これ……ガソリンだ!」
この世界に、ガソリンなんてないはずだ。そしてこのジープはガソリンで動く旧型の車両。
つまり、この車の乗り手は、正しくジープを動かす手段を知っていて、その動力を搭載して、旅をしている何者か、ということ。さあ、っと血の気が失せる感覚とは裏腹に、私自身は異常なまでに興奮していた。
異世界人だ。私と同じ異世界人がいる!
「ロッシャチ!奥までひとっ走りお願い!」
私はロッシャチの首をやや乱暴に叩く。
不満げに嘶きながらも、ロッシャチは素早く森の中を走り始めた。
鼻息を荒げながらも、注意深く足跡を探す。幸い、この辺りはぬかるんでいて、足跡は残りやすい。
……見つけた。どう見ても人間の靴の足跡。サイズは9インチ(靴表記で29㎝)ありそうだ。
結構大柄な男なのだろうか?どこから来たのだろうか?
「どこ行ったんだろう?そう遠くまで離れてないはず……!」
異世界人が近くにいる。私と同じ世界から来た誰かが、すぐそばに!
私は独りじゃなかった!その誰かに早く会いたかった。その人は他の異世界人を知っているだろうか?私と同じニューヨークから?それとも別の国?
色んな事が脳裏を巡った。
そして同時に「早く会いたい」という気持ちが私自身をせかし、視野を狭めていた。
「ブルィン!」
「うわっ!どうした、ロッシャチ?」
ロッシャチが荒々しく上半身を下げる。これは威嚇と警戒のポーズだ。
咄嗟に視線の先を見て、息を飲む。かなり距離はあるが、森の奥深く、大きな緑水晶の前に──「それ」がいた。
白い毛皮、森の木々と大差ない巨体。下に曲がった牙からは、ぽたぽたと食欲の唾をたらしている。大きな銀色の目がぎょろぎょろと、獲物を探している。
「(しまった、ベルーガ!縄張りに入っちゃったのか!?)」
ベルーガだ。かなり大きい。
白い毛皮に、特徴的な斑点模様があまり見られない。
多分、若いオスだ。オスのベルーガは、年を経るごとに模様が増えていく性質がある。もし私たちが風上の方にいたら、あっという間に見つかって追いかけまわされていただろう。
「(まだ生まれて2、3年そこら……しかも流れのオスだ。新しい縄張りをここに決めたのかな……?)」
ベルーガは群れない。縄張り意識が強く、互いの縄張りに入れば殺し合いになる。
ここ3年、ベルンの森にはベルーガが居なかった。
おそらくこの若いベルーガは、新天地を求めてこの森に辿り着き、ねぐらとして決めたのだろう。刺激しないよう退散したいところだけれど、私には異世界人に会うという目的がある。
一刻も早く、あの車の主を探さなくては。
そもそもなんだって、こんな何もない森にジープなんかで訪れたんだろう?
「(……って!嘘でしょ!?)」
視線をもう一度ベルーガに戻した時、我が目を疑った。
なんとベルーガの目と鼻の先に、誰かがいる。
背丈はかなりあるが、全身を黒い服と外套に身を包んでいるから、性別なんて分からない。
こんな森に迂闊に入る人物なんて、あの車の主しかいないだろう。
当然、ベルーガも気づいていた。早速ベルーガが巨大な口を開け、その黒ずくめを頭からがっつり喰らわんとした。
「危ない!」
私は咄嗟に、背負っていた矢筒から矢を取り出し、射出する。
キィンと鼓膜を震わせる音が空を裂き、ベルーガの足元に突き刺さる。
殺意を感じ取ったのか、獰猛な捕食者が私を捉えた。果たして逃げ切れるか。はたまたいちかばちかで、戦いを挑むか。
二の矢を注ぎ、相手が構える前に額めがけ穿つ。直撃。当たりはしたが、矢がへし折れてしまった。
ベルーガの額の硬さは承知の上だ。だがこれで完全に、相手は標的を私へと変えた。
「グルルゥ……」
「よしッ、こっちを見たな。来い、お前の獲物はこっちだ!」
後退して距離を取りつつ、私はベルーガを誘導しようとして……けれど。それは叶わなかった。
黒ずくめの人物が手を上げ、指先で宙に何かを描く。
指先から迸る光が記号を描いた途端、宙に無数の光の弾丸を生み出し、一斉にベルーガの全身を貫いた。
あ!と叫ぶ間もなかった。けれど貫いた弾丸は、ベルーガを傷つけたりはしなかった。ベルーガの体には傷一つつけず、けれどベルーガは白目を剥いてばたん!と倒れてしまった。
「……すご。いまの、魔術……!?」
黒ずくめは己の頭巾を外した。……丸い耳、鼻は鷲鼻だけ顔立ちは整っている。
男だ。間違いない、人間の男。
金色の目に黒い髪。彼はベルーガを跨いで、緑水晶の周辺をうろうろと歩いている。
私は思わず、ロッシャチから飛び降りて、彼の元へと駆け寄っていた。
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