トラン村は、ユルゲンという小さな国の外れにある、それなりに大きい村だ。

人口はもうすぐ五桁ほどになるが、まだ町とも言い難い程度の共同体である。

「バル」と呼ばれる暑い季節以外は大抵雪が降り、作物は寒さに耐えるためにとても固くて栄養のあるものばかりが育つ。そのため、トラン村では根菜の栽培と酪農が盛んだ。

因みにどれだけ寒いかというと、バナナが1分でカチコチに凍る程度の寒さ。

私もこの寒さに適応するまで、かなり時間がかかった。幸いにして、極寒のせいかばい菌の類はあまり繁殖せず、おかげで風邪の類は殆どひいたことがない。


村人たちは酒を嗜むから、血気盛んだ。狩りと子育てはオードの役目、農業はオーナの役目。

私は実家が農家だったから栽培の方が得意だと主張したけど、シュヴルは私を狩人として育てた。有無を言わさず、3年間厳しく鍛えられたせいで、弓とナイフの扱いは一人前になった。

おっかない大型魔獣との闘い方も教わった。

シュヴル曰く、私は狩人のほうが才能があると見出したそうだ。

お陰様で、隣村までの帰り道の山中で大吹雪に見舞われても、一週間は一人で生きていけるだけの能力は得ている。

村の人たちは「狩人の五本指なんて、きっと神様が私たちに遣わしてくださった天の使いなのだ」と有難がる。

正直照れくさいけど、悪い気はしない。


「さてジョイナ、来月でお前も20歳。そろそろ結婚を考えるべきだ」

「うげ」

「なんじゃその顔は。お前も、この村に住んで3年。帰る当てがないなら、ここを里にすればいいことじゃろう」

「そりゃあそうだけど、私としては家に帰りたいというか……」

「儂はお前に名をつけた。お前は儂の子になった。3年、狩りと農、言葉と作法と土地を学んだ。もう立派なトランの民。耳患いの5本指だろうと、お前を拒む村人はおらん」


私のジョイナという名前は、シュヴルに貰ったものだ。

本名は別にあるけれど、シュヴルの言いつけで、村ではそう名乗っている。

身寄りの知れないよそ者の私が、この村で生活できているのは、シュヴルに名をもらって「シュヴルの子」という肩書をもらえているからに他ならない。

ジョイナという名前は、村の方言で「雪原の獣」という意味らしい。

黒と灰、白の色合いの牧畜獣だそうだ。見せてみらったら、ハスキー犬によく似ていた。

でも私は黒混じりだけど金髪だし、肌は褐色なので、むしろ私は「荒野のひよこ」、などが似合うと思う。

私は、種の分類上ホモ・サピエンス、つまり人間に分類される。

この村ではたった一人しか存在していないし、シュヴル以外は、村の人たち私が人間だと知らない。

いずれこの村に留まり続ければ、私が人間だとバレる日がくるかもしれない。

そうなれば、村から追い出され、珍獣としてハンターたちなどに捕まって見世物にされるか、奴隷となるか、マニアコレクターのコレクションの一つとして陳列するか。

あまり良い未来が待っているとはいえない。

シュヴルだって、それは分かっているはずだろう。


「そうよジョイナ、皆あなたのことが大好きよ。

ジョイナが来て3年、大吹雪が村を襲わなくなったし、作物はよく実るようになった。プルが病におかされず子供を沢山産んで、トランの周りの森で猛獣も殆ど出なくなったから、狩りで死ぬ村人も殆どいない。

これまでのトランで無かった「奇跡」がたくさん起きてるわ。あなたという五本指が来てくれたおかげだ、って皆思ってるくらいなのよ」

「た、ただの偶然だよ」

「いいえ!ジョイナ、貴方がトランに現れたことは、きっと運命なのっ!

 ねえ、ここを離れるなんて寂しいこと言わないでよ。他の人と結婚するのが嫌なら、私としましょう?私ももうすぐ20歳になるわ。ジョイナだって私のこと、大好きでしょう?」

「えええっ、い、いや、それとこれとは話が違うというか……」

「いいじゃないか。アミリーは村一番の器量よし、魔術も一番多く覚えている。

 アミー以上の良いオーナなんて、この辺りじゃ居らんだろうに」


アミリーの目は宝石みたいにキラキラ輝いている。

駄目だ、この分だと、私が何を言っても結婚の一点張りだろう。

くそっ、シュヴルめ。アミリーを朝ごはんに誘った理由はこれか。

そもそも私は体も心も女だし、第一人間だ。

人間とポリマン人に子供が作れる確証だってないというのに、好き勝手言いやがって。


「あのさあ、私のことオードとして見てるんだったら諦めてよ!その、子作りの部分がないんだからさ。アミリーは子供欲しいんでしょ?他のオードと結婚した方がいいって!」

「私が持ってるから大丈夫よ、ジョイナ。子供を作るのは確かに不安でしょうけど、私、ジョイナとの子なら欲しいわ」

「うぎゃあっ!?嫁入り前が何言ってんのッ!ハレンチハレンチッ!」

「ハレンチ……って何?」

「エッチって意味!」

「エッチ……ってなに?悪い意味なの?」

「ぬあーっ言語の壁ぇ!とにかくッ、結婚なんてしないから!私は村を出て、ちゃんと帰るべき場所に帰るのッ!二人で勝手に私の将来決めないでよッ!」


私はたまらず、テーブルを叩いて、家を飛び出していた。

癇癪を起こすと家から飛び出すのは、幼い頃からの悪癖だ。

私と3年暮らしたシュヴルも慣れたもので、「夕飯までには戻れよ」と背中に声をかけるばかり。

「待ってジョイナ!」というアミリーの声がしたけど、無視してやった。今はカッカと熱に浮かれた頭を冷やしたい一心で、私は馬房に向かう。

馬房は村で共有している大きな建物だ。中では「トタンガ」という、馬に似た動物を飼い繋いでいる。

トタンガは前足が獅子に似ていて、歯は鋭く、頭部は馬とヤギを掛け合わせたような姿をしている。もっぱら運搬を主に手助けしてくれる生き物だ。


「やあ五本指、また癇癪?」

「そうよッ!一人になりたいから邪魔しないでねッ!」

「はいはい。ああでも、ベルンの森には近寄るなよ?最近、若い大型のベルーガが辺りをうろついてるらしいからな」

「ご忠告どうもッ!行くよロッシャチ!」


馬房の主であるべべと軽く会話を交わし、私は愛馬のトタンガに跨って走り出していた。

村を飛び出し、白くどこまでも広がる雪原を駆け抜ける。

バルの風はまだ吹くことなく、生き物の姿はない。

広陵とした白い景色を、トタンガの鋭い蹄で跡をつける時は、すかっとした気分になれる。


ただただ、走りたかった。

プラスチックも食べられない私。

五本指の私。

私はこの小さな世界で、たった一人の人間だ。


けれど今の世界で、五体満足でいられて、おいしいご飯を三食食べることが出来て、猟の腕前を認められて、求婚までしてくれる女の子がいる場所は、トランしかない。

村の人たちは私を五本指と有難がってくれる。

私は幸せなはずなのに、ニューヨークに帰りたくてたまらない。


トランを大好きだって心と、帰りたい心。

矛盾する二つの心が、3年経った今も、私の頭を掻き乱している。


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