第14話 運命(さだめ)に生まれし者

 ・・これはどういうこと?


 軽いめまいを覚える。時系列がうまく整理できない。私が訪れたあの街がこの看板に書かれている街のことだとしたら、私は過去にタイムスリップしたということ?それとも未来に飛んだ?私がいる時間軸があやふやに溶けていくような感覚を覚える。少し落ち着いて記憶を遡る。私があの街に訪れる前はいつだったのか。いや、時間の流れは正常だ。あの街を訪れる前と、今は全く不整合はない。とすると、私は何かの拍子に未来に飛んだことになる。しかしどれだけ記憶の糸を辿っても、心当たりは無かった。私が桜の咲く道で自分の後ろ姿らしき映像を見たそのあと、彼の夢を気がする。なにかあの夢の前後に時間の流れがいびつになったような気がした。そんなことを考えていた私の前に、ひらりとピンクの花びらが舞ってくる。その花びらを見て、私の記憶は彼と出会った場所に舞い戻っていく。


 -新人研修で初めて彼を見た時、自分の心が大きく動くのがわかった。ずっと探していた人を見つけたんだと、すぐにわかった。これまで感じことのない心の動きにどうしていいかわからなかった。彼といろいろな話がしたかった。だけど彼は忙しいそうで、なかなかきっかけを掴めないでいた。でも仕事の会話などで、少しづつ、彼との距離は縮まっていった。そして、あのイベントの夜、彼も同じ気持ちでいてくれたことがわかった。うれしかった。何もかもが満たされて、世界が眩しくみえた。彼のいろんな側面をみて、ますます彼のことを好きになった。このままずっとこの幸せな時間が続くと信じていた。でもそれは叶わない願いだとわかっていた。彼に隠していることがあった。私には未来の映像が時々見えることがあった。正確には、未来に起こりうる可能性のすべてが、まるで無限に並ぶ箱の中に映し出され、私はそれらを一瞬で認識することができた。でも決して見てはいけないものなのだと思った。未来を知れば、生きる希望を失う。だからその能力は使わないように生きてきた。意識すれば、その映像を見ないようにコントロールすることができた。だけど、彼との未来を覗かないでおくことは不可能だった。彼との幸せは信じているけど、もし不都合な未来があるなら、予め避けて通りたい。そんな気持ちに抗うことはできなかった。・・・しかし、私が彼の傍にいる未来は、彼が不幸になる未来だった。どの可能性の箱を覗いてみても、すべて同じだった。不幸の形は違うけれど、彼に不幸が起こることは不可避だった。どうして?どうして私が傍にいると、彼が不幸になるの?私はやり場のない憤りをどうすることもできなかった。都合よく、こんなのは当てにならないと思い込もうともした。でもその能力は、絶対だった。私にできることは一つだった。彼の前から消えること。お腹の中にいる新しい生命とともに。彼の前から姿を消したあとも、ずっと彼のことを想い続けた。むしろ彼への想いは強くなるばかりだった。会いたい。その胸の中に飛び込みたい。優しく包まれたい。叶わない想いを遠くの空に映し出すことしかできかった。次第に、私は自分の記憶があいまいになっていくのを感じた。だれかと話していても、別の記憶が突然割り込んできて、その続きを話すものだから、相手との意思疎通は困難になった。そのような症状が強くなるにつれ、人と会うことを避けるようになっていた。生まれた子供を育てることが難しくなり、実家に預け・・・そのあとはうまく思い出すことができない。記憶が不連続で、何が現実で、何が夢なのか、あるいは想像や妄想なのか、きちんと区別できない。すべてが灰色の景色にいっしょに溶けて混んでしまったような、そんな感覚だった。断片的な記憶の中で、シスターの姿をした女性が徐々にその輪郭を現し、頭の中で像を結ぶ。シスター・クミコ。いえ、大いなる調和に仕えし者。私は彼女と言葉を交わしている。蝋燭の火が静かにゆらめく、あの祭壇で。


 ―あなたは、あなたに還った人を愛してしまったのよ


 ―お願い。一度でいいの。あの人に会わせて


 ―あなたがなすべきことは他にある。お戻りなさい。世界の調和が乱れる前に


 そこで映像は途絶える。私は花びらが舞ってきた方向をみる。少し先の小高い丘の上に、一本の桜の木が、見事に咲き誇っているのが見える。私は誘われるように、その桜の木の下に向けて歩き出した。

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