第13話 夢の名残り

 気付くと私は見知らぬ場所に立っていた。それまで自分が見ていた景色のあまりの変化に、私は思わず、小さな悲鳴をあげそうになる。ぎゅっと自分の手を握りしめようとした。でも意識に反して、その手は動いてくれない。慌てて周囲を見る。床屋、本屋、100均ショップ。私の前後に居並ぶ人たち。その行列の先頭にいる人は床屋の前にいた。開店待ちをしているらしい。どうやら私もその行列に並んでいるようだ。状況が全くわからない。混乱し、心臓の激しく脈打つ音が聞こえる。落ち着くように自分に言い聞かせる。もう片方の手にはスマホを持っていた。見覚えのないスマホ。相変わらず、手の感覚はなく、自分がスマホをもっているという感覚も無い。すぐに私は、自分の姿を鏡に映したくなった。直感的に、私は私ではないと思ったのだ。しかし思うように体が動かない。まるで金縛りにでもあったみたいに。視覚からの情報だけが次々に入力されてくる。目の前を多くの人が通り過ぎていく。もちろん他人に意識を向けているような余裕はない。しかし、ふと一人の女性が私の前を通り過ぎた。なぜか注意がそちらに向く。その後ろ姿。あれは・・私?なぜかはわからないが、間違いなくあれは若い頃の自分自身であることを悟る。その彼女のポケットからなにかが床に落ちた。淡い黄色のハンドタオル。すぐにわかった。昔、私が持っていたハンドタオルだ。その女性はどんどん遠ざかっていく。拾わなきゃと思った。拾って彼女に・・私に届けなければと。しかし体は動かない。焦りと苛立ち。次の瞬間、また世界がぐるりと反転する。


 最初に感じたのは肩に何かが掛かる重みだった。すぐに、前方に咲き乱れる桜の木々が目に入る。穏やかな日差しと温かい空気。やわらかい風。桜の花吹雪は、すぐそばを流れる川に雨のように降り注ぎ、その川面をピンク色に染めていた。混乱は続いていた。まだ動悸は激しいままだ。周りはスーツ姿の男女が淡々と無表情で歩いている。私も同じような恰好をしているのだろうか。ふと前方に、やはりスーツ姿の女性が視界に入る。新入社員が着用するような地味なデザインのスーツ。手持ちしている仕事の鞄。足元の黒ヒール。何もかも見覚えがある。就職活動のときから私が身に着けていたスーツ。見間違えるはずもない。追いかけなきゃと思った次の瞬間、足元でエスカレーターが作動する機械音が聞こえる。それと同時に私の意識はまたも遠くに飛ばされる。


「xxx君、そこにいるの?」


 伸ばした手は虚しく空をきる。次の瞬間、ハっと目覚める。部屋は深い暗闇に包まれている。枕もとの時計は2:30を示していた。冷蔵庫の低い機械音、遠ざかるバイクのエンジン音。既視感を覚える。今度は自分の意志に従って体が動く。洗面台に行き、念のため自分の顔を鏡に映す。なにも違和感はない。目の周りにうっすらくまができ、少し疲れたような私。いつもの私。すぐに記憶を探る。やっぱりこの感じ・・以前にも体験した気がする。えっと・・この後どうしたんだっけ・・わたし。目をぎゅっと閉じ、必須に思い出そうとするが、眉間のあたりがズキズキするだけで、何も浮かんでこない。ベッドに戻る気にもなれず、リビングのテーブルに突っ伏した格好になる。記憶の糸がすぐそこまで伸びてきているのに、なかなか掴むことができない。テレビをつける。無意識にリモコンを持ち、次々とチャンネルを変える。教会の映像が流れる。厳かな礼拝が執り行われていた。そうだ・・あの教会。あの場所。どうやって訪れたのか。私は必死になって記憶を探る。そうして私は思い出す。そのあとは一睡もしないまま、ただ夜が明けるの待った。


 始発に乗ってすぐあの場所に向かいたい気持ちで一杯だった。でもあまり時間が早すぎると教会が開いていないかもしれない。夜が明け、市井の人々の活動が増えて来る時間まで待ってから、その場所を訪れることにした。

 中央線は車両トラブルでダイヤが大幅に乱れていた。こんな時に・・焦る気持ちを抑えながら、車内のドア付近にじっと立っていた。電車から降りると急ぎ足で改札口に向かう。もやのかかったような記憶を頼りに西口を出て、昭和の街並みを抜け、急坂をのぼっていく。早歩きからほぼ駆け足のような速さだった。息が切れる。しかし息苦しさよりも、一刻も早くあの場所を訪れたい気持ちが勝り、私を前へと突き動かす。大きなカーブとが見える。そうだ、あの先にあの街があるはず。一気に駆け上り、バックミラーのその先を見渡す。


 ・・・そこに私が記憶していた街の姿は無かった。目の前に広がるのは、更地や空き地、ところどころ、無造作に木々が生い茂り、雑草が伸び、秩序のまるで感じられない風景だった。もちろん、あの時計塔の姿は影も形も無い。私はガードレールを掴みながら、ただ茫然とその光景を眺めていた。


 とにかく教会のあった場所に向かおうと思った。一度急坂を下り、家族連れで賑わっていた、あの丘があった場所へと急ぐ。しかし、丘の上は、ただ雑草が生い茂るだけの空き地だった。きれいに整備された広場はそこに無かった。気づけば、額や首回りは汗で湿っていた。空き地を進む。しかし教会へと続く森の道はそこに無く、ロープが張られ、その先は切り立つ崖になっていた。引き返す。辺り見回す。大きな看板が見えた。

「xxxx年、緑とやすらぎの街、完成予定」

 看板に大きく書かれたその一文は、私の頭をぐるぐると回り続けるだけで、しばらく理解できなかった。看板を見つめたまま、茫然となる。

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