6:取戻す(2028.8.15.)

 現在、寿の姿はそのままに、超高速で時間を駆け抜け、おそらく同じ姿の未来の和子の体に呼ばれている。正確には、未来の和子の地点での「再読み込み」の発動である。一気に流れ込んできた情報でわかる。


 思えば25年前、リセットと声に出して言ったかもしれない。少し判った。私のタイムリープは、「写真」によって、発生したのだ。そのコマンドは音声認識。予め整然とプログラムされているシステムではなく、「コマンド直打ち」扱いで。


 平たく説明しよう。もし、システム作成者が一般人でもわかりやすく詳細まで作りこんでいたら、最初の場合、イベント発生時に、空間にゲームによくあるシステムウィンドウが開き、

「リセットしますか」

「はい/いいえ」

と選択肢が出て、矢印等で選択し、決定ボタンを押して初めて四次元でのリセットが作動するところだ。

 しかし、このシステム作成者は何も表示しないシステムを空間に置いている。しかも、そのシステムは人に見えない、見せないだけで動作はしているのだ。なので、そのシステムがもし目に見えるようになっていたとしたら、イベント発生時にコマンドプロンプトが宙に出ていたのだ。そして、「私」の声紋:音声認識で「リセット」命令が入力され、実行された。今回については「リロード」だ。


 ちょっと、ひどくない?私は、私の意志で「リセット」「リロード」をしたわけではない。確かにPCをリセットするときにリセットって言った。また、写真の裏面に書いてあった単語リロードを何気なく読み上げた。しかし、だ。私にとっては偶発的な事故だ。

 ただ、特殊な例外といえるのは、寿=和子であったから、そしてシステムも同一人物と判定したから、起きたことなのだろう。めったに起こることではないと思うが、開発者は、同一人物の判定の条件が甘い。それとも転生まで考えた上での故意だろうか。


 私の「再読み込み」と、考察の終わるのと、アルバムが先程の写真を最後に止まったのは、同時だったろうか。私には一瞬もしくは数分だったが、他人の時間が半世紀単位で違う事は、前から分かっている。


---

 訪問を告げるベルが鳴った。写真とアルバムを拾い、机の上に置いた私は、玄関で幸寿を出迎える。和子50歳での同じ姿、幸寿を待つ時間が条件付けされていたようだ。


「早すぎたかな、手伝う事あるかと思ってさ。」

「いらっしゃい。私も今、整いました。」

 変なキメ顔で応えた黄色い訪問着の私をみて、75になる白髪の幸寿の目が、感極まり、潤んでいる。

「…和ちゃん?いや、お袋だ…」


「あんたが作ったシステムでしょ。」

 寿和がよくやっていたように、べんと私は幸寿の頭をこづく。


「そんな、転生させて意識を50年未来に飛ばすなどという仕組みにはしてないよ。」

 あの時は確か、写真に宿る思いをトリガーにして適した命令を提案し、実現するというものを作ったんだけど?と首を傾げる幸寿と共に、私は車で会場に向かう。


 現在の私は寿on和子。自分全ての時系列を覚えているから、人間として、イレギュラー感この上ない。私が思い出にこだわる人間であったなら、二回目の和子の人生50年分が一瞬の再読み込みで片づけられることに、憤りを感じたかもしれない。

 いや、寿にとって、二回目の和子の人生は一瞬だったが、この体の和子は和子で、寿の経験を知らないまま、普通に50年生きてきたのだ。最初の和子の世界とは違う、パラレルワールドの、寿が50年生きた後の人生を。二回目の和子の人生と、最初の和子+寿の人生のどちらが「再読み込み」だったのか。私としてはどちらでも構わない。寿は私だし、和子も私だ。ただ、和子としては、二回目の和子のほうが、皆が幸せのように思う。


 1978年の幸寿の誕生日に、忽然と姿を消した寿に、家族は驚き、嘆き悲しんだが、元々「いつ何があっても、今を生きよ」と育てた甲斐あり、皆自分の人生を駄目にする程には落ち込まなかったようだ。そして、ほどなく生まれた和子が、まるで生まれ変わりのように寿に激似(振り返れば本人だが)だったことも幸いした。和子は皆に愛されて育った。

 なお、寿の教育方針が、「子供に、親や先祖の価値観を押し付けるのはもっての外、本人の適性を最大限発揮できる環境を準備し、個性を伸ばすべし」であったためか、寿似だから寿のコピーになれと強いられることはなかった。寿和の教育方針もぶれず、和子-現在の私-は幼少期にミュージカルを見た感動から、音楽の道に進み、ミュージカル女優として生きている。


 さて、寿和だが、残念だが、現在、この世にはいない。私のリセット前に、そもそも死んでいたことが関係あるのかもしれない。しかし、一回目の和子の記憶では2023年に享年75で没していたところが、2028年に享年80で没と、寿命が5年延びたところは喜ばしい気がする。そして、寿和は晩年の癌を回避できなかったものの、直さない手術を受けず、自宅でQOLを大事に生きる選択をした。

 医者に何とかしてくださいと言えば、彼らは技術的に何とかすることを考えるだけで、それが、理想的な延命につながるわけではない。医者に何とかできない領域もあるのだ。本人が幸せに生きられるかどうかは、本人しか選択できない。

 介護サービスも、体が衰えだした時から、話の分かる適切なケアマネージャについてもらい、自分の嗜好に正しく合った処を、適切に利用することができた。死の際まで尊厳を持った人間として、出来ることを最後まで楽しんだ。


 葬式に代わる本日の「写真家:数奇寿和を偲ぶ会」は寿和自身のビデオメッセージで始まる。年齢も、病魔も、寿和から深みを増したチャーミングな笑みは奪えなかった。


「いい人生だった。」


 ビデオの寿和の音頭で一同は乾杯し、歓談は留まる事を知らず続く。初盆、微笑む遺影の寿和に、何度もなみなみと日本酒が注がれた。



 

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