2:整理す(2023.4.21.)
家は混沌で、来訪は迷惑だ。父が死んだという事実の衝撃だけではない。死んだ日を境として、家族の世界はまさに一転する。反転といってもいい。死迄は看護・介護という現世に留める努力、死からは除籍をはじめとする故人を現世から消去する作業。
もう、必死で現実にくらいついてきた。父が死んでからは、淡々と作業をこなした。死後二週間では、社会に対する体裁はできていても、内側の余裕はまるでない。
だが、幸寿は、現時点で唯一、断ってはならない叔父だ。入院していたとも知らず、唐突に、実の兄が死んだといわれれば、気持ちの整理がつかないだろう。
「しゃーない。やるか。」
私は何事も、おざなりの対応はしない。まずは、遺影のある部屋だ。人を招ける様、片付ける傍ら、父の幼少期の家庭環境を紙に整理する。
<和子 父系事情>
祖父:和幸(1925~1978)
・祖母:寿(1928~1953 )と子2人儲ける
父:寿和(1948~2023 )/ 叔父:幸寿(1953~ )
・1955年、和幸、見合で悠子と結婚
・悠子に子1人生まれ、5人家族になる
叔父:悠三(1956~ )
悠子:死期は忘れたが、普通に長生きして没する
そう、面倒なことに、父には継母と腹違いの弟がいたのだ。
ありがちな話。悠子は実子をかわいがり、父達元の兄弟を苛め抜いた。叔父の幸寿は、実母が自分の出産と同時に死んだのもあり、余計居心地が悪かったのか、早々に家を飛び出した。父は自分が長男なため、身動きできず、虐待されても居続けたようだ。ただ、この時、形成された性格は、一生涯、変わらなかった。まさに死ぬまで。
父は祖父と同じ公務員となり、職場の人の紹介で母と結婚した。
上記の話は、私は父から、一言も聞いたことがない。母から聞いた。だから、本当かどうか、私はわからない。でも、間違ってはいないと感じる点は多い。
私は幸寿叔父に一度も会ったことがない。逆に、悠三叔父については、父に金の無心をよくするという、悪い意味でよく知っている。父と血のつながりのない悠子の葬式の費用まで、父に請求したと覚えている。しかし、遺産相続は、祖父が死んだ時点で行っている筈だ。法的に悠子の養子になっていない父がお金を払う必要があったのか。苛められ体質が身についてしまい、不条理な要求でも、場を無難に済ませるため、何も言わずに我慢して済ませたのだと私は推測する。
私はこんな父の生き様に賛同しない。いろんな面でまさに貧乏くじと感じた。だから、来訪する幸寿氏と、話せる思い出がない。
私は、父のアルバムをばらばらとめくった。
写真自体は膨大にあるが、どれも能面である。もう一種類出てきたが、作り笑いだ。…娘の私が、仕事上、嫌な相手に贈るのと同じ口角なのだから。
全部見た。しかし、場所・年齢・写り具合は違えど、能面と作り笑いの二種類だけだ。予測できたが、徹底して全てが外面、内面がひとつもない。
大事なものが何一つないということはないだろう。ただ、もし、隠さなければならなかったとしたら…
私ならここか。
ボスっ
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