第11話 七日目 1


 いつしか、空の闇が薄くなりかけている。夜明けが近いのかもしれない。


 岩にもたれて、僕らは明けていく海を見つめていた。美月さんがスマホでスティーブンに連絡を取った。救助隊はもうすぐやって来るだろう。

 風はなかった。鏡のような水面が、徐々に青に染まっていく。きれいだった。


「何を言っても信用してくれないだろうけど」

 背後の岩にもたれかかっている美月さんが、弱々しい声を上げた。

「ほんとに安曇の居場所は知らないのよ」

「ああ、信用できないね」

 僕の横で体育座りをしている首藤が、返す。

「できるわけないだろ。いい加減、安曇の居場所を言えよ」

「知らないって言ってるでしょう?」

「安曇は君に殺されかけたと言っていた」

 僕は言った。

「いい加減にして。アンダーソン島で安曇が落ちかけたとき、たしかにすごい動画が撮れると思ったわ。でも、だからって、殺人は犯さない!」

「安曇は怯えてたんだ。だから、君を出し抜こうと」

 僕は美月さんを振り返った。安曇はそのために、何か無理をしたんだろうか。

「スケイルマンの情報を持っているのは、ニックとアリキだけ」

 美月さんが呟く。

「そりゃそうだよな。その二人が変装してたんだろ?」

 首藤の声には刺がある。美月さんが僕らを騙した事実が許せないのだ。

「だとすると、やっぱりニックが言ったように、アリキと接触したのかしら」

「アリキに接触したとして、スケイルマンの変装を知ったとすると、安曇はかなり怒っただろうな」

 安曇はスケイルマンの存在を信じていた。でっち上げには我慢ならにはずだ。

「アリキに接触したとなると、アリキをあんなふうにしたのは安曇かもしれないわね」

 僕にはどうしてもそうは思えない。どんな諍いがあったとしても、安曇があんな酷い真似をするとは思えない。


「ブブはどうなったんだろう」

 安曇も探していたメアリーさんの飼い犬だ。ニックはブブを捕まえて、コモドオオトカゲの餌にしてしまったのだろうか。今となっては、ニックに訊くことはできない。

「安曇はブブを探してたとき、ニックに会ったのよね? とすると、ニックの家までの足取りは確かってことだわ」

 ニックの家は、湾に沿った海岸沿いにあるという。

「そこからどこへ行ったかよね……」

「君の計画では、今後、俺たちにどこでスケイルマンを見せようと思ってたんだ?」

 首藤の問いに、美月さんがバツの悪そうな目を向ける。

「今更聞いたって仕方ないでしょ」

「そんなことないよ」

 僕は口を挟んだ。

「次の場所をアリキが仄めかして、安曇が行ってみたとしたら」

「考えられるな。でっち上げだと知らないなら、信じて探りに行ったかもしれない」

 首藤が立ち上がって、美月さんに体を向けた。

「なあ、次の場所はどこのつもりだったんだよ」

 ふうっと美月さんは、ため息をついた。


「あの崖地よ」

「初日に行ったところか?」

 この島へやって来たその日、スケイルマンと遭遇したと思い込んだ場所だ。アリキに出会った場所でもある。

「そう。アリキが殺されて見つかった場所」

 僕と首藤は視線を合わせた。まずい事実が待っているのではないかと、首藤の目は言っている。

 ふいに、美月さんが立ち上がった。


「こっちよー!」

 声を上げながら、手を振る。

 僕と首藤も立ち上がった。

スティーブンだ。その後ろには、島民や制服を着たニュージーランド警察もいる。総勢七、八人だろうか。

 到着した彼らに、ニックの惨状を説明した。コモドオオトカゲを飼育していたのはニックで、そのコモドオオトカゲがニックを食い殺した、と。

 スティーブンは動揺を隠せなかった。これから彼には、山積みの仕事事が待っているだろう。輸入禁止の動物を島民が飼育していた事実を見逃した罪を責められるかもしれない。

 ニュージーランド警察も島民たちも、依然、安曇の行方を掴んでいなかった。

「一体、何から手を付ければいいのかわからない。島民の殺人事件に、観光客の失踪、そしてコモドオオトカゲの発見。どうしてこんなに凶事ばかり起きるんだ!」

 苛立ったスティーブンが、誰にともなく言う。

 島民たちが、持ってきた救急箱を開いて、僕たちの傷を手当してくれた。僕たちはそれぞれ、体のいたるところに切り傷や擦り傷をこさえていた。暗闇の中、岩が飛び出している荒地を闇雲に走ったのだ。軽傷ですんだのは、奇跡かもしれないと、島民の一人に言われた。コモドオオトカゲに襲われていたら、命はなかっただろうと。

 傷の手当てが済むと、僕たちは急激に空腹を覚えた。気を利かした島民が、バナナを数本持ってきてくれた。まだ青い、味の薄いバナナだったが、おかげで生き返った。

 僕たちが介抱されている間に、スティーブン一行が、小屋から戻ってきた。


「ニックは?」

 首藤の問いに、スティーブンが暗い表情で首を振った。

「酷い死に様だった」

 僕たちは重りを投げ込まれたように黙り込んだ。ニックの最期が想像できたからだ。断末魔の声も、まだ耳に残っている。

「ここも封鎖される。君たちは宿へ戻りなさい」

 スティーブンがそう言う間にも、警察官によって、慌ただしく無線のやり取りが行われ、辺りは騒然とし始めた。アリキの殺された崖地から応援部隊が来るという。

「こう立て続けにいろんな事件が起こっては、とても手が足りない」

 額に浮かんだ汗を拭いながら、スティーブンは言う。

「安曇の捜索はどうなるんでしょうか」

 僕は声を上げた。アリキやニックには申し訳ないが、彼らはもう息絶えている。だが、曇はまだ生きているかもしれないのだ。

「もちろん続ける。だが、そう人員は割けない」

 仕方ないとは思ったが、諦めるわけにはいかない。

「俺たちはすぐに安曇を探し始めます」

 首藤が言うと、美月さんもスティーブンに向き直った。

「島民のみなさんによる捜索隊の編成はおまかせします。わたしたちは三人でまず心当たりを探ってみます」

「心当たりの場所があるのかね」

 首藤が、アリキが殺されたワヒネの崖へ行く予定を話した。ワヒネの崖が、UMA出没の重要スポットであると、安曇がアリキから聞いた可能性があるからとも説明した。

 すると、僕たちの横で話を聞いていた警察官が、厳しい表情で言った。

「崖地には近づけないぞ。もう現場検証が終わってるが、封鎖されたままなんだ」

 それでも僕たちは行かなきゃならない。どんなことがあっても、安曇の行方を探し出さなければならないのだ。安曇を残したまま、日本へは戻れない。

 彼らと分かれて、その足でアリキの死んだ崖地へ向かった。誰もしゃべらなかった。これからどんな事実が明らかになるのだろう。その不安が口を重くする。

 アリキの死んだ崖地へ着くまでには、島の中心地ともいうべき場所を通る。役場や島民の家がまばらに建つ場所だ。どの建物も、森の奥に隠れているせいで、普通の村のように全体が見渡せるわけじゃないが、人々が押し黙って過ごしている気がした。まだアリキを殺した犯人は捕まっていない。今、島全体が、恐怖に怯えているのだ。

 リアムさんの家に通じる道も、メアリーさんの家に向かう道も通り越して、湾を望む尾根に近い道へ出たとき、美月さんが声を上げた。


「ね、あれ、見て」

 湾がぐるりと弧を描いている先端のほうに、煙が見えた。アリキが死んだ崖地とは反対側、海に向いて右手の方向だ。足を運んだことのない場所だった。

「何か燃やしてるんだな」

 首藤が目を細めた。

 煙は海岸から少し入った森の中から上っている。島民の誰かが魚でも焼いているのかもしれない。

 そのまま足を進めようとしたとき、視界に小さな影が入った。転がるように走る子どもの姿だ。


「ポエだ」

 僕はつま先立ちして、ポエの行く手を見守った。ポエは所在なさげに石ころだらけの海岸を歩いている。

「かわいそうに。あの子、父親を亡くしたのよね」

 美月さんが、沈んだ声で言った。

 アリキの後ろで怯えていた母子の姿が思い出された。これからあの母子はどうなるんだろう。仕事もない島だ。食べていけるのだろうか。

 ポエがしゃがんで、海を見つめ始めた。まるで誰かを待っているかのようだ。

「誰かを待ってるみたいに見えるわ」

 僕の思いと同じことを、美月さんが呟いた。ポエが待っているのは、父親かもしれない。まだ幼いポエは、海の向こうから父親が戻ってくると思っているのかもしれない。

 そう思ったとき、ポエが立ち上がって後ろを振り返った。僕たちに気づき、手を振る。

 僕たちは手を振り返した。すると、ポエは、こっちへ来てと言うように手招きを始めた。

「どうしたのかしら」

「行ってみよう」

 僕たちは山を下りて、海岸を目指した。


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