第5話
ポエが教えてくれた道順は、間違っていなかったようだ。
ふたたび足を進めていくと、水音がはっきり聞こえ始めた。
「おい、近いぞ」
首藤が弾んだ声を上げると、ポエが笑い、胸の前で手を振った。案内はここまでという意味だろう。
僕たちはポエに礼を言い、三人だけで進み始めた。
気づかないうちに、頭上の木々が割れていた。気温はこらえきれないほどに上昇し、湿気も我慢ならないほどだ。それでも、はっきり聞こえてくる水音が、僕らに元気を与えてくれた。
オオォと首藤の声がして、僕と安曇はぬかるんだ地面を駆けた。突然目の前の視界が開け、青緑色の池に出食わした。
「滝だー!」
安曇が叫んだ。池の大きさは、直径十メートルほど。その向こうに、迫った崖があり、水が流れている。高さは二十メートルはあるだろうか。細いが、勢いのある滝だ。
滝は緑の中に湧き出ているように見えた。滝のまわりに、鬱蒼と茂る草のせいだ。池と滝の間には、水しぶきに日の光が当たって、きれいな虹を浮かび上がらせていた。水しぶきは、虹のほうから、まるで光の粒となって、池のほとりまで飛んでくる。
「きれいだな」
感極まった様子で、首藤が呟いた。安曇もうんうんと頷く。首藤は信用できないだとか、友達じゃないだとかとこぼしていた安曇だが、滝の発見の興奮で、不信感など吹き飛んでしまったようだ
「天国みたいだ」
ほんとうにそう思った。世界の果ての島へやって来て、ほんとうによかったと思った。
「洞窟はどこだろう」
ポエは滝の裏側にあると言っていたはずだ。
「見えるか?」
首藤が体を前かがみにして、目を凝らす。
「もう少し近づかないと」
滝に近づくためには、ぐるりと池を回らなくてはならない。
安曇が歩きだし、僕と首藤も足を進めた。池のほとりといっても、僕らが知っている、公園にある池とは違う。どこからどこまでが水面なのか見当がつかなかった。足元は見たこともないような大きなシダで覆われ、頼りとなる突起物も見つからない。
足元を探るために、棒のようなものを探そうと、首藤が言い出した。それを杖の代わりにすれば、足を置く場所が確かめられる。
一旦、通ってきたほうへ戻ろうと話が決まった。適当な木を見つけて、枝を折るのはどうか。
そのとき、ふいに、安曇がシッと叫んだ。
「なんか、聞こえる」
「えっ?」
思わず僕と首藤は立ち止まった。
安曇は遠くを見る目つきをして、ゆっくりと後ろを振り返った。そして池を見つめる。
「なんだよ、何が聞こえたんだよ」
ふたたび、シッと安曇に制されて、首藤は口をつぐんだ。三人で顔を見合わせながら、耳を澄ます。
あれか?
そう言うように、僕は安曇の腕を掴んだ。うん。安曇が頷く。
キキッシュッ……キキッ。
確かに聞こえる。風の音じゃない。鳥たちの鳴き声でもない。かすかだが、何かをこするような高い音。強いて言えば、硬い鱗をこすり合わせたら、こんな音になるんじゃないかと思えるような。
「なんだ?」
と、首藤が眉間を寄せた。
「どこから?」
と、二人に訊いてみる。
「あっちじゃないか?」
安曇がわずかに指先を動かして、滝のほうを示した。
そうっと見てみた。水が落ちている滝壺の場所に、何かが動くのが見える。
大きい。青緑色の水の中に、大きな黒い影が動く。
鰐?
口パクだけで、そう二人に訊いてみた。
首藤が首を振る。
――もっと大きいぞ。
――二匹いるぞ。
「おい、スマホ!」
首藤が声を出した。あたふたと全員がポケットからスマホを取り出す。
と、バシャーンと水音が響いた。
「うあぁ」
叫んだのは、誰なのか。同時だったかもしれない。
その拍子に、僕はスマホを落とし、安曇は腰を抜かし、首藤はしゃがみこんでしまった。
「写真、写真!」
そう言いながら、拾い上げたスマホのカメラを起動させようとしたが、手が震えてうまくいかなかった。首藤も安曇も、闇雲にシャッターを押している様子だ。
黒い影は時折光った背中を見せながら、滝壺の辺りを旋回し、それからこちらに向かってきた。
「わあああ」
初めに駆け出したのは、首藤だった。
うろが来るとはこういうことを言うのだろう、息をつめたまま首藤の後に続いた。安曇もすぐ後ろを走ってくる。
何度も転び、泥にまみれながら、出口を目指した。とにかく森を抜け出したかった。
最低の気分。
着ているTシャツはびしょ濡れだし、サンダルは泥だらけ。
誰も口を利かなかった。喧嘩に負けたかのように、敗北感に打ちのめされている。
見つけたのだ。スケイルマンの存在は、もう疑う余地はない。それなのに、何もできずに逃げ出してきてしまった。
何度も濡れたスマホをTシャツで拭う。
とにかく準備不足だ。このままでは、スケイルマンに遭遇できたとき、手も足も出ない。
バサバサッと頭上で鳥の飛び立つ音がした。先頭を歩いていた安曇が、僕と首藤を振り返った。
「反省会が必要だな」
「そうだな。今日みたいなやり方じゃ駄目だ」
首藤が疲れた声を出す。
「役割分担を決めたほうがいいんじゃないかな」
僕の提案に、首藤が頷く。
「一人が前線になって、もう一人が続く。最後の一人がその模様を撮影する。それでどうだ?」
「いい考えだと思うよ。誰が前線になる?」
安曇が首藤に向けて顎をしゃくる。
「俺?」
首藤が顔を歪めた。
「なんで俺なんだよ」
「だっておまえがいちばん力があるだろ? 襲われる可能性もあるんだからさ、僕や峡じゃ頼りないよ」
襲われるという言葉に、明らかに首藤はうろたえた。
「冗談じゃないよ。武器もないんだしさ」
「武器かあ」
安曇が呟き、続ける。
「武器は必要だよな。動画ではわかんなかったけど、スケイルマンは獰猛かもしれないし」
あらためて、自分たちの計画不足が身にしみた。このままでは、UMA探索の雰囲気だけを感じて日本に戻るはめになる。動画をアップして一儲けしようなんて、夢のまた夢だ。
そのとき、何やら風景とはそぐわない音楽が聞こえてきた。歌だ。どこかで聞いた憶えがある。
聞いた憶えがあるのは当然で、聞こえてくるのは日本のJポップだった。女性歌手で、この春先流行っていた曲だ。
「なんで、あんなの聞こえてくるわけ?」
僕はつま先立ちして、前方を見た。
「家がある」
首藤が目を凝らす。
足を進めると、ヤシの葉の中に一軒の家が建っているのが見えた。音楽はたしかにそこから聞こえてくる。
安曇もつま先立ちになった。
「美月だ」
森の向こうの一軒家は、美月さんが宿として借りているリアムさんの家のようだった。
僕たちは足音を忍ばせて、建物に近づいていった。足音を忍ばせる理由なんかないのに、三人共示し合わせたように静かに進む。
建物の玄関が見えてきた。建物はメアリーさんの家とそう違いはない。アメリカ風の平屋造りだ。
玄関の前に四輪バイクが止まっていた。この島では乗用車の代わりに、移動には四輪バイクを使う。座席が三つあるタイプだ。
バイクのまわりにはゴタゴタと様々な荷物が積まれていた。どれも、探索用に用意されたものだと、ひと目でわかった。テントやシュノーケリング用の道具らしき物。初日、ニックと共に崖地へ行ったときよりも大掛かりだ。
音楽は家の中から聞こえてくるようだ。正面に大きく取られた窓が開け放たれている。
「それにしても、すげえ量」
首藤が呟く。安曇がチッと舌を鳴らした。
「あいつは何をやるにも徹底してるからな」
そして安曇は目を光らせた。
「何としてでも、美月より先に見つけようぜ」
「できるのかね。彼女は俺らと違って、スケイルマンがいそうな場所がわかってるみたいじゃん。彼女がスケイルマンを先に見つけて、それをSNSにでも投稿されたりしたら、俺たちいい面の皮だよ」
首藤の言い分は尤もだ。僕の頭の中に、島に来る前、壮行会を開いてくれたサークルのみんなの顔が浮かんだ。もし、彼女が先にスケイルマンをSNSにアップしたら、みんながっかりするだろう。しかも、見つけたのが、同じ日本人の、同じ年のしかも女の子であったとなれば尚更。
「はったりだよ」
安曇は言い放ったが、表情は不安げだ。
「協力し合おうよ」
僕は言った。
「そうだよな」
即座に首藤が賛成した。
「所詮は女の子だよ。島を歩き回るといっても、ちょっと海岸べりをうろつく程度なんじゃないの? 俺らと組んだほうが彼女だって絶対得だと――」
ふんと、安曇が鼻を鳴らした。
「わかってないな。美月はそんなヤワな女じゃないんだよ。あいつの行動力はすごいんだ。頭に描いた計画を実行する実現力ってのかな。そういうのがあるんだよ。中学のとき、学校の校庭の端っこが高速道路の建設予定地に計画されたことがあったんだけど、そのとき、佐藤は反対運動を起こしたんだ。反対運動は盛り上がってね、結局高速道路の建設予定地を迂回させ、学校の校庭は無傷のまま残された。美月ときたら、何千人も反対署名は集めるわ、県知事にまで面会を求めるわ。とても中学生の仕事とは思えない活躍をしたんだよ」
すげえなと、首藤は呟いた。
「しかも、美月は、それをほとんど自分一人で考えて、それをまた自分一人で行動に移しちゃったんだ。反対運動のメンバーには、当時の生徒会長やらなんやらいたけどね、おいてけぼりを食っちゃったんだ。それなのに、成果を発表するときは、メンバー全員の協力の賜物とか言ってさ。佐藤美月はそういうやつだよ」
ふむと、首藤は頷く。僕もなんと言っていいのかわからなかった。
「話だけ聞くと、いいやつじゃん」
「どこがだよ」
安曇が首藤を睨めつけた。
「だって、自分の手柄をみんなと共有したんだろ?」
はんと、安曇が息を吐いた。
「そうじゃないよ。あいつはね、最初っから、ほかのメンバーなんか数に入れてなかったんだよ。形だけのお飾りにしといて、自分の思うように事を進めた。それでいて、他人が見つけてきたり、提案してきたおいしいところはしっかり取り入れるんだ。その実行力は、大したもんだよ、確かに。だから、美月が起業して成功した話を聞いても驚かなかったね、俺は。だけど、美月の周りには、ないがしろにされて、馬鹿を見たと思うやつがたくさんいるはずだよ」
「そうなの?」
僕が訊くと、安曇はしまったと言うように、視線を泳がせた。
「やめようぜ、こんな話」
安曇は横を向いた。そして、
「美月の手柄話ばっかりしててもしょうがねえよ」
と歩き出した。
「どうすんの」
首藤が後に続く。
「二人が言うのも尤もだよ。美月はいい情報を持ってるだろう。探りに行こうぜ」
そのとき、家の中から美月さんが出てきた。すっくと地面に立ち、ゆっくりとまわりを見渡す。パーカーを羽織り、下は真っ白なデニムのショートパンツだ。そこから柔らかそうな脚が伸びている。足元は、白いスニーカーだ。
美月さんは玄関の前で立ち止まったまま、森のほうへ目を凝らした。僕らがいるほうだ。そして、その目が見開く。
「行こうぜ」
僕は安曇の尻を突っついた。小学生のガキ三人じゃあるまいし、覗き見していたとは思われたくない。
と、首藤が前へ出て声を上げた。
「また会ったね」
美月さんは瞬間驚いた目になったものの、すぐに表情を和らげ笑顔になった。
「もしかして、探索の準備?」
首藤が畳まれたテントを見ながら訊いた。その横には、数本のペットボトルが入った箱がある。
「そうよ。明日出かけるためにね」
美月さんはそう言いながら、ペットボトルの箱を持ち上げる。すかさず首藤が手伝う。さすが首藤だ。女の子の前でどんな行動を取ればいいのか心得ている。
さりげなく、首藤が訊いた。
「どこに行くの?」
すると、美月さんは横顔のまま、
「内緒」
「そんなこと言わないで教えてよ」
首藤が冗談めかして言うが、美月さんは笑って答えない。
僕は思い切って言ってみた。
「探索に行くなら、いっしょに行かない?」
彼女の表情が固まった。
「いっしょに?」
「ああ。同じ日本人。しかも君は安曇の同級生なんだしさ。協力し合ったらどうかなと思うんだ。それに、女の子一人よりは、僕たちといっしょのほうが安全だし」
憮然とした表情のまま、彼女は僕ら三人を順番に見つめる。
「わたしはわたしなりに集めた情報でやろうと思ってるんだけど」
安曇が、ほらなと言いたげな表情になる。
「わかってるよ。僕らにだって僕らの情報がある」
「だったら、お互い、勝手に動いたほうがいいんじゃない? それに、女の子一人が危ないっていうけど、わたしはだいじょうぶよ」
そう言ってから、美月さんはバイクに飛び乗り、助手席の下から何やら取り出した。
「ワッ!」
彼女が取り出したのは、銃だった。掌よりは若干大きいほどの小型の物だが、重量感がある。
「そ、そんなもの、どうやって手に入れたんだよ」
安曇が上ずった声で訊いた。
「いやだ。何、ビビってんの? ただのエアガンよ。日本でだって手に入るわ。害鳥退治に使うやつよ」
一気に緊張がほぐれた。考えてみれば、本物の銃なんか手に入るわけがない。
「マンガレバ島で買ったの。日本円で五千円もしなかったわ」
彼女は笑いながら僕らにエアガンの銃口を向ける。
「これがあれば平気よ。バイオBB弾だけど、弾も入ってるし」
エアガンだとわかっても、銃口を向けられるのは、あんまり気持ちのいいもんじゃない。
「かっこいいなあ」
そう叫んだ首藤を、彼女が訝しげに見やる。
「惚れました。完敗です」
「やだ、なあに?」
おどけた調子の首藤に、彼女の頬が緩む。
「お願い。いっしょに行こうよ。せっかくこうしてお近づきになったのも何かの縁。いっしょにスケイルマン探しをするっきゃないでしょ」
首藤は顔の前で両手を合わせた。
「やだ、この人、おもしろい」
満更でもない声だ。目を輝かせている。首藤が女の子にモテる意味が、初めてわかった気がした。女の子の懐に入っていくのがうまいんだ。
「それにさ」
僕も首藤に加勢した。
「僕らもいろいろ情報を持ってる。お互いの情報を交換し合って探したほうが時間の短縮になると思わない?」
う~んと、胸の前で腕を組み、僕ら三人を順に眺めた。
「それも、そうね」
「じゃ、決まりだ」
首藤の声が弾む。
「そういうことなら、約束しましょ。お互い、島で得たスケイルマンに関するどんな情報も包み隠さず共有し合うこと。抜け駆けはなし。いい?」
昨日のアリキとの出会いが頭に浮かんだが、僕は口にしなかった。首藤も安曇も黙っている。三人とも、あの場所を秘密にするつもりだ。それに、話せば、スケイルマンらしき物の出現にうろがきて、三人で逃げ帰った話もしなくてはならない。
「よし、じゃ、チーム、ラパ・マケの結成だ」
首藤がわざとらしいぐらいはしゃいで手を取ろうとしたが、あっさりとかわされた。
代わりに、彼女は踵を返し、バイクの荷物に体を向けた。
荷物をゴソゴソまさぐって、何やら取り出す。
取り出されたのは、手書きの地図だった。手書きといっても、メモ同然でもなければ、子どもの落書き程度の出来とはわけが違う。
丈夫そうな紙に、サインペンで丁寧な線が引かれていた。山の部分は薄く緑色の色鉛筆で彩色され、目印として書かれたらしき大きなヤシの木や、空き地や、島民の家は細いペンを使って緻密に描かれている。
もし、道に迷う事態になっても、この地図があれば安心だろう。そう思えるほどの出来栄えだった。だが、僕ら三人は、誰も地図の出来栄えを褒めなかった。なんだか癪に障る。
×印が付けられている箇所があり、指先で、その中の一つを差した。発見ポイントだろう。
「明日、この×印の場所を攻めてみるつもり」
美月さんはにっこりと笑った。白い歯が輝き、白いうなじにさらっと髪が揺れる。
僕たちは魔法にかけられたみたいに、瞬間思考停止状態になってしまった。いけ好かない女だと安曇は言うが、魅力的な女の子であるのは間違いない。いや、魅力的すぎるかもしれない、ライバル視するには。
「ただ問題があるんだよね。わたしが明日行こうとしてる海岸は、島の向こう側なの。歩いて行くには遠いからこれに乗って行くつもりなんだけど」
そう言って、彼女はポンとバイクの座席を叩いた。
「三人乗りだから、四人で行くとなると、一人あぶれちゃうのよ」
これには困った。まさか、僕たちのうち一人が残るわけにはいかない。もし、何か見つけたとき、そこに僕たち三人が揃っていないんじゃ、三人で島へ来た意味がなくなってしまう。
諦めるしかないか。
僕がそう言おうとしたとき、首藤が僕を振り返った。
「おれの膝に乗れよ」
「えっ?」
「おまえ、細いんだからさ、俺の膝に乗っけてやる」
やだあと、美月さんが笑い、僕の首筋は瞬間火照った。子ども扱いされているようで、おもしろくない。
「仕方ないだろ。座席が足りないんだから」
結局安曇の一言で事は決まり、みんなの荷物は安曇の膝の上に乗せる段取りになった。
話が決まって、僕たちは自分たちの宿へ戻った。すっかり日が暮れた山道は、行きよりも遠く感じた。
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