第4話 第二章 ラパ・マケ島 二日目


         第二章  ラパ・マケ島 二日目

 

 結論から言えば、僕らはアリキに騙された。

 アリキは、もうすぐ午前中が終わるという時間になっても姿を現さなかった。

 首藤は、

「もうちょっとだけ待ってみよう」

と言い続けているが、安曇は、

「あんなやつ信用した俺たちが馬鹿だった」

と、出かける用意を始めている。

 限られた日程なのだ。僕も安曇に賛成だった。たまたまアリキに出会ったけれど、もともと僕たちだけで探索する予定だったのだ。昨日、スマホの地図アプリで、場所はなんとなく把握したから、行けなくはないだろう。

 

 洞窟へ向かう途中で、アリキの家を探してみようと首藤が言い出した。もしアリキが見つかれば、同行させたほうが効率がいい。

 しぶしぶ安曇は首藤の提案に乗り、僕たちは宿を出た。


 天気はまず問題はなさそうだった。相変わらず東風が強いが、雨になりそうな感じじゃない。港の見える場所まで下りていくと、太陽はまぶしかった。

アリキの家はすぐに見つかった。海岸に出てすぐに、遊んでいるポエを見つけたからだ。ポエの案内でアリキの家へ行った。海に面したアリキの家は、これを家と呼べるなら、ひどい有様だった。僕らが借りているメアリーさんの家とは比べ物にならない。屋根も柱も、次の嵐には持たないだろうと思えるほど朽ちていた。

 一見して、アリキがいないのはわかった。ポエに訊いても、どこへ行ったのかはわからなかった。そうするうち、アリキの妻のヘレが、家の裏から姿を現した。昨日会ったときと同じ服装をして、手にバケツを下げていた。うっすらと微笑みを浮かべている。

 今朝の彼女には、昨日会ったときにはわからなかった魅力が備わっていた。明るい朝の光の中にたたずむヘレは、女というより少女のようだった。疑念のない純朴な視線が、真っ直ぐ僕らに注がれる。


「アリキは?」

 彼女は微笑んだまま、首を横に振った。

 首藤が前へ進み出た。

「アリキの代わりに、洞窟を案内して欲しいんだが」

 彼女は、ちょっと後ずさってから、怯えたような目になって、ふたたび激しく首を振った。昨日のアリキの様子が思い出された。僕らに視線を向けただけで、アリキは彼女の頬を打った。僕たちと行動を共にしたら、アリキは激怒するだろう。

「僕らだけで行こうぜ」

 安曇が踵を返そうとしたとき、ヘレが息子のポエに何か叫んだ。地面にうつむいて絵を描いていたポエが立ち上がって僕たちのほうへ走ってくる。

「ポエが連れてってくれるってこと?」

 すると、ヘレは掌を開いた片手を差し出した。案内賃を寄越せと言っているのだろう。

 安曇がポケットに手を突っ込み、じゃらじゃらと小銭の音をさせた。

「これで、いい?」

 安曇が差し出したのは、二NZドルだった。

 ヘレが、太陽みたいな笑顔になった。

「君、案内できる?」

 首藤がしゃがみこんでポエに訊いた。

 ポエははっきりと頷き、先に立って歩き出した。

 

 ポエが向かったのは、僕たちが考えていたルートではなかった。昨日、アリキ親子と出くわした海岸まで行き、そこから更に進んで、山を登ったのだ。

 山を登るについて、いままで見たことのない風景が広がってきた。メアリーさんの家のまわりとは明らかに植生が違う。鬱蒼と木々が伸び、森を形成していた。森は薄暗い闇に包まれている。


「ヒョーッ、これぞ南の島の探検」

 首藤が浮かれた声を上げた。だが、そんな首藤も、先へ進むにしたがって口数が少なくなった。

 原生林に囲まれた森は、まるでミストサウナのようだった。空気はねっとりして、足元はぬかるんでいる。

 木々の間を弾むように進んでいくポエを、うらめしく思った。顔の前に払っても払っても飛んでくるわけのわからない虫も鬱陶しい。

「なあ」

 後ろを歩いていた安曇が声を上げた。

「なんか、ルートから離れてないか?」

 もともとポエは地図上で僕たちが想定したルート通りには進んでいない。それにしても、地図上で見た滝は、こんなに遠かっただろうか。

「あいつ、間違えたんじゃないか?」

 額に浮かんだ汗を拭いながら、首藤が苛立った声を上げた。

「騙されたとか?」

 安曇がうんざりした表情で汗を拭う。

「かもしれないな。あの子、七歳ぐらいだろ? 七歳なら、大人を騙して楽しむ知恵はあるからな」

 安曇の言い分にも一理あった。初めて会ったとき、あんなに怯えていたポエだ。他所者にたいして、好感は抱いていないだろう。

 洞窟にはなかなかたどり着けなかった。足元は泥まみれになり、履いてきたビーチサンダルは焦げ茶色に変色したかに見えた。道があるわけじゃなかった。ただただ、草の割れた場所を探って進んでいく。

 救いなのは、微かだが、水の音が途絶えていなかったことだ。

 水が流れているのだから、先にきっと滝があるはずだ。

 誰もが何もしゃべらなかった。話をする気力はとうに失せて、ただ転ばないよう地面を睨んで前に進み続けた。

 と、ふいに、首藤が立ち止まる。

「悪いな。ちょっと先に行ってくれ」

 首藤はポケットからスマホを取り出し、素早くメールを打ち始める。

「また女かよ」

 安曇が吐き捨てるように言い、足を進めた。

 首藤の相手は、真由だろうと想像がついた。こんな最果ての地まで、通信料もかなり高くつくだろうに。

 先に進んだ安曇が立ち止まって、大袈裟に肩をすくめるのが見えた。それから、あきらめたようにしゃがみ込む。

 僕も安曇の横にしゃがみこんだ。

「おそらく前の彼女からだな」

 えっと、僕は首藤を見た。

「真由じゃないの?」

「磯江真由か? 違う。首藤は真由からだと言ってるけど、ほんとは前の彼女からなんだ」

「おまえ、なんでそんなことまで知ってるわけ?」

「偶然だよ。大学の講堂で、二人が言い合ってるのを聞いたんだ。首藤は今、真由とも違う相手と付き合ってるみたいだな。確か、絢香じゃないかな。里奈だったかな。それとも両方だったか」

 首藤はまだスマホの画面に顔を向けている。

「男としてどうなのかと思うよ」

 苛立たしげに、安曇が首藤を見た。

「首藤はいろんな女の子と遊ぶのが、かっこいいと思ってるんだな。馬鹿じゃねえの」

「まあ、そうだな」

 安曇の意見は正しい。嫉妬からだけじゃなく、首藤の女の子との付き合い方は、どう贔屓目に見ても誠実とは言えない。

「でも、女の子たちが、そういう首藤を良しとしてるんだから、まわりがとやかく言うことじゃないんじゃない?」

 それに、女の子から見れば、首藤はずるいヤツかもしれないが、男友達としては、ノリはいいし、おもしろい男だと思う。

「首藤ってさ、なんか、嘘があるんだよね」

 安曇の僕の肩ごしに、首藤を振り返った。

「嘘?」

「ああ。なんとなくね、そう感じる。この島に来ることになった理由も、俺は信じてない」

 たしかに、首藤はこんな遠くまでやって来るほど、UMAマニアじゃない。

「でもいいんだ。とにかくスケイルマン探しに協力してくれさえすれば」

 安曇は首藤を頼りにしている。たしかに、首藤の決断力、判断力には助けられている。この旅に、参加してくれて良かったと思う。

 それなら、僕はどうだろうか。

 そう思わずにはいられなかった。

 おそらく、安曇が僕を誘ったのは、一人で決行したくなかったからだろう。いちばん誘い易かったからで、自分の指示に従うだろうと思ったからで。

 おーい、悪いと、メールを打ち終えた首藤が駆け寄ってくる。

 僕たちは先へ足を進めた。

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