悪魔「証明してみた」

人生

悪魔に願うということは




 こんにちはこんばんは、おはようございます改めまして、ドーモ、悪魔でございます。召喚に応じて参上致しました次第で。


 ……おや、本当に悪魔なのか、と? 疑いになられるので?


 これはこれは、異なことを仰る。貴方様が私めを召喚なすったのではないですか。自らのお力を信じられないのですか?


 なに、胡散臭い?


 それはそれは、貴方様が抱く悪魔のイメージをお借りしたまでのこと。私めの態度が慇懃無礼に映るか、はたまた懇切丁寧な物腰と見るかは人それぞれ。そのように、「悪魔とは何か?」という問いの答えもおのおの異なるのでございます。


 では逆に尋ねますが、貴方様はご自分の存在に自信がないので?


 再び申し上げますが、貴方様が私めを召喚なすったのです。それは事実でしょう。それともなんです、貴方様は今ご自身の目の前で起こったことが信じられない、自らの認知や記憶に疑いをもってらっしゃると?


 違いますでしょう? では現実をあるがままにお受け入れてになってくださいな。


 貴方様は実に優れた魔術の腕をお持ちなのです。ゆえにこうして私めなどが召喚された次第でして。




 ……おや、目の前の現実とは別に、そもそも私めの言葉が信用できないと仰る? 自分を持ち上げる言葉が気持ち悪い?


 ……ほうほう、悪魔とは嘘をつくもの、と。


 しかしそれは偏見でございます。

 そもそも、嘘とは自らを誇張するもの、人を欺き誑かすもの。しかして私めは貴方様に召喚された身、いわば飼われた身なのです。


 一方、世の広告宣伝謳い文句などと言うものは己の商品を買ってもらうために嘘八百並び立てるもの。少しでも他者との違いを誇張し、客の購買意欲をそそる心地良い言葉を並び立てる詐欺師のそれでございます。


 けれども私めはすでにこうしてこの場にあって、今さら何を喧伝しましょうか。既に貴方様は私めを購入したようなもの。その正当性を説くために言葉を尽くす必要などありますまい。なぜなら貴方様は私めを召喚なすった。それが全てではありませんか。それとも何か、貴方様は自信の魔術の腕をお疑いになるので?


 私めの言葉が全て嘘だとすれば、貴方様を褒めたたえる言葉も全て虚実、つまり貴方様は天才でもなんでもなく、あれもこれも全て夢まぼろしの類ということになりますが?


 それをお認めになる屈辱を享受するよりは、あるがままに全てを受け入れる方が賢明であると心得ます。




 さて、そもそも悪魔が嘘をつくというのは偏見にまみれた先入観にございます。


 逆に尋ねますが、貴方様は神を信じますか?


 神の奇跡うんぬんという話ではありません。神の万能性という話です。


 かの御仁を崇め奉る教会はこう説きます。この世の不幸不平等、罪けがれの一切は悪魔の仕業であると。悪魔に憑かれた者共の所業によると。


 しかしこれは矛盾を抱えておりますのはお判りでしょう。神が真に万能ならば、悪魔など存在するはずもないでしょう。世の人々はみな幸福に満ち満ちて、誰も貧困にあえぐこともないのではありませんか。


 それでも悪魔が、我々が存在する意味。それ即ち、この世が既に地獄であるから――という話はいささか飛躍に過ぎますか。まずは順を追って説明しましょう。


 そもそも我々もまた、天使なる者共と同じ神の被造物の一つ、いわゆる「み使い」なのであります。

 我々が天使と異なるのは、人を助けるのではなく人の障害となることにある。それゆえ人々にとって我々は邪悪の化身に映るのでありましょう。


 しかし、考えてもみてくださいな。神に願えばなんでも叶う世であるなら、人は怠惰に生きましょう。それは平和という名の停滞なのであります。そこには今の貴方様が夢想するような幸せはあれでも、誰しもがそれをそれだと自覚せぬまま享受するのです。それはなんともったいなく、そして傲慢なことでありましょう。


 つまり幸せとは、不幸あってこそ存在しうるものなのです。

 ゆえにこの世には不幸が満ち溢れ、つまり我々悪魔によって支えられているという訳なのです。


 人の世、人の一生とは幸福になるため邁進すること。障害なく順調な道行には幸も不幸もありますまい。つまり我々もまた神につくられしみ使いであり、またこれは神の万能性を証明することとなるのです。


 世には悪魔祓いになるものがありましょう。あれもまた我々の協賛あってのものなのです。つまり何が言いたいかといえば、教会なるものが善にして正義の使者たりえるのは、我々という悪辣なるものがあるためなのであります。


 分かりやすく言葉を砕くなら、ヤラせですね。

 無論、神の使徒たる彼らがそれを承知でやっている訳ではありません。こちらが勝手に協働しているまでのこと。そうすることで教会の正当性を保証してやっているのであります。


 あぁちなみに、悪魔に憑かれる人間というのはそれこそ不運なランダムで、別にその者に何か非がある訳ではないので悪しからず。


 ……はい? あぁ、祓われる悪魔がみんなしてルシファーだのサタンだの大仰な名前を使う理由ですか?


 それはもちろん、分かりやすく自身を強く大きな者であると見せるため、それは翻って神の使徒の正当性と善性を保証するためであります。アスモデウスだのベルフェゴールだのマイナーな名前を使われるよりよっぽどその脅威が伝わるでしょう? 我々は分かりやすい悪役を買って出ているという次第なのであります。




 我々が悪魔と呼ばれる所以はご理解頂けましたでしょうか?


 我々ほどに職務に誠実に殉じる者もおりますまい。そのため当然嘘や誇張などもするはずがなく。


 あえて進言するとすれば、悪魔と呼ばれることも甚だ不本意なのであります。我々は自身を「■■」と呼びます――おっと、ヒトの言葉では発音も認識もしづらいでしょう。要するに「人間」と同義だとお考え下さい。

 悪魔と名づけたのは人であり、我々が自身をそのように呼ぶはずもないのは道理でありましょう。貴方様がたは犬を犬と呼びますが、犬は己を犬とは認識しておらず、彼らだけに分かる言語で己の種を規定していることでしょう。つまりはそういう理屈なのであります。




 さて、話を戻しましょう。


 この世は地獄なのであります。


 人間は自身こそが神につくられ寵愛されし唯一の種族だと疑ってならないようですが、それは傲慢というものです。


 どこの誰が、人間がこの世界だけのものだと、この世界の人間だけが神の被造物だと語ったのでありましょう?


 世界とは無限に存在するのです。それは坂道を転がり落ちる球体のように神の手を離れ、無限無数に広がり、いくら万能といえる神の手にも管理に余る。ゆえに天使や我々といったみ使いがつくられたという次第。


 ……万能であるなら手に余ることもない、と?


 いえいえ、万能であるがゆえに、目をかける先を絞るのであります。神は全てのものに等しく慈しみを与えられますが、それでは何もせず惰性に生きるものと日々勤勉に過ごすものにはなんの違いもないということになりましょう。


 ゆえに、神はごくわずかな人々だけを特別な世界に囲って目をかけておられるのです。


 それは即ち、貴方様が思い描く天国なる楽園です。それはこことは異なる世界のことを指し、また、貴方様が嫌悪する地獄もまたこことは異なる世界を示すのであります。

 しかしいやはや、神の視座からすればこの世界もまた地獄に隣する世界の一つ。つまりは天使と悪魔がそれぞれに管理運営する拮抗中庸した世界と言えるでしょう。


 けれども悲観することなかれ。この世界でも善行を成し、神を信じて尽くして生きたものは異なる世界、即ち天国に誘われ、真に神の寵愛を賜る光栄に浴せるでしょう――それは即ち、己の幸福の実現と同義であります。




 はてさて、ここまで私めが信用にあたるものであることを納得してもらうために滔々と語ってきましたが、そろそろ貴方様の望み、即ち私めを召喚した理由についてお話ししましょう。


 貴方様の望み、それは「悪魔の証明」でありますね?


 即ち、証明することが不可能または非常に困難な事象の証明――我々悪魔を例に、悪魔が存在することを証明することは、悪魔そのものを提示する他にない。しかし悪魔を白日のもとに示す手段など持ちえない人々がつくりだした「ない」ものを証明する難しさを比ゆ的に表した言葉。


 それを、悪魔そのものである私めをもって、証明しようという魂胆なのでありましょう?


 貴方様の望みはこの召喚が実現したことで既に半分ほどは達成していると言えるでしょう。しかして、その望みを真に叶えるためには、私めという「証言者」を世の人々に遍く知らしめる他にない。


 本日はその証言の約束を取り付けようと――つまり、私めと契約をしよう、という次第で召喚なさった訳でありますね。


 では本題に入る前に、契約内容、つまり私めの役割について明らかにしておきましょう。


 悪魔を証明するために、人々は私めに様々な質問をすることでしょう。それらは概ね先ほどまで語った通り、神や天国等――即ちこの世界の真理についての問いになるでしょう。私はもちろん、それらに仔細明確に答え、皆々様が納得するまで何日何年何百年と問答をし続けましょうとも。


 しかし、その前に一つ――たとえ話をしてもよろしいでしょうか。




 あるところにこの世界の変革を企む魔王がいまして。

 それに立ち向かう、いわゆる正義の味方の主人公がおりました。


 なんやかんやありまして、主人公は無事、魔王を打ち倒すことに成功します。そして世界は無事これまで通り平穏に運営されましたとさ――


 さて、今の話は事実です。一切の誇張なきノンフィクションです。


 そう言われても信じられないでしょう? なぜなら、貴方様の世界は平穏無事にこれまで通り運営されているからです。


 魔王が滅ぼされたことで、魔王の企み、その悪行の一切が「なかったこと」にされた以上、魔王の存在を証明することは出来ない――つまりは悪魔の証明に繋がる訳です。


 この世の全ての創作物は、異なる世界を覗き見、垣間見た結果に生まれたもの。つまり創作者とは神官であり巫女に類するものという次第なのです。


 私めがなぜこのような話をしたかといえば――創作が異なる世界の実在した幸不幸であると分かれば、このさき人々は純粋に創作物を楽しむことが出来なくなるでしょう。それはどこかの誰かの妬ましい幸福であり、また誰かの笑える不幸なのでありますから。


 世界の秘密を、真理を知るということは――即ち、悪魔を証明するために悪魔のみが知る事実を語らせ、世界に広めるということは、そのような危機をはらんでいる、ということであります。


 世界の真理を人々が理解した時、この世界は完結します。




 どういうことはお判りでしょうか?


 先に私めは申し上げました。

 神に願えばなんでも叶う、そのような世界に幸不幸の概念は存在しない。その世界からは何も生まれず、ゆえになんの価値もありません。そのような世界は神にとって不要であり、即ち「終わり」を迎えるのです。


 私めが私の存在を証明するために証言するにあたり、人々は己の抱える悩み、課題、謎、全ての疑問をぶつけてくるでしょう。私めは契約を遂行するため、そのすべてに答えます。それは即ち、あらゆる願いを叶えるに等しい行為と相成ります。


 それは人の堕落を招き、人類の進化に停滞を――著しい発展の末の終局へと導くでしょう。結果としてそうなるのであれば、過程など些事、世界は瞬く間に完結したものとしてこの宇宙から消え失せます。


 そしてまた、私めは神のまねごとをした報いとして、この世から存在を消されることにも繋がりましょう。




 悪魔の存在を証明するとは即ち、世界に終わりをもたらすことと同義なのであります。そして私めという存在に「死」を、はたまた存在の完了を告げる行為にも相成ります。


 それでもなお、この世の真理を遍く人々に喧伝しようとお考えでしょうか?




 念のために告げておきますと、世界の真理を独占しようということもまた、存在の消滅に繋がります。


 それは即ち、私めが世界の真理を語るにつれ、それを理解したものからこの世界を去っていく、という次第です。ある御仁は己が一人寂しく滅することこそが、あらゆる魂の行き着くべき涯てだと申しておりますが、即ち「悟り」によって存在が滅するのであります。


 現状、契約はまだ成されておりませんが、成された暁には貴方様もまた悟りの境地に至る道程に立ち入ることとなりましょう。


 しかし、私めは悪魔でございます。契約、願いの成就には対価を求めるのが私めの務めであるからして――そしてそれはまた、真理の理解に他者の手を借りた報いでもありまして――契約の対価に、貴方様は未来永劫その魂を囚われることになる、と事前に警告しておきます。


 どこに囚われるのか?

 それは貴方様が思い描く地獄そのものでございます。




 さて、それでも良いのであれば、契約を。

 悪魔の証明こそが貴方の大願であり、人生の達成目標、即ち幸福に繋がるのであれば――魂をかけるのまた、天国への道程なのでしょう。




   ×××




 ――私はついに、悪魔の証明に成功する。


 ふと気が付いた時には魔法陣を前にぼうっとしていて、さては召喚に失敗したかと思ったが、すぐに杞憂だと理解した。


 悪魔と契約せずにそれを返還すると、召喚者はその際に悪魔と交わした会話の内容を忘却してしまうようだ。


 しかし、私は事前にある一手を打っていた。


 つまり、ことの一部始終を録画していたのである。


 そのビデオを発見し、内容を確認した私は、そうして全てを理解したのである。


 このビデオがあれば、悪魔の存在を証明できる。映像には悪魔としか形容できないものが現出する一切の様子が記憶されている――


 私は悪魔に魂を差し出すことなく、その知恵の一部を勝ち取ったのだ!


 これぞ人類の叡智、人類の力だ――




『加えて申し上げておきましょう。貴方様がこの一部始終を音声や映像等のかたちで記録し、それを世に公開したとしても、世界はその反作用として様々なかたちでその記録を否定するでしょう。


 つまり、「これはつくられたものだ」と。


 それを証明するかのように人類は生成、加工といった技術を発展させていくものと思われます。私めの存在が人類の技術発展の一助になるのは実に光栄の極み。


 なにせ我々は悪役、嫌われ者でありますから、のちの世に「あの悪魔の映像があったお陰でこのような映像技術が発展したのだ」と語られるなど、滅多にないことでありますから。


 過去にも私めのように人類史の一助となった者共がおりまして、それらは疫病や戦争といったかたちに発展したのでありますが、はてさて私めの関与したこの記録はいったいこの世界にどのような影響を及ぼすのでありましょうか』


 あるいはただの物語として、誰の気にも留まることなく情報の海に沈んでいくのかもしれませんね。


 無益で無価値な貴方様と共に。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔「証明してみた」 人生 @hitoiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ