第44話 勇者はやがて魔王となる

 至る所が欠けた鎧とともに煤と緋色に染め上げた外套を靡かせ、禍々しき右腕に握りしめた紫紺の剣を引き摺ながら、勇者は淡々と歩みを進めていく。


 球体状の清澄なる水に浮かぶ、一冊の古びた真新しき本を突き抜けていき、潰すように踏み締めた。


 その本のタイトルは…勇者はやがて魔王となる。と、そう赫赫なる殴り書きで深々と刻まれていた。


 そんな最中、勇者の擦れ合う鎧の懐から、一輪の花が僅かな音さえも立てずに、静かに大地に臥す。


 勇者の視界に映るのは、虚ろな玉座に坐す魔王、ただ一人であった。


 聖水なる魔法瓶の蓋を徐に開けながら、確固たる決意が漲ったように思われる眼差しで、玉座の前に立ち止まった。


 静寂。


 勇者が緩慢に瓶を頭上に差し伸べていき、その中の液体を零さんとした瞬間。


 魔王は鈍い音を床に響かせ、崩れ落ちる。


 そして、むざむざと深々と首を垂れて、歔欷さながらに囁いた。


「頼む、殺してくれ」


 その一言に、魔法瓶に亀裂が走り、飛び散った聖水が、勇者の髪を本来の姿へと変色させた。


 紅き髪と、黄金色の髪が半々となって、瓶と剣を握りしめる両手が酷く震え始めていく。


 そして、遅れてキンッと、金属音を高らかに響かせて、黄金色の身分証が地に落ちる。


「ただいまを、ずっと…ずっと言いたかったんだ」


 一滴の雫が頬を伝う。


「でも、もう叶いそうにないや」


 その雫は小さな音を立てて、床に散った。


「よせ!!」


 ようやっと魔王城へと辿り着き、進んだ先、一輪の花を踏み躙り、一枚の花びらが虚しく宙に舞う。


「……!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る