第30話 大剣の真価
兵は退いたまま右腕の籠手を外し、翁が飛び上がる僅かな隙に、大地に手を当てがう。
「土竜壁!!」
裏手に低空で飛び上がりながら、両の手を合わせて、耳を劈くような怒号を飛ばした。
アンデットの翁が向かう先、盛り上がった大地が土石の龍に変貌し、忽ち襲い掛かる。
その姿に振り下ろした刃をピタッと止め、斯くも呆気なく、兵の初の攻撃を喰らった。
「フッ」
そんな様に笑みを漏らす。
決して喰らい付いて離す事の無い土竜に、微かな傷さえも付けぬように慎重に、地面を抉り取って、その場を瞬時に脱した。
だが、既に若造は印を結び終えていた。
「天界から舞い降りし神聖なる赤竜よ、今一度、汚濁に堕ちた愚かなる我が手に棲まえ」
脱ぎ捨てた右腕から紅き幾重にも重なった鱗が生えてゆき、指先には鋭い鉤爪を生やす。
「今の俺には、これが限界か」
鈍ら片手に、息を付かせぬ猛攻を迎えた。
若造は出鱈目に刃を振るい、眼前に盾の如く握りしめた翁の剣とぶつかり合う。
競り合う間さえ無く刃は折れて宙に舞い、その胸部に迫った剣の鋒を待っていたかと、言わんばかりに龍の掌が迎え撃つ。
金属音が鳴り響いたのも束の間、数枚の緋色の鱗が飛び散り、肌が露わになっていく。
だが、押されていたのは翁の方であった。
次第に丸い背中を仰け反らせ、大地を窪ませてゆくが、緩やかに、静かに目を向ける。
踵の上がりきった、警戒の疎かな両脚に。
膝を折って、若造が完全に勝利を確信し、僅かな綻びを見せた時、疾くに足蹴にする。
片足の脛を鋭く突くように。
瞬く間に兵は大地に片膝を突いて、跪く。
刃を鷲掴みにしていた掌を手放して、その事態に一驚を喫するとともに、胸部を貫く。
刀身の全てを真っ赤な鮮血に染めて、その剣を若造から抜き去って、悠然と見下ろす。
胸から絶え間なく溢れ出していく鮮血に、必死に震えた龍の掌を当てがい、その血に、緩慢に視線を向けていく様を。
「あ、ぁ……」
徐に頭上に剣を振り翳す。
「バーカ。俺はアンタの弟子だぜ?こんな、柔な攻撃如きでくたばる訳ねぇだろうが!」
若造はそんな姿に血反吐を零しながら、ほくそ笑んだ。
跪いた踵から白き一筋の光を翁の背後に、円を描いて遠回りに巡らせ、その魔法陣が瞬く間に形を成して、生み出されてゆく。
最後の足掻きを見せ、疾くに立ち上がって、龍の腕ごと捩りながら、師の背に当てがう。
「龍よ、怒れ!!豪炎龍化!!」
掌から燎原たる炎が燻り、俄かに黒煙を立ち込め、赤龍が喰らうが如く、其を放った。
龍を成した猛き紅焔。
僅かに笑みを見せた矮躯な翁を一瞬にして呑み込んだ炎から未だ尚、刃が振るわれた。
それは若造の胸を切り裂いて、鮮血を噴き出させるも、もう背に退く事は決してない。
紅き炎はやがて、様々な色彩に変化する。
白き火が黄色の焔に、そして蒼炎へと。
溶け出した肉塊が大地にボトボトと堕ちていき、次第に蒼炎もその勢いが死んでゆく。
そして……。
火は静かに消え、双方は遂に地に臥した。
最後に快晴なる空を見上げて、緩やかに、清濁を併せ飲んだかのような両目を閉じる。
「チッ!」
その様を見ていたウェストラは、掌の先を若造へと差し向ける。
当然、それを許さぬアンデットが迫り、渋々、差し伸べんとした掌を大地に当てがい、瞬く間に地面から土石の壁が迫り出す。
だが、立ちはだかる絶壁を平然と透き抜けていき、剣を喉笛目掛けて、水平に振るう。
猪突猛進さながらのアンデットを、大鎌の鋒を大地に突き立てて、軽快に飛び越える。
飛び道具を前にして、その止まらぬ歩みを慌ただしく抑えるも、大鎌の大雑把な一振りの餌食となって、糸も容易く首が宙に舞う。
華麗に降り立って、徐に両手で印を結ぶ。
手を差し伸べる間も無く、土石壁が粉々に打ち砕かれ、数十の兵団員が懐に迫り来る。
「次から次へと!」
足元の大地を数十の土竜が掘り抜けていき、依然無反応の兵団員たちに搔っ食らう。
しかし、迫った龍たちを容易く打ち砕く。
「龍の誉はどうした!爺さん見習えバカ!」
そんな光景に驚きを隠せずにいながらも、ウェストラの傍らには数十の異なる龍がいた。
「なら、物量戦と行こうか」
稲光の迸る黄金の龍と、紅き燃ゆる赤龍、清澄なる水泡浮かぶ蒼き龍に、そして土竜。
数十メートルの巨躯の龍たちは、手を伸ばせば当たる程に迫ったアンデットを喰らう。
しかし、数多の龍の猛攻を微動だにせず、ほんの僅かな時間稼ぎにもなっていなかった。
「大道芸のつもりじゃなかったんだがな。は?」
そんな中、ウェストラが視界の端に捉えたのは、眠りについた兵士を引き摺りながら、必死に何処かに運ぶ、エルフの姿であった。
「何やってる!?いつまでも死体に執着……」
目を離した瞬間、電光石火の如き雷龍が、アンデットたちを確実に麻痺させていたが、動かぬ筈の掌を震わせながらも差し向ける。
愚直なエルフたちに。
狐疑逡巡。
ウェストラの一瞬の迷いに気取った、一人のアンデットが眼下の小石に足を振り抜く。
それは綺麗なまでに魔導書に打ち当たり、緩んでいた掌から落ちてゆき、大地に伏す。
そんな小さな音に目を向けて跪くとともに、数多の織り交ざった魔法が放たれる。
ウェストラの元へと。
「ぁ……」
大地から土石の壁が迫り出すよりも早く、蒼き球状の盾を作り出すよりも僅かに迅く、体躯を容易に覆い尽くす魔法が襲い掛かる。
だが、その前に立ちはだかる。
「お、お前!?」
泰然と、紅き両翼を広々と伸ばしきって、自らの巨躯を楯で禦ぐが如く、眼前に翳す。
「それって、そうやって使うのか!?」
そんな自己犠牲に溢れたカースの姿に、ウェストラは目を見開きつつも手繰り寄せた。いつまでも亡骸に命を賭したエルフを。
エルフは亡骸を置き去りにして、吸い寄せられるように、ウェストラの胸元に収まる。
両翼の盾から受け流された魔法が、傷一つない綺麗な面差しの亡骸へと降り掛かった。
エルフは頬にとめどなく清澄なる涙を伝わせて、決して届かぬ亡骸に手を伸ばす。
そして、甲高い悲鳴が響く。
「憐れな死者よ、その穢れた肉体から、すぐに解放してやろう」
その虚無に等しく並べ立てられた言葉に、ウェストラの表情は悲壮に満ち満ちていく。
そして、一滴の雫が頬を伝う。
だが、すぐに緩やかに瞬いて、再び、凛とした顔つきに引き締めていった。
そんな最中、アルベルトと幹部の光の剣が幾度となく続く剣戟を交わしていた。
終わらぬ金属音が鳴り響き、次第にその剣は使い物にならぬ鈍らへと姿を変えていく。
虎視眈々と機会を窺い、付かず離れず慎重に、一定の距離を保ちながら、刃を振るう。
勇者は大剣を握りしめてぶつくさほざき、大剣から周囲の草花を戦がせ始めていた。
「……!!」
突くような鋭き疾風迅雷の如き猛追撃に、完全に押され始めた頃、アルベルトの視線は不可思議なステッキに釘付けになっていた。
剣の終わりの亀裂が柄にまで走り、もはや面影の無き姿でありながらも涙ぐましくその体裁を保ち、かろうじて剣技を受けていた。
そして、遂に砕ける間近となって、徐に天を仰ぎ、燦々と降り注ぐ陽光から刃に目を移す。
幹部から小振りな一撃が繰り出されるとともに、アルベルトは胸元に刃の盾を翳した。
容赦なくその一撃は剣を粉々に打ち砕き、無数の鈍色の破片が宙に舞う。
「閃光」
煌々と眩い光が二人を覆い隠すと同時に、目元に翳さんとした掌を足蹴にする。
ステッキを握りしめた指が解き、円を描いて宙に浮かび上がって、意識が逸れた刹那。
掌に紫紺の陣を巡らせ、体を捩りながら、掬い上げるように猛然と拳を振るう。
丹田に触れた瞬間、忽ち骨があらぬ方向へと曲折し、粉々に砕け散っていく粉砕音が鈍く響き、ほんの僅かに幹部を宙に浮かす。
「すみません、これが限界です」
捻じ曲がった掌に目を向ける事なく、勇者に小さく首を垂れる。
「十分だ。退け」
その一言とともに背後に飛び上がるアルベルトと、振り被る訳でもなく優しく小突くように、拳を振るい、宙に吹っ飛ばす。
「流石としか言えませんね」
そんな姿に笑みを浮かべ、勇者は疾くに上段なる構えで、大剣を頭上に振り翳した。
大地を踏み締める地面を窪ませ、あまりにも緩慢に、そして、静かにその刃を振るう。
空に浮かぶ大雲を、真っ二つに一刀両断。
その静寂を極めし所作に、戦闘の真っ只中であったウェストラたちでさえ、息を呑む。
幹部はさながら硝子のような物に亀裂が走っていく音を立てて、全身が二つに裂ける。
完全に体が斬り裂かれ、真っ赤な血飛沫の雨が、晴天なる大空から篠突く鮮血が降り注いだ。
だが、掌には黄金色を帯びた光が忽然と、その輝きを生み出し、大地に落ちゆく中で、茫然と立ち尽くす勇者に向けんとする。
そして、勇者は幹部を優しく抱きしめた。
その姿に、金光は静かに失われていった。
其の余波の突風がアルベルトたちに襲い掛かり、アルベルトとカース、其々は紅き5枚の翼の徽章と花冠が巻き込まれる。
二人がその物に緩やかに近付いてゆき、それに触れた時、瞬く間に黄金色の魔法陣が生み出され、金光の槍が二人を静かに貫いた。
双方共に立ち尽くす。
勇者は残存兵を蒼き炎で一掃し、アンデットたちは心なしか笑顔で散っていった。
勇者はアルベルトの元に、ウェストラは魔導書を閉じて、カースの所へと進んでゆき、エルフは若造の傷を治さんと歩み寄った。
ホーリースピア。
それは、貫いた対象者の全身に広がった魔力供給の全てを断ち切って、灰と化す魔法。
唯一の対処法は、魔力の浄化が全身に行き渡るよりも早く、肉体には触れずに槍のみを抜くしか他に方法はなく、万が一対象者に、他のものが触れてしまった場合……。
「おい、何してんだよ」
「大丈夫か?リューズ」
「い、今治すからね!!」
それぞれは彼等に触れてしまう。
その瞬間、立ち所に塵になっていき、そよ風とともに跡形もなく吹かれていった。
触れた者に重い罪悪感を与えることから、死の伝染魔法と世界中から恐れられている。
最近は定かではないが、東の大国の僧侶共が、挙って好んで使っているとされている。
……。
これでようやっと、一人目か。
後二人。後二人消えたら、始めよう。
瞬くなく事なく、水晶越しに見る彼等からほんの一瞬目を離し、緩やかに目を閉ざす。
そして、また目を向ける。彼等の行方に。
魔王誕生阻止の作戦を。
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