第22話 何かの足音

 喧騒賑わう酒場の中心では、ローレル小国の兵士と騎士団の兵団員が、今にも得物を手に掛けんと、火花を散らし合っていた。


「敗者は黙って、家に帰ったらどうだ?あぁ、すまない。貴様らに、帰る家などある訳ないか。自らの故郷でさえも、灰にしたのだろう?龍の騎士団よ」


「テメェッ!!此処で死ぬか!?」


「これ以上の恥を晒したければ、好きにしろ。逆襲者の謂れを二度も誇示する豚共が!!」


 その一言に兵団員は刃を露わにする。


「やめろ!!」


 刃が兵士の首筋を掠めた瞬間、アルベルトの怒号が酒場中に響き渡り、その手をピタッと止めた。


「だ、団長」


「俺の前でみっともねえ真似してんじゃねぇよ、馬鹿が。酒に酔うのは勝手だが、理性失うほど溺れんのは少々、勝手が過ぎるぞ」


「す、すんません。でも、この野郎が」


 言い訳を並べ立てる姿を無様に見せんとする兵団員の眼前に、アルベルトは瞬く間に迫った。


「お前は誇り高き龍の戦士だろうが。こんな些細な事で一々、腹立ててどうすんだ?テメェは本当にそっち側の人間なのか?」


「……いえ、申し訳ありません団長」


「分かったら、さっさと失せろ。今日のお前は飲み過ぎだ。次の国への行軍準備もまだだろ……」


「その行軍、予定を変更させてもらおうか」


 次に酒場に足を踏み入れたのは、物憂げな表情を浮かべる勇者であった。


「……どういう事ですか?」


「たった今入った公達だ。現在、魔王幹部の一人が魔物の群れと共に此処、ローレルに向かっているそうだ」


 再び、戦慄が走った。


「数は?」


 たった一人、団長を除いて。


「2000を超えるとの事だ」


「……当然、報酬は前払いでしょう?」


 一拍を置いて、微笑んだ。


「俺が全額負担しよう。無論…倍の金額でな」


「流石は勇者様。気前が良くて助かりますよ」


 酒を運ぶ者、酒樽を担ぎ上げる者、幼稚に挑発を繰り返した者、剣を握りしめた者でさえ、息を呑む中、緩やかに不敵な笑みを浮かべて、その茫然自失な者共に視線を向ける。


「……どうした?尻込みしちまったか?」


「いや、だって。か、幹部って、魔王の幹部を相手にするのは流石に無理があるんじゃ……」


「俺たちは誰だ?」


「……え?」


「お前は誰だ?」


「り、龍の戦士」


「龍の戦士がこんな事で怖気付いて逃げんのか?たかが、魔物の軍勢如きに怯えて帰るのか?その剣は何だ?自分の強さを誇示するためにあるんじゃねぇのか?自分より強え野郎を、血に染めるためにあんじゃねぇのかっ!?」


「……これは」


「それとも、逃げもしない、牙も向けねえ、非力な相手を後ろから襲うためか?」


「違うっ!俺は、俺は龍の戦士!!ウルフの息子。ワルス・ヴォルグだ!!」


「いいか野郎共ッ!!」


 アルベルトは周囲の兵団員に目を配る。


「此処が正念場だ!龍の戦士の誉に掛けて、この依頼、誰一人として欠ける事なく完遂させるぞ!!」


「……」


「おぉ!!」

「オォッッ!!」

「おおーっっ!!」


 兵団員たちが得物を高々と天に掲げて、雄叫びを上げる最中、その四隅ではウェストラたちが息を潜めて、言葉を交わしていた。


 机上に不可思議なランタンを置いて…。


「いつ事を起こす?」


「まだだ。もし仮に、あれが事実であれば、必ず奴は俺の傘下に加わってねえ奴を、側に数人ほど付けるだろう。精鋭と言えど、英雄気取りの野郎までもが其処に加われでもしたら、まず勝ち目はない」


「余程、信用されていないようだな」


「……あぁ、何せ用心深い野郎だからな」


「本当にそうかね…。だったら、いつだ?お前らの旅路に同行する気は無いんだが……」


「旅路か。……そうか、その手があったか」


「野営での奇襲か?妙案には思えんが」


「彼奴は地図の確認時には、頑なに人を寄せ付けようとはしない。周囲の護衛もそう数は多く無いだろう」


「俺の役目は勇者とその護衛の注意を逸らす事か?随分と役回りが多い上に、リスクが高いな」


「野郎を殺した後に、アルベルト側の連中を掌握すれば、次は誉高い勇者様の番だ。辛抱してくれよ」


「ハッ。まるで夢物語を聞かされている気分だな」


 ウェストラは小さく呟いた。


「何だ?」


「いいや、何でも。で、その状況はどうやって作るつもりなんだ?さんよ」


「……。転送用の魔法陣が各国に配置されているのは、知っているだろう?本来ならば、直線ルートでウルガイナに着くんだが、迂回して、ウェルトラスに……」


 その瞬間、身を浮かすほど地揺れとともに、地響きが街中に響き渡る。


 それは、その場にいた者たちの酔いを一瞬にして醒まさせるほどに。


「っ、何だ!?」


 再び、皆一同、息を呑む。


 外套を翻して、酒場を後にしようとする、勇者を除いて。


「……お、恩師殿」


 アズベルトは冷や汗を滲ませて、問う。


「幹部到着は、いつ頃になるのですか?」


「5」


「5分後……ですか?」


「いいや、4秒後だ」


「ぇ?」



 その頃、カースは絶壁を傍らに、膝の上に乗せた少女とともに絵本を読んでいた。


「大賢者と四人の使者は…人々の安寧を脅かされないために、地下に巨大都市を創ることにしました」


「うんうん!」


 満面の笑みを浮かべた顔をぶんぶんと振って、次なる頁を今か今かと待ち侘びる。


 やや遅れて、地鳴りが二人の元に轟く。


「……地震かな?」


「あぁ、恐らくそうだろう」


「皆んな、大丈夫かな?」


 不安げな表情で一瞥する。


「問題ない。今、この国には……勇者がいるからな」


 僅かに悲しげに、歪な笑みでそう言った。


 そして、全身が焼け焦げたような姿をし、槍を携えた若き女が、淡い緑葉の茂みから唐突に現れた。


「あの人、誰?」


 懐に収まるほどの痩躯の少女のあどけない一声が、カースの強張った硬直を解いて、忽ち我に返す。


「お前は……誰だ?」


 悠然と闊歩する。


 強かに芽吹く草花を何食わぬ顔で踏み躙って、無数の花びらが宙に舞い上がり、踏みしめた地には、禍々しい毒が蝕んでいた。


「……」


 口を硬く閉ざし、一切として表情の変わらぬ様は、物言わぬ傀儡のようであった。


 瞬く間に生命を枯らしながら、淡々と歩み寄っていく。


 鋭き長槍の鋒をカースたちに向けて。

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