第16話 戦争の引き金となった男

「過去語りはあまり好きじゃない。その者にとって都合の良いように改竄されているからな」


「史実と照らし合わせるためにも、必要な事だろう?」


「……知ってどうする?」


「ただ、真実を伝えたいだけだ」


 ウェストラは哀愁漂わせる面差しに沈んでいく。


「西諸国の連中に唆されたな。大方、『真実は我々にある』などと、恥ずかしげもなく宣ったのだろう」


「偽りに塗れたお前よりかは、幾分信憑性があるだろう」


「敗戦国の言葉に耳を貸すなど、甚だ疑問だがな」


「お前には分からないだろう……」


 勇者の背後に何かが忍び寄る。

 足音を忍ばせ、息を殺しながら、淡々と。だが、着実にその歩みを進めていく。


「……まだ死ぬ訳にはいかない」


「それはお前が勇者だからか?」


「……」


「ならば、俺が次の勇者となろう」


 サクッと木葉を踏みしめる音が響くとともに、勇者は疾くに視線だけで一瞥する。


 微かに歪む光景。


 ほんの少し目を凝らせば、気づける程度のもの。

 さながら水面が波打つかのように、地面が、木々が、空間が泳いでいた。


 何かが、誰かが、ウェストラが……勇者に迫る。


「ハァ……」


 ウェストラにふと目を向ければ、同じように、煌々たるナイフを握りしめ、刃を振るっていた。


 勇者はその手首を鷲掴みにし、くるりと捻ってナイフを地に落として、そのまま静かに目を瞑る。


 勇者の背にピタリと掌が付くとともに、その姿を露わにした。


 勇者は噎せ返るように、唾液を多分に含んだ蒼き楕円の水晶体を吐き出した。

 

 パキパキと亀裂が走っていき、殻から精霊が勢いよく飛び出す。


 慌ただしく勇者の口へ戻っていく最中に、ウェストラが精霊の腹を鷲掴みにするように握りしめる。


 矮躯な精霊は縦横無尽に暴れ回るが、それを気に掛ける様子さえ見せずに、数歩と後ずさっていく。


「お前を殺すのは全ての過去を聞いてからだ。無論、本心をな」


「瘴気に当たるぞ」


「なら、ついでにこの森林を焼き払おう」


 カースが鬼気迫る形相を浮かべ、茂みから緩慢に姿を現した。


「冒険者殺しの紅き北竜……ヒスロア・ノースドラゴン。貴様は何故、俺の妹を殺したァァッッ!!」


「ハッ。かつての俺も貴様らのように憎しみに駆られていたな。俺から兄を奪った北大国の王に復讐を誓ったように……」


「……」


「始まりは先代の王にあった。先代は数多の罪人を赦し、他国の人々までも慈しみ、慮る者だったよ。だが、王としての器は成してなどいない、叶うはずもない理想を赤裸々に語る、浅はかで矮小で憐れな男だったよ。全く、どいつもコイツも……そんなに知りたいのなら、冥土の土産に教えてやろう。俺の全てをな」


「北の先代が健在の頃は、一度たりとも戦争など起きていない。そうだったよな?戦争中毒者さんよ」


「だからこそ、他の三大国の圧政によって理不尽な法律の締結から軍備縮小に至るまで、その全てが奴の汚点に塗れた行いだ」


「それでも、血は流れなかった」


「代わりに、自国の民は飢饉に喘いでいたがな」


「……」


「一人の人間としては誉高き生き様であっただろう。だが、大国の長としては今までにない愚者だ。自らの国を礎として、これからの架け橋となる国民を大勢、見殺しにした独裁者だ。それ故に……」


「民によって殺されたと?」


「あぁ、暴動の中心に居たのが運の尽きだったな。骨と皮ばかりの夥しい数の国民によって嬲り殺しにされ、そう時も経たぬ内に新たなる王が誕生した」


「暴挙な政策を為す奴こそが、真の独裁者だろう」


「だが、国は栄え、国民たちは平穏を取り戻した」


「そのためにどれだけの人間を生贄に捧げた!」


「自らを欺くために綺麗事を並べて、半端な正義感と倫理を保つ貴様らには到底理解できないだろう。過去の俺がそうだったようにな」


「……?」


「人口減少と軍備縮小を余儀なくされた北大国の王の取った裏の政策は、勇者候補と冒険者と狩りだった。昔はその意味がわからず、朦朧としていたが、それも今となれば、他の大国のやがては戦争の主力となる逸材を殲滅するための前準備だったのだろうな。始めは体のいいことを聞かされ、全ての命令に異議を唱える事なく、大人しく従順に頷いていた」


「何故、貴様が指示を仰ぐ!?」


「先も言ったように、先代の意志は俺が継ぐ。そのために縁もゆかりも無い、大勢の者たちを虐殺し、虹龍討伐作戦にも参加した。だが、全てが八百長だった、戦争の引き金となるための口実造りに過ぎなかった」


「虹龍……」


「何処かの国では神獣として祀られていたらしい。それも権力を握った連中のな。初めから討伐隊に其の信奉者を忍ばせ、作戦遂行と同時期に仲間の殺し合いが始まった。敵も味方も分からずに、共に同じ釜で飯を食い、死線を潜ってきた仲間たちを大勢殺し、己の息尽き果てるまで、刃を握りしめていた。残された仲間たちと共に虹龍の元へと向かえば、当然のように数千の龍を連れ、俺たちを歓迎したよ。咽び泣きながら焼け焦げていく仲間を、逃げ惑う者たちを庇うように前線に飛び出した勇士が、灰も残らぬほどに燃やし尽くされ、気付けば俺一人だけが残っていた。数百の龍が天を、地を、覆い尽くし、俺はまるで弄ぶかのように虹龍に嬲り続けられた」


「そして、お前だけが祖国へと帰還し、戦争が始まった。そうだな?」


「あぁ、その国と対立関係であった西諸国の目論見であったと世界に告げてな」


「ゲスがッッ!!」


「貴様が手段も選ばずに大勢の者達をッ!」


「手段だとっ!?倫理を通して何が守れる!!己の身勝手な正義を貫いて、明日に一体、何が残る!?手段を捨てて勝ちを掴み取らなければ、未来にあるのは際限なく続く石碑の山だけだ!そうして、大勝した北諸国の英雄として向かえられた俺はようやっと玉座の間で、王と俺の対面を迎えることが叶った。ようやっと長きに渡る復讐劇にも幕が下りる。そう思ったよ」


「何故、その時に殺さなかった!!生かしていなければ、獣族は……魔族は奴隷になどならなかった」


「頭上に振り上げた刃を下ろせば、一瞬にして容易に終わっただろう。だが、次は誰だ。誰が悪魔となり、弱小国を世界に名を馳せる大国へと返り咲くなどという無謀な理想を叶えることができる!再び、叶わぬ理想を掲げるだけの者が座すか、肥えた雌豚のように太り、着飾った装飾を纏う屑が王冠を奪うか!数多の犠牲の上に成した平穏を享受する多くの者たちに終わらぬ闇を齎し、全てを無に帰すか!?己を蔑ろにしてまで戦死した戦士を冒涜し、祖国に全てを捧げて、繁栄に導いた民衆を侮辱するか?」


「あのエルフも奴隷制度の産物だろう!!」


「魔族か。エルフ、ドワーフ、アクア、ヒリュウその大半が世界人口の5割を占める北大国に棲まうことを自らが選択している。解るか!?これが現実だ!遠大な理想ばかりを長々と語り、実力も持ち合わせぬ貴様らが、世界を混沌に導き、現状を見据えた悪魔だけが、世界を正常なる道筋へと変えられる!」


「ったく、ようやっと話は終わったか?つまりお前は、独裁者の麾下きかに堕ちた訳だろ?」


「言い遺した言葉はあるかッッ!!」


「利己的な衝動に駆られた貴様らと、国を背負った今の俺では天地がひっくり返ろうとも、勝敗が覆ることはない」


「俺の意志だけじゃねえよ。俺だけじゃない……俺はそのために……フッー……」


 それぞれが徐に得物を握りしめる。


「言い遺したことはあるか?」

「言い遺したことはあるか…ッ!!」


「その言葉、そのまま返そうか」

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