第13話 サンピラー

 崩壊寸前の玉座の間。


 天井から崩れ落ちる瓦礫の篠突く雨が、地に臥した鎧たちに絶え間なく降り掛かる。


 玉座の鎧の上に、自らを覆い被さるように眠った鎧武者に、次第に募ってゆく瓦礫の山々が、俄かにその甲冑を歪ませていた。


 其の渦の中心には、禍々しい紫紺を帯びた鈍い光を放つ魔導書を握りしめた、ウェストラが獣の咆哮たる叫びを上げていた。


「ァァァァッッ!!」


「まずいな」


「……アァ」


 皆が身を寄せ合い、樹木たる長杖から発する淡い緑光が勇者たちを包み込み、乱れた呼吸を整える。


 そして、その行方を固唾を呑んで見守っていた。


「荷が重かったか」

「俺の実力不足だ。すまない」

「……ど、どうするの!?」


 エルフは崩れ落ちてゆく玉座の間を、キョロキョロと挙動不審に忙しなく見回す。


「エルフ、悪いが陣を描けるか?」

「陣って?」


「転送用の魔法陣だ。片割れは既にあの魔法使いが、刻んでいる。後は此処に最後の陣を描くだけだ」

「やったことないよ!!」


「なら、さっさと逃げろ」

「でも、まだ完全には……」 


 二人の傷が立ち所に癒えていくよりも僅かに早く、城塞はその体裁を瞬く間に崩していく。


「入り口が塞がるぞ!」


 疾くに振り返った先、瓦礫が積み上がりながらも、かろうじて大扉が姿を見せていた。


「この程度で死ぬのなら、俺は勇者になどなっていない」


 躊躇いを含んで立ち尽くす最中にも、時間は無情に過ぎてゆく。


 そして、遂に大扉に完全に塞がる。


「あっ……」


「……」


 だが、同時に勇者たちの深手であった傷も跡形もなく消えていた。


 勇者は手の握り解きを何度となく往復し、徐に懐に仕舞われた白の巾着袋から、黄金に輝く硬貨を取り出して、指先で爪弾く。


 キンッという金属音を奏でるとともに、弾かれたコインは円を描いて宙に舞い、地に臥した。


「すまないが、借りるぞ」


 硬貨の臥した地に掌を当てがい、瞬く間に放射線状に白き眩い刻印が広がっていく。


「全員離れるなよ」

「え!置いていくの!?」


「先も言っただろう。そう易々と死ぬ質ではないと」

「でも……」


「ウェストラッッ!!」


 カースの怒号が響き渡り、谺する。


 だが、囂々たる雑音が飛び交う所為か、ウェストラは呼び掛けに応える素振りさえも見せる事なく、牙城を崩し続けた。


かい


 ウェストラを残した一行は煌々たる眩い輝きに包み込まれ、光が収束すると共に卒爾に姿を消した。


 そして、ウェストラの魔導書の新たなる頁には、忽然と皓皓たる白き閃光が迸る。


 その所作は、さながら予め設定していたかのように。



 一行は住宅街前に舞い戻る。


「この迷宮はどうなるの?」


「守護者は息絶えた。いずれ、また魔力が巡るまでの長き間まで、地下深くに眠ることになるだろう」


「じゃあ早く地上に戻らないと!」


「何故、最初から地上に魔法陣を刻まない?」


「距離の差異によっては、五体満足で帰ることが望めない場合もある。まして此処は魔力の充満した迷宮だ。何が起こるかは未知数」


「ならば、走るか?」


「案内人」

「此処に」


 勇者の眼前で呼び掛けに応える者。


 忽然と黒煙が立ち込めるとともに、黒きローブを纏いし者が深々と首を垂れて跪き、颯爽と姿を現す。


「頼めるか?」

「承知致しました」


 疾くに大地に両の掌を揃えて添える。


「我、大地の恵みを受けし者に今一度、この血肉を糧として扉の枷を解き放て、開!!」


 指先から滴り落ちる鮮血が、混凝土の大地に独りでに扉の形を成して陣を刻み始めた。


「迷宮の入り口前に形成します」

「いいや、今は魔物の往来が激しいだろう。見渡しの良い場所に転送を頼む」


「ハッ!」


「魔物が外に出てるの!?」


「恐らくはな」


「人を襲うんでしょ!」


「無論、策はある。だが久々の大技だ、成功するかは五分五分……と言ったところだろう」


「何を……するの?」


「ウェストラは、……あいつはどうするつもりだ」


「自らの破滅を望むか、或いは自力で脱出し、弔い合戦の続きを為すだろう」


「……?」


「完了しました。皆様、どうか私の傍を離れぬように願います!!では、行きます!!」


「願くば、此処で消えてもらいたいがな」


 勇者は小さく囁く。


 誰にも聞こえぬほどに僅かな声量で。


 そして、三度、神々しい白光に包まれるとともに、忽然と姿を消した。


 

 勇者たちは無事に五体満足で、やや隆起した見晴らしの良い場所に転送された。


 見上げても尚、視界に収まらぬほどに聳え立つ古代迷宮の出入り口が、綺麗に映り込むほどに遥か遠くで迷宮を凝視していた。


「朝……。もう一日、経ってたんだ」


「我、業火を司る者なり」


「何…やってるの?」


 勇者の唐突な独り言に、エルフは小首を傾げる。


「死して尚、雄々しき獣を棲まう左腕に、森林をも呑む紅蓮の焔を纏いて、獰悪なる者たちが巣食う迷宮に天から舞い降りし、柱を刺せ」


 徐に迷宮に燃ゆる掌を突き出して翳す。


 その鎧に包まれた左腕を支えるように、右手で肘辺りを握りしめる。


「ねぇ!!」


 エルフの甲高い叫びに耳を貸すことなく詠唱を続けて、立ち竦みながらも、必死に手を差し伸べる。


 だが、勇者の傍らに佇んでいた案内人が妨げた。


「どうか、お静かに」


 濃い緑葉の木々が生い茂る間から垣間見える、緩やかに昇りゆく朝日。


「日の出と共に馳せ……。サンピラーッッ!!」


 光芒一閃。


 古代迷宮の入り口に、燦々と曙色あけぼのいろなる光芒が突き立てられた。


 精霊樹の森を焼き尽くさんとする業火の熱風が、遥か遠くに仁王立ちする勇者にまで、仄かに運ばれて紅き豪毛が僅かに靡いていた。


「ぁっ……」


 エルフの視界に燃ゆる炎が映り込む。


「精霊樹はただの森じゃない。魔力で生み出された焔でさえも、いずれは消えるだろう」


「……」


「今のは敵意を向けているように感じたが?」


 茂みの中から淡々と歩みを進めていく者。


「えっ?」


 徐に視線を声のする方へ向けた先、目に映るのは魔導書を抱えた白髪の青年であった。


「生きてたんだ。良かった……」


「そう易々と死んでたまるか」


 張り詰めた緊張の糸が切れたのか、ホッと胸を撫で下ろしながら、清澄なる涙が頬を伝う。



 王都への凱旋。


 無事に帰還した勇者一行は、馬車に揺られて王都へと舞い戻っていた。


 王都は空を破るほどの賑わいを見せていた。


「ハッ、魔王討伐を成したかのような賑わいだな」


「それ程までに、この国はあの迷宮に手を焼いていたのだろう」


「ご馳走、食べられるかな」


「……」



 諸々を終え、闇夜の漂った王都の中心。


 幾重にも重なる机上には、数えきれないほどのご馳走がずらっと並べられていた。


 祝宴を上げる国民たちの中心には、困り顔ながらも微笑みを浮かべる勇者がいた。


 だが、同時に月明かりの照らす森林で、ただ一人、天を仰ぐ勇者がいた。


「この宴の主役ともあろう者が、このような場で夜に耽っていて宜しいので?」


「失せろ」


 ぞろぞろと白皚皚たるローブを纏った者たちが、闇夜の樹林から忽然と現れる。


「幹部だけは顔を隠さないと聞いていたんだがな」


「えぇ、ですが私は何分、臆病なものでしてね」


 一人の白装束が勇者の問いに答え、踏み出した。


「機嫌を損ねたのなら謝罪致します。ですが、我々にも役目がございます故」


「素材でも探しに来たのか?」


「えぇ、まぁそんなところですかな」


「布教は構わないが、この宴の興を冷ますような行いをすれば……解っているだろうな?」


「無論、そのつもりでございます」


 怪訝な表情を浮かべながらも、再び徐に天を仰ぐ。


 緩やかに雲夜が揺蕩う。


 煌々たる黄金色の三日月を遮り、月明かりに照らされた勇者たちは、一瞬にして暗雲に覆われる。


「……。ハァ。お前たちに用があるのは勇者か?それとも俺にか?」


 勇者の顔が露骨に陰るとともに地に俯く。


「一応は、前者であります」


「ずっと視界の片隅に映っていると、不愉快極まりないんだ。俺の気が変わる前に去ね」


「ならば、一言だけ問うても?」


「……」


 勇者の承諾も無しに言い連ねる。


「先代様とはどのようなご関係で?」


「お前……此処で死ぬか?」


 徐に大剣を握りしめ、鬼気迫る形相を浮かべる。

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