第5話 ルクス神聖国からの依頼

 再びの静寂。


 絢爛たる応接間の机上に置かれた紅茶の水面に、勇者の顰め面が映し出されていた。


「遅い」


 待ち侘びること半刻。


 徐に背後の扉が耳煩い軋みを立てて、開く。


 漣なる波紋を立てる紅茶の水面に映る勇者の鉄面皮は、酷くひしゃげて歪みながら消え去った。


 緩慢に顔を上げて、扉に視線を向ける勇者の瞳に映るのは、杖を突いて細めた双眸の老夫であった。


 無精の白髯を蓄えながらも清潔感を漂わせる黒き衣服を纏い、ふらふらと向かいの席へと腰を下ろす。


「久しいな」


「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。本当にお久しぶりで御座います、


 喉を震わすかのような嗄れた声色に、節々に皺と浮き出た血管が目立つことも然る事乍ら、稀に垣間見える鋭い眼差しが、勇者を突き刺していた。


「以前に比べ、毛が減ったな」


 煌々たる額に目を向ける。


「左様で御座いますか……貴方様も紅毛が大分減られたように窺えますな」


「そう見えるだけだ。さっさと本題に入ろうか」


「そうですね。えぇ、今回のような誉高き旅路に、些か阻礙させてしまわぬか頭を悩ませ……」


「瑣末に過ぎん。御託はよして、さっさと話せ」


「この度、精霊樹の森に迷宮が出現しました」


「まるで他人事のような語り口だな。13年前の一件以来、慎重になり過ぎているように見えるが?」


「えぇ、例の恐慌は世界を騒がせ、今でも尾を引いていますからな。我が国民を魔物などと比喩されては困ります故」


「その結果がこの様か」

「面目ありません」


「隣接する精霊樹の森に古代の地下迷宮か。先日、何処ぞの研究者が宣っていたな。『迷宮が出没するのは地下にを張り巡らせているから』と」


「はてさて、私のような老人は世間一般の情報は疎いものでして。そのような話は存じ上げませんな。ハハハ」


 乾いた笑いが響き渡る。


「ルクスの尻拭いを俺にしろと?」


 間。


「いえいえ!とんでもありません。貴方様にこの様な雑務を頼むなど、甚だ烏滸がましい」


 深々と頭を下げる。


 そして、徐に一瞥した。


「私は様に御頼みしたのであります」


 その一言に、勇者は不敵な笑みを零す。


「ハッ、相変わらず喰えないジジイだ。良いだろう其の願い、我アーサー・ノースドラゴンが承った」


「真に寛大な勇者様であらせられますな」


「ほざけ」


 勇者は紅茶を一気に飲み干して、眉根を寄せながら、その場を早々に後にした。



 勇者は正門前へ淡々と歩みを進めていく。


 だが、思わぬ待ち人と相見える。


 衣服に仄かに土埃を付けた白髪と、宝石の装飾の王冠を被りしエルフに、緑葉の羽根を摘む魔族が、取るに足らない会話を弾ませ、正門に佇んでいた。


「何のつもりだ?」


「行くんでしょ?」


「手出し無用。これは個人の問題だ」


「ならば、勇者が行くべきではないのではないか?今の貴様は勇者なのだろう?」


「同じく」


「ハァ……後悔するなよ」

「やったぁーー!」


「勇者様ァー!!」


 あどけなく甲高い声が、勇者の背から次第に近づいてゆき、純白なる外套をひどくひしゃげさせて、誰かが足にしがみつく。


「…」


 徐に振り返れば、其処には満面の笑みを浮かべて一輪の花を握りしめる、一人の少女がいた。


「勇者様!」


 少女の目線まで身を屈めながら、真昼の陽気のように暖かな言葉を返す。


「どうした」


「これ!」


 眼前に差し出したのは、濃黄の花芯が盛り上がり、純白の細き花弁を咲かす一輪の花であった。


「俺に?」

「うん!」


 そっと花を掴み取り、懐へと仕舞い込む。


「そうか。ありがとう」


 緩やかに頭に手を添えようと手を伸ばした瞬間、寸前の所でピタッと止まった。


「……?」


 さながら何かを思い出したかのように、屈託のない少女の笑みに血走った眼差しを向けて、差し伸べんとした掌を疾くに地に下ろす。


「世界を救ってください!」

「あぁ。ぁぁ。……?」


 雄叫びを上げたのは、戸惑いを見せる少女の遥か後ろであった。


 勇者が前に目を向ければ、道を埋め尽くすほどの大勢の観衆が人垣を生み出していた。


「いつの間に……」

「皆んな、みんなね!一生懸命応援してるんだ!!だから、だから絶対に負けないで!!」


「そうか」


「勇者様!水くさいですよ!」

「そうだー!見送りぐらい真夜中でも真昼間でも喜んで致しますよ!!」

「戦いには参加できませんがご馳走を用意してお待ちしております!!」


 黄色い声援ばかりで溢れかえっていた。


 白髪は郷愁に駆られたように、歓声が行き交う勇者の背中を、白皚皚たる外套を虚ろに、けれど何処か遥か遠くを眺めるように見つめていた。


「……勇者か」


 ため息を零すようにボソッと吐露する。


 そして、其を静かに注視する魔族であった。

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