第4話 ルクス神聖国

 鼻水を垂らして凍えそうに体を震わすエルフと、ただ只管に行く先に目を向ける三人。


「そろそろ、着くぞ」


「ゔーん」


 ずるずると鼻水を啜りながら、振り返る。


「助けが必要な者はいるか?」


「無用」

「誰に言ってる?」


「え?え?まさか、まさか、そんな馬鹿げたことしないよね?ね?ねえ!」


 白息が立ち昇り、ボーボーと風切り音が絶え間なく襲い続ける極寒の遥か上空。


 三者は徐に大地へ視線を移す。


「降りるぞ」


「ねぇ!まだそういうのはさ!早いから!」


 エルフが支離滅裂に必死に訴えかけるも、勇者一行は一切聞く耳を持つことはなかった。


「ルクスでの北竜の来訪は法で禁じられている。先日、数十の赤龍たちと共に上空を通り過ぎただけで、ルクスに呼び出されてしまったからな」


「当たり前だよ!ねぇ、普通に降りようよ!」


「いや、知らしめなければいけない」


 疾くに立ち上がる三人は、宙に足を置く。


「俺たちの存在を」

「誰にぃ!!」


 勇者は、鱗にしがみついて尻込みするエルフの丹田を、手荷物を抱え込むように颯と小脇に抱えた。


「イヤダァ!!」


「悪を崇拝する者たちにだ」


 勇者は赤竜の眼に視線を注ぐ。


「ありがとう……」


 勇者の乾いた御礼の一言を、赤竜は静かに一瞥し、紅き業火たる大息を放った。


「また何処かで」


 一行は飛び降りる。


 見えぬ大地に向かって。


「ァァー!!」

「喋るな、舌を噛むぞ」


 ボーボーと耳を劈くかの如く風切り音が絶え間なく襲い続けて、小煩い悲鳴さえも遮っていた。


 勇者は周囲に目を配りつつ、揺蕩う白雲を突き抜けながら、未だ見えぬ大地に掌を向けた。


「問題ないな!?」


 勇者の言葉を風切り音が断截し、数メートルと離れた二人には届きはしなかった。


「……」


「ーー!」


 白髪の傍らにいた魔族は自らの巨躯を両腕で包み込んで、さながら球体のように蹲り、地に落ちた。


「……は?」


 地面スレスレで、ふわっと身を浮かせる白髪だったが、お構いなしに大地に鈍い轟音を鳴り響かせ、舞い上がった土埃が、瞬く間に二人を呑み込んだ。


「お前は脳まで筋肉で出来てるのか?」


 地面に降り立った白髪は、身体を煩わしく包んだ土埃を、忽然と足元から渦巻く暴風が吹き荒らし、あっという間に霧散させた。


「全く、あまり手間をかけさせるな」


「すまない」


 遥か上空からの落下をもろに食らった魔族の肉体は、骨折は疎か擦り傷一つさえ付いていなかった。


「あの馬鹿は?」


「此処にいないのなら、恐らくは……まだ…」


 二人は天を仰ぐ。


「ウワァァァーー!!」


「沈め」


 絶え間なく滴っていく涙の雫が宙に舞いながら、沈みゆく大地に全身を呑み込まれていく。


 悲鳴が途絶えたのも束の間、まるでグラス一杯の水に高台から一滴の雫が滴り落ちるかのように、二人を天高く静かに弾き返す。


「うわぁぁ!!」


 颯と降り立って、彩り華やぐ花畑が続く道の先に、絶壁聳える正門前へと目を向けた。


 エルフを手放した勇者は、魔族を一瞥する。


「ルクスは魔族排斥主義国家だ。貴様が望むのなら幻影で姿を変えることも、こちらは厭わないが?」


「親切心に心配感謝しよう。だが、不要だ」


「そうか、ならば……傍を離れるなよ」


 エルフが衣服に付いた土埃を叩き払う最中、三人は見向きもせずに歩みを進めていった。


「ねぇ!?ちょっと!」


 大地を蹴り上げて、慌ただしくその跡を追う。


「四大国以外は、やはり何処も城塞都市なんだな」


 ウェストラはボソッと呟いた。


 頭を垂れる門兵を横切って、踏み入った。


 数多の歓声が湧き上がり、国民たちの人垣が狭き一本道を作り出したルクス神聖国へと。


 勇者は敬礼する兵士たちに目を配った。


 くりっとした目つきの金髪縦巻きロールに、艶やかな銀色の長髪と、茶褐色の頬に傷が刻まれし騎士たちが、剣を突き立てて跪く。


 だが、それと同時に微かな讒謗ざんぼうとともに、冷然たる突き刺すような視線が魔族を襲う。


「これから、どうするつもりだ」


 その視線に勘づきながらも、泰然と目を背ける。


「王に入り用だ。しばし時間を取らせてもらう」

「ねぇねぇ!その間、色々と回っててもいい?」


「構わないが、迷うなよ」

「うん!」


「無論、挨拶がさ…」


 勇者が振り返れば、皆一同は観衆を押し除けて、それぞれが異なる場所へと足を運んでいた。


「おい…」


 掌を広げながら留めようとするが、瞬く間に三者は雑踏に紛れていってしまっていた。


 勇者は渋々ただ一人、騎士たちが幾つもの剣を天に重ねし謁見の間へと、淡々と歩みを進めていく。



 殺風景な謁見の間。


 国王はただ一人で玉座に頬杖を突いて、眠たげな眼差しを勇者に向けていた。


 王と勇者、他は誰一人としていない静寂。


「貴様は此処まで一人で来たのか?」


「すまない」


 そう言い、僅かに視線を地に向けた。


「ハァ……貴様は人も導けないのか」


「何分送ってきたのは、地獄ばかりなもので」


「血塗られた過去にいつまで縋る気だ?お前は誉高き勇者であろう?先導者たるもの、如何なる状況下に於いても、柔軟に対応せねばならない」


「あぁ。だが、まだ何も終わっていないからな」


「そうか。話は変わるが、跪かぬか勇者よ」


「……。断る」


「誰ぞ!この尊大な彼奴を呼んだのはっっ!!」


 唐突な怒号が行き交い、谺する。

 だが、誰一人として呼応する者はいなかった。


「……」


 謁見の間は水を打ったように静まり返った。


「あぁ、我か」


「耄碌したならば、早々に玉座から退いていただこうか」


「いや、まだ鎮座させてもらおう。人を見下ろすそど甘美なものはないのだから」


「ハァ……。話は変わるが、兵の連中がやけに新米ばかりに見えたが、一体…どういう腹積もりだ?」


「ほう。貴様とあろう者が到頭忘れたか?これではどちらが老いたか分からんではないか。ハハハッ」


「……。虹龍か」


「左様」


「もうそれほどの時が経ったか」


「いつの世も時は無情に過ぎゆくもの。それ故に人は今を大事にするものよ」


「今を軽んじる者も少なくはないがな」


「邪魔な護衛共はこの場から外させた。どうだ久しく語らおうではな──」

「要件を述べろ」


「つれないな貴様は。あの頃と全く変わらぬよ」


「互いにな」


「リヒターに委細告げておる」


「そうか」


 勇者は外套を翻し、その場を後にした。


「仮面を被る憐れな勇者よ、健闘を祈るぞ」


 王は、寂しげにぶつくさと呟いた。

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