第3話 綺麗な魔法と次の地へ

 不思議そうに小首を傾げるお転婆娘に根気負けした勇者は、膨らみある籠手を徐に天に差し向けた。


「どうするの?」


「掌を上に向けて、目を瞑ってくれるか?」


「うん」


 戸惑いつつも、手を伸ばしながら瞳を閉ざして、勇者はエルフの額に、そっと籠手を翳す。


 パチパチッ!と掌から乾いた音が走っていく。

 

 エルフのピクリと瞼が動き、そっと瞳を開こうとするも、暫くの間を置き、ぎゅっと目を瞑り返す。


 そんなことを数回と繰り返していく内に。


「もういいよ」


 満を持して目を開いた先、燃ゆる炎が独りでに動き出し、小さき黄龍が両翼を広々と伸ばして、口から紅焔たる業火を放っていた。


「綺麗……」


 燃ゆる炎の生み出した動く絵が、御者の心すらも射止め、その場にいる者たちの視線を釘付けにしていた。


 掌に燃え盛る炎を目の当たりにしたエルフは、戦慄きながら慌ただしく立ち上がった。


「わぁ!!熱っ!」


「本物の炎じゃない。燃えないし、熱くもない」


 パチパチと乾いた音を立てて、幌に幾度となく当たるものの、一行に燃え移る気配などはなかった。


「ホントだ。熱くない」


 小煩く喚いていたエルフは、ホッと胸を撫で下ろす。


「でも、本当に綺麗……」


 炎に照らされ、仄かに浮かび上がる。


「色は感情を、炎は想像を形成している。他には記憶なども……」


「何て魔法!?」


 勇者が僅かに目を見開いて強張るのも束の間、徐に天を仰いで、ボソッと呟く。


「……もう忘れたよ」


 そして、再び勇者は床に項垂れた。


「そっか。ごめんなさい」


 エルフは煩わしい掌を天に向けながら、又もや、勇者の傍に静かに腰を下ろした。


 だが、次の地に着くまでの数時間、一切として駄々を捏ねることはなかった。


 赤竜の荒野。


「此処でいい」


 御者は緩やかに馬車を止め、一行は雑草さえも生い茂らぬ荒涼とした大地へと降り立った。


 高々とした岩山が聳え立ち、遥か上空の蜃気楼からは無数の赤竜の群れが彷徨っていた。


「もしかして、ここから歩き?」

「魔法使いの要望と時間的な問題により、此処からの移動は竜にさせてもらう」


「……えぇ!」

「最初から、そうしておけばいいものを」


「でも!竜だよ!竜!倒してアンデット化するのを待つの?」

「いいや、そんな荒っぽいことはしない」


 膨らむ籠手を天に突き上げる。


「サラマンダー…。紅」


 遥か上空にまで猛き紅焔が荒れ狂う。


 それは大空羽撃く赤竜の群れに届き得るほどに。


「おお!おぉぉ…ぇ、嘘」


 そして、白雲を突き抜けて、触れてしまう。


 赤竜の逆鱗に。


 勇者の頭上から空を切り裂いて、猛禽かの如く速さで降り掛かる。


「全員、衝撃に備えろ」


 大地を薄氷の如く造作なく叩き割って降り立ち、囂々たる衝撃音が響き渡り、爆発かのような突風と舞い上がる砂埃に、一行は立ち所に包み込まれた。


「目っ目がァァ!!」


 エルフの轟く悲鳴に、聞く耳も持たぬ4人は赤竜から一刹那さえも目を離すことなく、静かに注視していた。


 一行を凝視する赤竜の鋭き眼差しを。


 白髪は疾くに書物を開き、魔族は拳を握りしめ、勇者は徐に籠手を下げた。


「久しぶりだな」


 ギョッと、突き刺すような視線が勇者を捉える。


「お前の力を貸して欲しい」


 泳がすように一同を一瞥する。

 

 赤竜はゆっくりと瞬き、尻尾を引き摺らせながら、地鳴りとともに背を向けた。


 馬車を踏み潰すのに他愛もない、数十メートルを優に超えた巨躯なる全貌を露わにして。


 煌びやかな紅き光沢の鱗に全身が覆われた厚き鉤爪を深々と地に刻み、尻尾をピタリと地に付ける。


「なんて?」


 目を擦りながら問う。


「許可が降りた、乗っていいぞ」

「やっったーー!!」


 エルフは両手を高々と天に突き上げながら、一目散に駆け出して、尻尾から広々とした赤龍の背に乗り込んだ。


「すっごーい!」

「落ちるなよ」

「落ちてくれて構わないから、黙ってくれ」


 次々と竜の背に乗っていく中で、勇者の背に佇む御者は頭を垂れて跪く。


「此処までご苦労だったな」


「どうか、ご無事で」


「あぁ」


 勇者は、振り返りながら懐から硬貨を取り出し、そっと差し出した。


「顔を上げろ」


 顔を上げた先の絢爛たる金貨に瞠目した。


「っ!戴けません!!対価なら既に…」


「ならば、預かっておいてくれないか。次に会う時まで」


「……はい。承知しました」


 渋々頷いた御者は、金貨を抱え込むように握り締め、再び、深々と頭を下げる。


「すまないな」


 次第に勇者の足音が離れていこうとも、決して僅かにも上げることなく。


「大英雄の勇者様が、硬貨に細工とは…」


「…」


「お前の底なしの醜悪さに、反吐が出るな」


 そう吐き捨てて、そっと目をやる。


 未だ尚、頭を下げ続ける御者に向けて。


 鋭利な紅き鱗が一面連なる両翼を羽撃かせ、舞い上がる砂埃と共に飛び上がる。


「行こうか、次の地へ」


 勇者一行は飛び立った。


 ルクス神聖国、首都ルナルクスへと。

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