第2.5話 綺麗な魔法

 不思議そうに小首を傾げるお転婆娘に根気負けした勇者は、膨らみのある籠手を天に向けて差し伸べた。


「どうするの?」


「掌を上に向けて、目を瞑ってくれるか?」


「うん」


 徐に手を伸ばしながら瞳を瞑った。


 エルフの額に、そっと籠手を翳す。


 パチパチッ!と掌から乾いた音が走った。

 

 エルフのピクリと瞼が動き、そっと瞳を開こうとするも、暫くの間を置き、ぎゅっと目を瞑り返す。


 そんなことを数回繰り返していく内に。


「もういいよ」


 満を持して目を開いた先、燃ゆる炎が独りでに動き出し、小さき黄龍が両翼を広々と伸ばし、口から紅焔たる業火を放っていた。


「綺麗……」


 燃ゆる炎の生み出した動く絵が、御者の心すらも射止め、その場にいる者たちの一同の視線を釘付けにした。


 掌に燃え盛る炎を目の当たりにしたエルフは、戦慄きながら慌ただしく立ち上がった。


「わぁ!!熱っ!」


「本物の炎じゃない。燃えないし、熱くもない」


 パチパチと乾いた音を立てて、幌に幾度となく当たるものの、一行に燃え移る気配などはなかった。


「ホントだ。熱くない」


 小煩く喚いていたエルフは、ホッと胸を撫で下ろす。


「でも、本当に綺麗……」


 炎に照らされ、仄かに浮かび上がる。


「色は感情を、炎は想像を形成している。他には記憶なども……」


「何て魔法!?」


 ギョッ!と目を見開くのも束の間、勇者は徐に天を仰ぎ、ボソッと呟く。


「……もう忘れたな」


 再び、勇者は床に項垂れた。


「そっか。ごめん」


 エルフは煩わしい掌を天に向けながら、再び、勇者の傍に静かに腰を下ろした。


 だが、次の地に着くまでの数時間、一切として駄々を捏ねることはなかった。


 赤竜の荒野。


「此処でいい」


 御者は緩やかに馬車を止め、一行は雑草さえも生い茂らぬ荒涼たる大地へ降り立った。


 高々とした岩山が聳え立ち、遥か上空の蜃気楼からは無数の赤竜の群れが彷徨っていた。


「もしかして、ここから歩き?」

「魔法使いの要望と時間的な問題により、此処からの移動は竜とすることにした」


「……えぇ!」

「最初から、そうしておけばいいものを」


「でも!竜だよ!竜!倒してアンデット化するの待つの?」

「いいや、そんな荒っぽいことはしない」


 膨らむ籠手を天に突き上げる。


「サラマンダー…紅」


 遥か上空までに猛き紅焔が荒れ狂う。


 大空羽撃く赤竜の群れに届き得るほどに。


「おお!おぉぉ…嘘」


 そして、白雲を突き抜けて、触れてしまう。


 赤竜の逆鱗に。


 勇者の頭上から、猛禽かのような速さで、空を切り裂いて、降りかかって来る。


「全員、衝撃に備えろ」


 大地に割って降り立ち、囂々たる衝撃音が響き渡り、爆発の如く突風と舞い上がる砂埃に、一行は包み込まれた。


「目っ目がァァ!!」


 エルフの轟く悲鳴に、聞く耳も持たぬ4人は赤竜から一刹那も目を離すことなく、静かに注視していた。


 一行を凝視する赤竜の鋭き眼差しを。


 白髪は疾くに書物を開き、魔族は拳を握りしめ、勇者は徐に籠手を下げた。


「久しぶりだな」


 ギョッと、鋭い眼差しが勇者を捉える。


「お前の力を貸して欲しい」


 泳がすように一同を一瞥する。

 

 赤竜は、ゆっくりと瞬き、地鳴りとともに背を向けた。


 馬車を踏み潰すのに他愛もない、数十メートルを優に超えた巨躯なる全貌を露わにして。


 煌びやかな紅き光沢の鱗に全身が覆われた厚き鉤爪を地に刻み、尻尾を地につける。


「なんて?」


 目を擦りながら問う。


「許可が降りた」

「やっったーー!!」


 エルフは両手を高々と天に突き上げながら、一目散に駆け出し、尻尾から広々とした赤龍の背に乗り込んだ。


「すっごーい!」

「落ちるなよ」

「落ちてくれて構わないから、黙ってくれ」


 次々と背に乗っていく中で、勇者の背に佇む御者は頭を垂れて跪く。


「此処までご苦労だったな」


「どうか、ご無事で」


「あぁ」


 勇者は、振り返りながら懐から硬貨を取り出し、そっと差し出した。


「顔を上げろ」


 顔を上げた先の絢爛たる金貨に瞠目した。


「っ!戴けません!!対価なら既に…」


「ならば、預かっておいてくれないか。次に会う時まで」


「……はい。承知しました」


 渋々、頷いた御者は、金貨を抱え込むように握り締め、再び、深々と頭を下げる。


「すまないな」


 次第に勇者の足音が離れていこうとも、決して僅かにも上げることなく。


「大英雄の勇者様が、硬貨に細工とは…」


「…」


「お前の底なしの醜悪さに、虫唾が走るよ」


 そう言い吐き捨て、そっと目をやる。


 未だ尚、頭を下げ続ける御者に向けて。


 鋭利な紅き鱗が一面連なる両翼を羽撃かせ、舞い上がる砂埃と共に飛び上がる。


「行こうか、次の地へ」


 勇者一行は飛び立った。


 ルクス神聖国、首都ルナルクスへと。

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