第2話 冒険者
「手伝おう」
そう言って、ようやっと重い腰を上げんとする魔族だったが、勇者はその進行方向を遮るようにして、片手を緩慢に広げた。
「手出し無用、俺一人で事足りる」
勇者は淡々と幌から降り立って、声の主へと歩みを進めていった。
「要件を述べろ」
随分と大荷物と大剣を背負う大柄な茶髪の男と、黒々しく淀んだ魔石の装飾の長杖を握る刈り上げの金髪野郎に、双剣を携えた身軽な背格好の随一の若者の前に、泰然と仁王立ち。
「勇者殿とお見受けした」
「腕試しか?」
言葉を被せて食い気味に放った一言に、真ん中の金髪が徐に頷いた。
「ならば、さっさと来い」
3人は張り詰めていた緊張が解れて、一瞬ばかりの弛みが生じるが、直ぐに真顔へと変わっていく。
大荷物をそっと地に置いて、両端の者たちは間合いを図りつつ、陣形を横に広げていった。
「剣は抜かないのか?」
金髪は腰に携えた大剣に目を向けながら、素朴な疑問を投げつける。
「無論、貴様ら如きを相手に、そう易々と扱っていい代物ではないからな」
魔法使いはまごうことなき速答に、不満げに眉根を寄せながら杖を緩やかに、そして静かに構えた。
その一部始終を音を殺して注視していた、長きに渡った眠りから目覚めしエルフ。
ボサボサと至る所がハネた少女は、幌から身を乗り出して、そっと勇者の背を覗き込んでいた。
目を眩いほどに輝かせ、今にもエルフの感銘が耳元に聞こえるほど興奮を露わにしていた。
そして、その視線を気取っていた勇者は、其を視界の端に確かに捉え、静かに一瞥していた。
溜め息を吐くかのように、言葉を零す。
「はぁ……」
一瞬ばかり澄み切った青空を仰ぐ。
そして、疾くに顔を下ろし、掌を大地に向けた。
「氷剣」
掌から皓皓とした霜が降り注ぎながら、光芒たる蒼き光を発し、粗悪な氷の剣が生み出されてゆく。
静寂。
大地に突き立てた氷剣を、やや膨らみのある籠手で徐に握った。
その瞬間。
挟み込んだ双方はピタッと歩みを止めて、互いの視線がぶつかり合い、かろうじて勇者の視界の端に留まる両者が背から挟み込む。
「スノースピア」
勇者は再び、掌を地に向けるとともに、さながら凛とした霜が舞い降りて、瞬く間に針に等しき三本の槍が、三者へと矛先を向けた。
煌々たる紫紺を帯びた円形なる魔法陣が、槍の末端に忽然と姿を現し、勇者に何の所作もなく……。
投擲。
眼にも止まらぬ速さで、三者に迫り来る。
金髪は身を崩しながらも頬を抉るように掠めて躱わし、氷槍は深々と大地に突き刺さった。
大柄が見た目に反した軽やかな動きで、大剣を盾の如く眼前に翳して禦ぐ中、氷槍が若人の右肩を糸も容易く貫く。
血飛沫を絶え間なく噴き出し、顔面蒼白になりながらも、恐る恐る己の身を貫いた槍に目を向ける。
「ァァァッッ!!」
瞬く間に襲い来る激痛に悶え、苦痛の悲鳴を上げて崩れ落ちるのを見届けた勇者は、端にチラつく茶髪に徐にその視線を向けた。
「ゥォォォォツ !!」
囂々たる咆哮とともに、振り翳された大振りに、煩わしい土埃を軽々と払うかのように身を翻す。
大剣は轟音なる地響きとともに、数十センチの窪みを作り上げた大地に叩きつけられ、割れた土石や砂埃が激しく舞い上がった。
茶髪の視界に僅かに浮かび上がる勇者の人影は、ゆらゆらと歪みながら忽然と消えていく。
「何処に!?」
大剣を無闇に振り回しながら、キョロキョロと辺りを見回していたが、当然ながらに土埃ばかりが視界を覆い尽くし、大剣を空を切るばかりであった。
ただ立ち尽くしていた魔法使いは、煙幕に紛れる勇者の全貌すらも捉えきれずにいた。
淡々と足音を忍ばせながら、大回りに背後に忍び寄り、そっと大柄な男の背中の鎧に手を触れる。
膨らみのある籠手に憐れみの目を向けて。
「サラマンダー…………」
幌の中で静かに眠りについていたウェストラは、決して鼓膜に響かぬであろう筈の一言に瞠目する。
囁きに気付き、疾くに振り返る茶髪を歯牙にも掛けないで、掌から燎原たる炎が燻り、俄かに黒煙が立ち込める。
「紅」
「待っ!!」
何かを気取ったかのような形相を浮かべ、必死の想いで嘆願する姿を視界にすら入れず、其は燃ゆる。
猛き紅焔。
赤竜が喰らうが如く豪炎は、茶髪に呻く間さえも与えずに、その巨躯を容易に呑み込んだ。
薄れゆき、弱まりつつある業火から垣間見える黒々と焼き尽くされた巨躯に、金髪は汗を滲ませるとともに激しい武者震いが襲った。
「これで……冒険者か?」
勇者は鋭く冷徹で冷酷な眼差しを、やや背後の氷槍を静かに一瞥し、流れるように戦慄く一歩手前の金髪魔法使いに目を向けた。
それは、蛇に睨まれし蛙さながらにビクッ!と、全身を強張らせ、両脚を竦ませる。
「お前は此処まで一人で来たのか?」
装飾の宝石から淡い緑光を発して、震える指先で長杖を眼前に突き出す。
「遅い」
足元に浮き上がる円の魔法陣。
氷剣を構えながら煌々たる紫紺の陣に足を乗せ、前屈みに上体を倒し、瞬く間に砂埃を舞い上げて、金髪の眼前に迫り来る勇者。
迫り合う長杖と氷剣の間に、入り混じった金属音と氷解音が鳴り響く。
死に物狂いで杖を押し出す魔法使いを、悠然と貶む瞳で見つめ、沈黙を破る。
「形状変化」
「っ!?」
パキパキと音を立てる氷剣は、一刹那に至る所に亀裂が走っていった。
溶け出した氷が形を変え、鋭利な棘が弧を描いて電光石火の如く、金髪の片目を刹那に捉えた。
慌ただしく、咆哮たる詠唱を吐き捨てる。
「スターフラッシュ!!」
眼下の閃光。
眩い閃光が勇者の視界を覆い尽くし、矢継ぎ早に地中から土石を砕いて迫り出した鋭い土石の槍が、眼前に迫っていた。
勇者は、寸前のところで体勢を崩し、槍は頬を僅かに掠めて、宙に飛ぶ。
それと同時に魔法使いは、そそくさと地に張り巡らせた陣を叩くように足を置く。
数メートルと一直線に真後ろに退いて、逃げた道に砂埃が舞い上がる最中、勇者の頭上で勢いの死んだ土石槍に目を向ける。
勇者も同様に大地に突き刺さった氷槍に掌を翳す。
「リターン」
「リターン」
互いの槍が降り掛かる。
勇者の頭骨に──魔法使いの脇腹へと。
勇者は徐に天を仰ぐ。
折り畳む三指と揃えた人差し指と中指に、震えるほどに力を込めて、呟く。
「
降り注ぐ長槍は、只の土石に姿を変える。
「魔法が解けた…?」
自らに降り掛かる小さき土石に白き陣を巡らせ、落ちゆく土石の下の土石に、三度、紫の陣。
氷槍は肉を裂くような鈍い音を走らせ、脇腹を貫いて、続け様に一刹那に土石が金髪の額に迫った。
「ウッ!」
鈍い音が額に走り渡り、上体を激しく仰け反らせて、双眸を細めた。
「……」
乱れた呼吸と小刻みに震える手で、患部を必死に抑えながら、緋色の鮮血が眉に滴る金髪の背後を、息を殺して立ち尽くす勇者。
手に握る杖の装飾が神々しき光を発して、慎重に辺りに目を凝らしながら勇者の行方を探す中。
徐に天に籠手を突き上げる勇者。
粉雪さながらに霜が降りてゆく。
「氷剣」
「はっ!?」
咄嗟に振り返った先、泰然と氷剣の鋒を首筋にすり寄せる姿があった。
「好きな方を選べ」
勇者は流れるように横たわる二人に視線を向けた。
其に呼応する金髪は、目を泳がせた。
パーティメンバーへと。
「し…」
「参った」
潔く迷うことなく宣った。
「頼む……!バックの中の瓶をあいつらにッッ!」
苦しみに悶えながら懇願する。
「……?」
勇者は渋々バックの元に歩み寄り、細心の注意を払いながら、分身に中身を弄らせた。
「……!?」
手探った分身が何かを見つける。
「何だ」
中から出てきたのは、清浄なる澄んだ水の入った魔法瓶であった。
「聖水か?」
あぁ、と小さく頷く。
「そうか、もういい」
そう言い、分身は雲が振り払われたかのように、跡形もなく霧散した。
勇者はむざむざと突っ伏した二人に、満遍なく聖水を垂らし、瓶の中身が空になると、眩い緑光が二人を包み込んだ。
徐に大地に籠手を向ける。
「開け……捕縛」
懐に仕舞われた白き巾着の中身から、極太の金属製の一本の縄が飛び出した。
独りでに動き出した縄が、せり出した土石柱に凭れ掛かるように、三人の胴を縛り付ける。
金髪は、未だに項垂れて長き眠りにつく二人を一瞥し、ホッと安堵して仄かに頬を緩め、太陽に陰る勇者の面持ちに目を向けた。
「何故、生かした?」
怪訝な表情を浮かべる金髪と、未だ尚無愛想の勇者。
勇者は、ゆっくりとエルフが幌から身を乗り出す馬車に目を向けた。
勇者の視線に気付いたエルフは、ガクッと体を飛び上がらせて、慌てて身を隠す。
「互いに面倒な荷物を背負ったな」
「……。そう、だな。そうかも知れないな」
徐に三人に背を向け、懐から手探りに取り出した煌びやかな硬貨を二指に挟む。
小突く様に親指で爪弾き、コインは宙に舞う。
金貨はキンッと高らかな音を立てて、金髪の眼下の地に落ちた。
「何のつもりだ?」
「今後の衣食住の足しになるだろう」
「要らぬ世話だ」
「冒険者ってのは、日稼ぎで食い繋ぐものだ。黙って受け取っておけ」
「…?」
金貨とともに取り出していた、割れた楕円の金の札を、これ見よがしに翻した。
「身分証……か?そうか、そうだったのか。あんたも俺たちと同じだったんだな。だが、これ以上の介抱は不要だ」
「ならば取っておけ、次に会うときまで」
「次?」
「お前たちは強くなる。俺が保証しよう」
金髪は双眸を細め、憐れむように、けれど仄かに眼を輝かせ、二人に視線を泳がした。
「夕刻前には解けるだろう。それまでは、三人仲良く反省会でもしているといい」
そう言い残し、その場を後にした。
馬車へと帰還した勇者は末尾に身を置く。
「国境の移動方法は、お宅ら特有の赤龍と聞いていたんだが、随分と話が違うようだな?」
「先日の戦闘での療養で少し体が鈍ってしまい、其の話は取りやめにさせてもらった」
「だから、こんな馬車なんだ。でも私、こういうの結構好きだよ、この古びた感じ」
「ほう?つまり、あの待ち伏せは想定内だったと?」
「気に障ったのなら謝罪しよう」
「願わくば、地に突っ伏し……」
「ねえ!ねえ!」
突然と白髪の言葉を遮って介入するエルフ。
「おい!こっちの話がまだ…」
訝しげに手を突き出す白髪を尻目に、目を眩く輝かせ、息遣いが当たるほど眼前にグイグイと迫り、饒舌に言葉を滑らした。
「元々、冒険者だったの!?ねぇ!何年間!どんな旅だった!仲間は!?」
「たかだか、一年余りに過ぎな」
「魔法も使えるんでしょ!?私役目なくないですか!?」
「攻撃魔法と、多少の治癒魔法が使える程度に過ぎない。不要な筈がな…」
「っていうか、魔法が使えるのに、何で魔力を感じないの?どっかの誰かは突き刺すような魔力を馬鹿みたいに漏らしてるのに…」
「おい」
「多量の魔力は人体に影響を及ぼす。其に…」
「え!じゃあ私たち、めっちゃ不健康ってこと!?」
「其の為に、衣服や防具には魔力を吸い上げる魔法が施されているから対して健康に害はない」
執拗な質問攻めとともに身をすり寄せていくエルフに、胴を仰け反って辟易する勇者を目の当たりにした魔族は、
「フッ」
と笑みを浮かべた。
「ねぇ!?」
白髪は不服ながらも勇者の食傷する姿に、心なしか晴れた顔つきで、目を逸らした。
「ねぇ!」
「分かったから…静かにしてくれないか」
「うん…」
数分の時を経て尚、傍に居座る少女。
興奮冷めやらぬと言わんばかりに体を震わして、勇者の視界に頑なに映り込んでいた。
「はぁ…分かった。良いものを見せるから、あっちで静かにしていてくれ」
「良いもの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます