第3話 ルクス神聖国と古代地下迷宮
鼻水を垂らして凍えそうに震えるエルフと、ただ只管に行く先に目を向ける三人。
「そろそろ、着くぞ」
「ゔーん」
ずるずると鼻水を啜りながら、振り返る。
「助けが必要な者はいるか?」
「無用」
「誰に言ってる?」
「え?え?まさか、まさか、そんな馬鹿げたことしないよね?ね?ねえ!」
白息が立ち昇り、ボーボーと風切り音が絶え間なく襲い続ける極寒の遥か上空。
三者は徐に大地へ視線を移す。
「降りるぞ」
「ねぇ!まだそういうのはさ!早いから!」
エルフが支離滅裂に必死に訴えかけるも、勇者一行は一切、聞く耳を持たなかった。
「ルクスでの北竜の往来は法で禁じられている。先日、数十の赤龍と共に上空を通り過ぎただけで、ルクスに呼び出されたからな」
「当たり前だよ!ねぇ普通に降りようよ!」
「いや、知らしめなければいけない」
疾くに立ち上がる三人は、宙に足を置く。
「俺たちの存在を」
「誰にぃ!!」
勇者は、鱗にしがみついて尻込みするエルフの丹田を、手荷物を抱え込むように、さっと小脇に抱えた。
「イヤダァ!!」
「悪を崇拝する者たちだ」
勇者は赤竜の眼に視線を注ぐ。
「ありがとう……」
勇者の乾いた御礼の一言を、赤竜は静かに一瞥し、紅き業火たる大息を放った。
「また何処かで」
一行は飛び降りる。
見えぬ大地に向かって。
「ァァー!!」
「喋るな、舌を噛むぞ」
ボーボーと耳を劈く風切り音が絶え間なく襲い続けて、小煩い悲鳴さえも遮っていた。
勇者は周囲に目を配りつつ、揺蕩う白雲を突き抜けながら、地に掌を向けた。
「問題ないな!?」
勇者の言葉を風切り音が断截し、数メートルと離れた二人には届きはしなかった。
「……」
「ーー!」
白髪の傍にいた魔族は自らを腕で覆い尽くし、さながら球体のように蹲り、地に落ちた。
「……は?」
地面スレスレで、ふわっと身を浮かせる白髪だったが、地に鈍い轟音を鳴り響かせ、土埃が二人を覆い隠す。
「お前は脳まで筋肉で出来てんのか?」
地に降り立った白髪は、煩わしく身体を包み込む土埃を、忽然と足元から渦巻く暴風が吹き荒らし、あっという間に霧散させた。
「手間をかけさせるな」
「すまない」
遥か上空からの落下をもろに食らった魔族の肉体は擦り傷一つさえ付いていなかった。
「あの馬鹿は?」
「此処にいないのなら、恐らく……まだ…」
二人は天を仰ぐ。
「ウワァァァーー!!」
「沈め」
絶え間なく滴っていく涙の雫が宙に舞いながら、沈みゆく大地に全身を呑み込まれていく。
悲鳴が途絶えたのも束の間、まるでグラス一杯の水に高台から一滴の雫が滴り落ちるかのように二人を天高く弾き返した。
「うわぁぁ!!」
颯と降り立って、彩り華やぐ花畑が続く道の先に、絶壁聳える正門前へと目を向けた。
エルフを手放した勇者は魔族を一瞥する。
「ルクスは魔族排斥主義国家だ。望むなら幻影で姿を変えることも厭わないが……?」
「要らぬ心配感謝しよう。だが、不要だ」
「そうか、ならば…傍を離れるなよ」
エルフが衣服に付いた土埃を叩き払う最中、三人は見向きもせずに歩みを進めていった。
「ねぇ!?ちょっと!」
大地を蹴り上げて、その後を追う。
頭を垂れる門兵を横切って、踏み入った。
数多の歓声が湧き上がり、国民たちの人垣が狭き一本道を作り出したルクス神聖国へと。
勇者は敬礼する兵士たちに目を配った。
くりっとした目つきの金髪縦巻きロールに、艶やかな銀色の長髪と、茶褐色の頬に傷が刻まれし騎士らが、剣を突き立てて跪く。
だが、それと同時に微かな讒謗とともに、冷然たる突き刺す様な視線が魔族を襲った。
「これから、どうするつもりだ」
「王に入り用だ。しばし時間を取らせてもらう」
「ねぇねぇ!その間、回っててもいい?」
「構わないが、迷うなよ」
「うん!」
「無論、挨拶がさ…」
勇者が振り返れば、一同は観衆を押し除けて、其々が異なる場所へと足を運んでいた。
「おい…」
掌を広げながら留めようとするが、瞬く間に三者は雑踏へと紛れていってしまった。
勇者は渋々ただ一人で、騎士の剣を天に重ねし謁見の間へと歩みを進めた。
殺風景な謁見の間。
王は頬杖を突いて、眠たげな眼差しを向けていた。
王と勇者、他は誰一人としていない静寂。
「貴様は此処まで一人で辿り着いたのか?」
「すまない」
そう言い、僅かに視線を地に向けた。
「人も導けないのか」
「送ってきたのは大抵、地獄ばかりなもので」
「血塗られた過去にいつまで縋る気だ?お前は誉高き勇者であろう?先導者たるもの、如何なる状況下に於いても、柔軟に対応せねばならない」
「あぁ、まだ何も終わっていないからな」
「そうか。話は変わるが、跪かぬか勇者よ」
「断る」
「誰ぞ!このような尊大な彼奴を呼んだのはっっ!!」
唐突な怒号が行き交い、谺する。
だが、誰一人として呼応する者はいなかった。
「…」
シンと謁見の間は水を打ったように静まり返った。
「あぁ、我か」
「耄碌したならば、早々に玉座から退いていただこうか」
「まだ鎮座するとしよう。人を見下ろすほど甘美なものはないのだからな」
「ハァ……。話は変わるが、兵の連中がやけに新米ばかりに見えたが、どういうつもりだ?」
「ほほう。貴様とあろう者がとうとう忘れたか?これではどちらが老いたか分からんな」
「……。虹龍か」
「左様」
「もうそれほどの時が経ったか」
「いつの世も、時は無情に過ぎゆくもの。それ故に人は今を大事にするものよ」
「今を軽んじる者も少なくはないがな」
「護衛らはこの場から外した。どうだ久しく語らおうではな──」
「要件を述べろ」
「つれないな貴様は。全く変わらぬよ」
「お互いに」
「リヒターに委細告げておるわ」
「そうか」
勇者は外套を翻し、その場を後にした。
「仮面を被る憐れな勇者よ、健闘を祈るぞ」
王は、寂しげにぶつくさと呟いた。
再びの静寂。
絢爛たる応接間の机上に置かれた紅茶の水面には、勇者の顰め面が映し出されていた。
「遅い」
待ち侘びること半刻。
徐に背後の扉が軋みを立てて、開く。
漣なる波紋を立てる紅茶の水面に映る勇者の鉄面皮は、酷くひしゃげて歪みながら消え去った。
徐に顔を上げ、扉に視線を向ける勇者の瞳に映るのは、杖を突く老夫だった。
無精の白髯を蓄えながらも清潔感を漂わせる黒き衣服を纏い、細めた双眸をして、ふらふらと向かいの席へと腰を下ろす。
「久しいな」
「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。本当にお久しゅう御座います、勇者様」
喉を震わすかの様な嗄れた声色に、節々に皺と浮き出た血管が目立つことながら、稀に垣間見える鋭い眼差しが、勇者を突き刺していた。
「以前に比べ、毛が減ったな」
煌々たる額に目を向ける。
「左様で御座いますか…貴方様も紅毛が大分減られたように窺えますな」
「そう見えるだけだ。さっさと本題に入ろうか」
「えぇ。今回のような誉高き旅路に、些か阻礙をさせてしまわぬか頭を悩ませ…」
「御託はいい」
「この度、精霊樹の森に魔物が発生しました」
「まるで他人事のような語り口だな。13年前の一件以来、慎重になり過ぎているように見えるが?」
「何分、例の恐慌は世界を騒がせ、今でも尾を引いていますからな。我が国民を魔物などと比喩されては困ります故」
「その結果がこの様か」
「左様で御座います」
「隣接する精霊樹の森に古代の地下迷宮か。先日、何処ぞの研究者が宣っていたな。『迷宮が出没するのは地下に膨大な魔力を張り巡らせているから』と」
「はてさて、私のような老人は世間一般に疎いのでありますから、そのような話は存じ上げかねますな、ハハハ」
乾いた笑いが響き渡る。
「ルクスの尻拭いを俺にしろと?」
間。
「いえいえ!とんでもありません。貴方様にこの様な雑務を頼むなどと」
深々と頭を下げる。
そして、徐に一瞥した。
「私は勇者様に御頼みしたのであります」
その一言に、勇者は不敵な笑みを零す。
「ハッ、相変わらず喰えない爺さんだ。良いだろう。其の願い、承った」
「真にご寛大な勇者様であらせられますな」
「ほざけ」
勇者は紅茶を一気に飲み干して、眉根を寄せながら、その場を早々に後にした。
勇者は正門前へ淡々と歩みを進めていく。
だが、思わぬ待ち人と相見える。
衣服に仄かに土埃を付けた白髪と、頭に宝石の装飾の王冠を被りしエルフに、緑葉の羽根を摘む魔族が、取るに足らない会話を弾ませ、正門に佇んでいた。
「何のつもりだ?」
「行くんでしょ?」
「手出し無用。これは個人の問題だ」
「なら、勇者が行くべきではないのではないか?今の貴様は勇者なのだろう?」
「同じく」
「ハァ…」
「後悔するなよ」
「やったぁーー!」
「勇者様ァー!!」
あどけなく甲高い声が勇者の背から次第に近づいてゆく。
勇者の白き外套をひしゃげ、足に何かがしがみつく。
「…」
徐に振り返れば、其処には満面の笑みを浮かべて、一輪の花を握りしめる一人の少女がいた。
「勇者様!」
少女の目線まで身を屈めながら、真昼の陽気のように暖かな言葉を返す。
「どうした」
「これ!」
眼前に差し出したのは、濃黄の花芯が盛り上がり、純白の細き花弁を咲かす一輪の花であった。
「俺に?」
「うん!」
そっと花を掴み取り、懐へと仕舞い込む。
「ありがとう」
徐に頭に手を添えようと手を伸ばす瞬間、寸前でピタリと止まった。
「……?」
まるで何かを思い出したかのように、血走った眼差しをして、差し伸べた掌を疾くに地に下げる。
「世界を救ってください!」
「あぁ。ぁぁ。……?」
雄叫びを上げたのは、戸惑いを見せる少女の遥か後ろであった。
勇者が前へ目を向ければ、道を埋め尽くすほどの大勢の観衆が人垣を生み出していた。
「いつの間に…」
「皆んなみんなね!!一生懸命応援してるんだ!だから、だから絶対に負けないで!!」
「そうか」
「勇者様!水くさいですよ!」
「そうだー!見送りぐらい真夜中でも真昼間でも喜んで致しますよ!!」
「戦いには参加できませんがご馳走を用意してお待ちしております!!」
黄色い声援ばかりで溢れかえっていた。
白髪は郷愁に駆られた様に、歓声が行き交う勇者の背の白皚皚たる外套を、虚ろにけれど何処か遥か遠くを眺めるように見つめていた。
「……勇者か」
ため息を零すようにボソッと吐露した。
そして、其を静かに注視する魔族であった。
一行を背に連れた勇者は、鬱蒼とした精霊樹林へと足を運んでいた。
草の根を、蝶よりも花よりも愛でる様に丁寧に掻き分けて、慎重に歩みを進めていく。
さくさくと草花を踏み躙るような音と滅入る程の翠緑が続くばかりで、一向に迷宮の入り口が見えてこないことに痺れを切らしたエルフが長らく閉ざしていた口を開いた。
「ところで、古代の地下迷宮って何?」
「過去に大賢者の地下都市の名残だそうだ」
「地下都市?」
「全人類の移住を目的とした大規模な企画だったとのことだが、真相は定かではないな」
「でも今、私たち地上に住んでるよね?」
「大方、魔物の侵入が原因で、途中断念したのだろう」
「へぇー。で、大賢者って誰?」
「与太話に花を咲かせている場合か?ハァ…っ!お前!まさか戦闘経験が無いのか!?」
「うん」
三人に戦慄が走る。
「は?」
最初に言葉を漏らしたのは勇者であった。
「……え?何?」
「東の連中は何がしたい?何が目的だ?」
不思議そうにエルフは面々を見回す。
白髪は引き攣った苦笑を浮かべて、魔族は口を噤み、勇者は血走った眼を地に向けた。
勇者は無愛想極まっていた仏頂面をあっさりと剥がし、骨張った小さき肩に両手を乗せ、指先の節々に力を込めた。
「な、何?」
「……決して傍を離れるな!絶対にだ!!」
「うん……」
勇者の狂気を孕んだ面差しに気圧されたエルフは、息を呑みながら小さく頷いた。
「そんなに戦力を割きたくないのかね。流石は東の国、為すことは皆目検討つかん」
一呼吸終えた一行は、再び歩み出した。
「なんか樹蟻の巣みたいだね」
「そうだな」
土泥で塗り固められたかのような縦に建てられし筒状の入り口に、エルフは目を光らせた。
「これ作ったのって誰?」
「そう何度も恥を晒すか?普通」
「フローズ・クライスターと四人の弟子だ」
「へぇー。ん?あれ?って!誰も言わないからつい忘れちゃってたけどさ!まだみんな自己紹介してなくない!?」
「そうかもしれないな」
勇者たちはエルフをあしらい、迷宮の入り口への第一歩を踏み出そうとしていた。
「え?そんな流すような内容?結構大事だと思うんだけど!!」
慌ただしく追いかけるエルフと、闇夜たる道行きが、三者の足を僅かに躊躇させた。
「どうしたの?」
「……」
「ねぇ!早く行こう?」
最初に其の先へと踏み込んだのは、エルフだった。
一閃。
一行は一瞬にして白き眩い光に包まれた。
「チッ!おい!馬鹿僧侶!!」
「馬鹿じゃない!」
「誰にでもいいから、しがみつけ!」
「転送か」
「あぁ、恐らくな。相当の手練だ」
「呑気なこと言ってる場合か!早く逃げ…」
勇者一行は煌々なる輝きの消滅とともに、跡形もなく消え去った。
「ハァ……」
隧道たる暗闇に双方、仁王立ち。
怪訝に顔を歪める勇者と、地に杖を突き立てし老人は、数メートルと距離を空けての、睨み合いが続いていた。
「御仁、此れは貴方の仕業か?」
「左様」
色褪せた白き短髪の男は、黒き外套を仄かに靡かせ、皺の際立つ細めた双眸で不敵な笑みを浮かべていた。
「ならば、剣を交えようか」
掌に霜が降りてゆく。
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白髪は闘技場へ。
エルフは宝石店へ。
魔族は静寂の間へ。
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