第3.5話 老人との戦闘
氷剣を大きく振り翳し、手放す。
投擲。
円を描いて老人の眼前迫る氷剣は、金属音宛らの音を立てて、天井に突き刺さった。
「闇に出し、哀れな愚者よ。呑め、暗雲」
矢継ぎ早に、勇者の影が立ち所に広がっていき、辺りを一瞬にして暗黒に呑み込む。
「ほほう、二重詠唱ですか。其にしても、突き刺す様な魔力が充満しておりますな。此処は」
「サラマンダー…颯爽と堕ちろ」
頭上から無数の黒き液が生まれ出る。
ぽちゃぽちゃと水が地に叩くような音を立てながら、液体が影へと変化し、続け様に勇者と遜色ない見た目の体躯に変貌していく。
そして、本体の勇者は前傾姿勢に駆け出すとともに、籠手を前に突き出す。
「紅…ッッ!!」
荒れ狂う猛き紅焔が隧道を覆い尽くす。
と同時に、影たちは燃え盛る炎に躊躇いなく潜り込んでいく。
「身を切り裂いて、己を成せ」
勇者の体から、靄の揺蕩う勇者と瓜二つな二者の姿が切り裂かれ、蜃気楼は霧散した。
影とは違い、全身の光沢が隅々まで施され、仏頂面まで再現されていた。
勇者は三者に分身する。
老人の眼下を中心に、隧道を覆い尽くした業火を、突風が渦巻いて吹き荒れる。
快晴たるが尚、漆黒に包まれた老人は、隧道の至る所に煌々たる紫紺の陣が張り巡らせた、天から壁に地へと目を泳がせた。
「煙幕」
微かに鼓膜に届く勇者の呟きに、再び視線を戻し、手を突き出した勇者の背後に佇む、二人目の勇者がこれ見よがしに、大剣を握り締めるのを視界に捉える。
そして、白煙が俄かに立ち込めた。
三度、双方らを瞬く間に包み込む。
「ほう……?」
姿の見せぬ影に忽然と眩ました最後の勇者の行方に、老人は笑みを捨て眉根を寄せた。
「テレポート」
勇者は老人にも聞こえるほどに大きく、あからさまに唱える。
老人は天を仰ぐ。
天に突き刺ささりし氷剣を握り締める勇者を、鋭く訝しんで。
一刹那の暇さえも与えずに、背後の煌々たる紫紺の陣が更なる眩い輝きを放った。
壁を蹴り上げながら大剣を振りかざし、迫り来る勇者の姿を視界の端に捉えた。
そして、静寂なる足音を忍ばせ、息を殺して密かに、淡々と歩みを進めていく。
天を蹴って、氷剣を振るう。
双方の双眸がぶつかり合うほどに、勇者は眼前に迫った。
だが、胴が宙に舞う。
血飛沫と共に腑を撒き散らして。
地中から突如、せり出した土石の刃が勇者の胴を糸も容易く切り裂いた。
「ヒール」
淡い緑光が、不規則に円を描き、宙に舞う下体を包み込む。
しかし、天に突き刺さった刃は再び、返り咲く。
「土石盾」
頸に迫る立て続けの刃を忽然と生み出した盾が禦ぎ、淡い緑光が勇者の下体を僅かに再生させた。
「ほう」
杖を振るう。
鋭い輝きを放つ杖を模した刃を。
「サら……」
勇者の頬を綺麗に裂いて、緑光は瞬く間に薄れゆき、儚く消えていった。
続く第二陣の勇者の振るう大剣が、老人の外套を裂いた。
目を見開き、白き眼を露わにする。
「魔眼……りっ…」
同じくして、目を見開く勇者だったが、鈍い異物感が勇者の胸を貫いた。
「っっ!せ!!」
同じ瞳。
三指を折り曲げて、中指と人差し指を揃えて立てる。
「解…りっっせ!!」
べったりとした緋色の鮮血を吐き出しながら、胸を貫く土石の剣を元に戻した。
老人と同様の同じ眼を模して。
「残念ながら…索敵用の魔眼ですよ」
「あぁ、知っている」
勇者が徐に瞳を閉じるとともに、漆黒に潜む黒き影たちが黒き氷剣を携えて、四方から瞬く間に襲う。
「無駄なことを」
無数の土石のギロチンさながらの刃が、宙に浮かぶ。
数多の影たちは目にも留まらぬ速さで回転する刃に切り裂かれた。
そして、眼下の小石が小突く様に転がる。
「空間が歪んでいる?」
「ハァ」
僅かに歪む空間が、徐に胸に手を触れる。
「氷剣」
老人の胸に霜が降りかかり、貫く。
斯くも呆気なく氷剣の刃には、緋色の鮮血が染まっていた。
「幻術だ」
「いやはや、こう易々と踏み込まれるとは」
「解るか?歴代の勇者と過去の俺しか見てこなかったお前に」
「魔力の残滓を断つとは、驚異的な魔術」
「いいや、そんな大層な魔法じゃない。ただ俺が衰えただけだ」
「歴代勇者の中で最も魔力総量が多いとされる貴方が、これほどまでに弱りきっていたとは……虹龍には恐悦至極で御座いますな」
「そうだな」
「では、魔力の露骨な漏出は…故意に」
「当然」
やや食い気味に、怒りを孕んで言い放つ。
「遠方からとはいえ、今の俺に負けるお前には、世界が覆ろうとも勝つ未来はない」
「えぇ、ですが、私は欲しいと思ったものは、全て手に入れたい質でして。手段は厭うことも、無論、矜持も持ち合わせていない。また何処かでお会いしましょう」
「あぁ、次はお前を殺すことに死力を尽くそう」
唐突に、老人は生気の失った見知らぬ若き青年の亡骸へ姿を変えた。
「やはり、傀儡か」
泰然と徐に倒れゆく青年を抱え込み、額から流れるように掌を滑らせて、青年の瞳を閉ざした。
そして、踵を廻らせて身を翻す。
長杖を抱え込む様に握りしめ、茫然と立ち尽くすエルフへと。
「無事か」
「……うん」
仄かに頬を青ざめて、額に汗を滲ませながら、小さく頷いた。
「その人…死んでるんだよね」
心なしか安らかに眠りにつく青年へと小刻みに震わす双眸を向けた。
「あぁ」
「そ、そっか。そ、そうだ。そうなんだ」
「すまないが、神聖魔法は富んでいない。彼に魔法を掛けてくれないか?」
「うん。私の仕事だから」
そう言い、そそくさと駆け寄った。
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