Episode.4...虚無を頬張る.

 放物線を描いて飛んでくるチェーン・ソー。

 思わず口を開けるあたし。

 シーソーの音はもう、あたしの耳には聞こえない。

 時が停止したような感覚。

 あたしは祈り続けた、詩井萌絵のように。

『回れ、時よ―――美しい小悪魔に味方せよ。彼にお兄ちゃんの言っていたことの意味を分からせてあげないといけない。[断罪の供物は贖罪という名の切り札だ]』

 狂う耳鳴り。

 突然、頭痛に少しよろける。

『止めて』―――近づいてくる金属音。

 それでも避けるつもりはなかった。

 なぜならば、チェーン・ソーに鞭が雁字搦めに結ばれていたのを見ていて知っていたからだった。それでも、チェーン・ソーの持つ手を緩ませず、あたしを木っ端微塵にするのかもしれない。

 もう、どちらでもよかった。

 ―――だって、今日は満月に雲が掛っていて見えないから。

 たった、それだけの理由だったけれど、カオティックな人生なんて理解できない代物に、未練がない、というのも事実だった。

 漂ってくる香水の香りはあたしのものではなかった。誰のものだろう、と思っていると、銃弾が、鞭が絡みついた部分にあたって、軌道がそれた。

 空想の邪魔が入った、とばかりに後ろを振り向くと、探偵が片手を振っている。

 『 』探偵は、唇だけを動かす。

 『え?』

 ペンキのようなモノが付着した。チェーンソーが狂ったけたたましい音を立てて空中で動きを停止した。

 『君の瞳に乾杯、じゃあね。次は止めないよ』

 あたしは素直に驚いた。

 『そう、貴方も優しいのね』

 『君みたいな素敵なレディには紅茶が似合う。肌の傷ではないだろう?』

 『それもそうね、じゃあ戦おうかしら?』

 『空が―――素敵だ』見上げると、琥珀色の雲が月を覆い隠していた。

 『貴方は誰?』

 『君のフレンドって事で良いかい?』

 『良いわ』

 『……グッドラック』

 『貴方もね』

 ……あたしの認識は間違っていた。飯尾武なのかと思った。あるいはあたしがパレットで描いたのか。飯尾武は、現在三番街に出張しているはずだった。あたしが探偵を作りだしたわけでもなかったのだ。となると、残る可能性は一つ。さっきから付きまとっている男は聖なる加護を破り、あたしの正体を知っている。銃を持った飯尾武ではなく、銃を持った何者か、だったのだ。

「どお、びっくりした?」

 手前で声がしたので、向き直す。あれは、殺すつもりなんかじゃなかったのか……。今度は、方向を変えて、自由自在に鞭を動かし、あらぬ方向から渉達にチェーン・ソーが飛んでくる。チェーンの回転が比較的ゆっくりと視えた。突然のことだった。チェーンを振り回し過ぎて、回転が止まってしまったのだ。

「ちくしょう……使いもんにならねえな。重えのに仕方ねえ、もういっちょ持ってくるか」

 男はかばんから鞭を取りだした。

 棘が茨のようについている。

 非常時の武器だったらしい。

 その隙に、彰子は、その男を創り出したのだ。幻術とあたしが呼んでいるコピー能力だった。だけど、この能力もいつまであるのか分からない。この街にいた時から、急に発現しだした能力だったからだった。

「持ってくる必要なんてねえよ。オレの鞭、いてえだろ?」

 チェーン・ソー男は驚く。

「なんで、オレの声でしゃべるんだ。何故、鞭が棘で出来ていることを何故知っている。教えてくれ!?」

 彰子の口から、男の声が再生された。

 そっくりだった。

 そっくり、というよりも、完全に召喚した人間の情報が頭に入ってくる。

 そして、持っていたチェーン・ソーにスイッチを入れる。

 召喚した男は連結した鞭で振り回さなかった。すると、驚いて動けなかった男が、鞭を振るった。しかし、鞭を何度も打ちつけても、チェーン・ソーで跳ね返されてしまう。除々に距離を詰めていき、とうとう刃が触れる領域まで近づいた。

 ゴリゴリと骨の削れる音。

 数回にわたる悲鳴。

 血は出なかった。

 召喚空間から、召喚しようとした矢先のことだった。

「出目が悪かった。いつも出遅れるんだよな」渉がいった。

 創りだした召喚空間に瀕死の男を入れ込む。男は空間の中で骨が折れる音が聞こえた。音と共に飲みこまれると、空間とお兄ちゃんが呼んでいる召喚能力は効果を失い、霧のように晴れていった。

「じゃあ、今度あいつ呼ぶのか。チェーン・ソーで骨削ったら使いもんにならねえだろうが。ちっとは加減しろよ。兄ちゃん命令だぞ」

「だったら、あんたがやんなさいよ。元気な状態のままでどうやってあんたの空間の見込めるのよ。どちらにしろ無駄よ。人間の入るスキマはない。入るのは霊体化したチェーン・ソー男だけよ」

「霊だと、霊媒師相手には効かねえんだけどな。まったく、憑いてねえぜ」

「いつものことよ」

「わあったよ。じゃ、これで終いだ。探偵のところに行くぞ。あいつに種明かししに

 いくのかったるいぜ」

「つべこべ言わないの」

「っていうか、あの探偵って元インターポールって本当?」

「また、出まかせでしょ。次あったら元KGBって言ってたし。ほんと胡散臭い男ね。名刺も何十種類も持っているし。元整体師まで書いてあったわ。どこまで本当だかわかりゃしない」

「胡散臭いのはいつものことよ」

「オレ達にまで胡散臭くする必要ねぇじゃねぇか。だってあいつが雇ったんだし……なんなんだ、一体?」

「探偵さん、写実主義[パレット]に描いてみようかな」

「でもオレも言ってみた、けどよ。あの探偵オレには効かねえんだ、と言って笑ってたんだぜ。オレの銃で得た能力は効かない、とさ。ほんと全くだぜ」

「だいいち、あの死狂世界ってなんだったの?ここJeanneじゃない」

「あの探偵の言葉遊びさ。オレの能力は正真正銘の死狂世界[Unreal / Secret]なんだよ。亜空間を呼び出し、バラバラにしてあの世に送ってしまうから、そう名付けたらしい」

「えっ、この街がUnreal / Secret.と呼んでいたんじゃないわけ?」

「元々は違うんだよ。正確にいえば、だけどね。ジャンヌ内でしか効果を発現できないから、この街全体が死狂世界とも言える」

 あたしは、雪で足を踏みしめる音が遠くで聞こえた気がした。缶を蹴る音も聞こえてくる。

  探偵さんは外で出会った頃からよく缶を蹴って遊んでいた。

 あたしは振り返ると、そこにはただただ、見覚えのある夜景がそこにあった。

 オフィスビル街が遠くに、近くには、スクラップ達の欠片。そんな鬱蒼とした夜景も見飽きてしまった。

 そこに、あたしに夜風の寒気がまとわりつく。ミルクティーのペットボトルを飲み干し、そこに雪を詰めて遊んだ。

 本当は雪よりも希望を詰めたかったのに、と微笑を称える。

 もう、あの中学校で出会った日常へ戻れないのかもしれないという一筋のリグレット。

 ―――そっと優しく、咲くように灯るwhite light。

 あたしは、母乳を貰う母親のように優しいタオルケットに包まる姿を想像して、クスリと笑う。

 あたしも母親に慣れるかあ?

 そもそも成れるのかな?

 そんな素敵な男性に巡り会いたい気持ちだけは先行して残っている。線香の香りのようにいつまでも燻って、そこに残っている。

 あの探偵だったら―――?

 そんな発想を琥珀色の空に思い浮かべて微笑む。どうして微笑むのだろう?分かりたいとは思わなかった。でも感情だけで言うのであれば、彼が印象は良かった。

 中性的な顔をした男性。

 紳士だった。

 誠実とは言えないけれど、そんなもの端から求めていない。だってあたしだって、裏切るし。

 窓をふと眺める。

 ビルの上から仄かに月明かりが一線に差し込む。

 それを見ると、あたしの心がざわつく。

 探偵さん、あたし、まだ人で居られるかしら―――?

 その問いに満月は空虚のごとき反応を見せる。光が雲に隠れ落ち、欠け落ちた闇がすぅーと深くまで流れ落ちた。

 「また、俺は闇に帰る―――」

「お兄ちゃん―――あたし」

 「分かっている。斜陽な我々は闇を引き寄せてしまうんだろう」




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