無慈悲なる魔女

 その水晶の巨人は、イリスの読み通り災厄の女王によって使わされたものだった。

 無限に魔物を生み出す道具。それそのものがこの世界にやってきたのは、イリスとは何の関係もない。災厄の女王とは、戯れにそういうことをして破滅を楽しむと言う厄介な性質を持っているものだ。

 或いは、それがこの場でイリスと惹かれあったことに関しては何かしらの、運命とでも呼ぶべき力が作用している可能性を否定し切ることはできないが。

 だからこそ、本来はそこに意思はなかった。

 ただの道具であった。

 そのはずなのに、これに強く魅入られた一族がいた。そして最後にそれを手にした男は、水晶にそれだけの進化をもたらすに足るだけの狂気と憎悪を持った人物だった。


『キイイィィイオオォォォォォ』


 甲高い、不協和音のような咆哮が上がる。

 それも当然だ。

 水晶は鳴き方など知らない。

 それでも、偶然手に入れた本能とも呼べない何かから、必死で声を絞り出しているだけのことだった。

 突き動かす原動力は、憎悪と怒り。

 そして、水晶に備わっていた防衛本能。

 目の前の生き物は、あの小さな人間は危険であると。

『我等』に匹敵し、それを滅ぼしうる力を秘めている。

 声をあげ、魔物を生み出す。

 その数は無尽蔵で、本来ならばこの世界の魔物の姿を取る必要すらない。

 次第に魔物達は、取り繕う皮を脱ぎはじめ、本来の異形そのものの姿でこの地に現れ始めていた。

 思わず目を逸らしたくなるような異形達、水晶が生み出された世界で生きる怪物達が容赦なく地を埋め尽くしていく。

 だが、その全ては無駄だった。


「《絶対の光》」


 イリスから、まるで小さな妖精のように無数の光が放たれる。

 その数は瞬く間に数百を超え、ふわふわと漂う一見すると柔らかなそれに触れた瞬間、異形達はまるで削り取られたかのようにその姿を消していた。

 何が起こっているのか、水晶の中にいる彼にはもうわからなかった。

 今わの際になって、水晶の中にいる何かが目覚める。

 力を求め、魂を売り渡し、異形と化して水晶と一体化した男、ガエル。

 彼は目の前で呼び出した魔物達を、何の苦も無く葬っていくイリスに対してここに来てようやく、恐怖と言う感情を覚えていた。

 だが、それでも止まれない。

 止まるわけにはいかない。

 何のために、実の父を殺してまでこの力を手に入れたのだ。

 幾ら肉体が傷つけられようと痛みはないはずなのに、頭の中には恐怖だけがある。

 咆哮をあげ、魔物達を大量に呼び出す。

 皮肉にもそれは、ガエルが生前部下達に対して偉そうに命令をしていたことと、何も変わっていなかった。

 無慈悲な魔女は、碌に感情を表すこともない。

 ただ作業のように淡々と、あの絶対的な光で魔物達を処分していた。

 その輝きが、遂に水晶の巨人に届く。

 人間であった頃の記憶から無理矢理に繋ぎ合わせただけの、手足が削れるように消えていく。

 更に、咆哮をあげる。

 魔物はもう現れない。

 それによって、既に力が付きかけていることを理解した。

 何のために。

 父を殺し、憎悪を燃やし。

 浅ましく生き延びたと言うのに、あの魔女は一度もこちらを見ることすらしない。

 いや、そもそもにして。


「お」


 声を出そうとしても、それは醜い咆哮へと変わっていく。


「お、れは」


 それは、意味を持ってイリスどころか、この世界に放たれることはない言葉だ。

 全ては、水晶に取り込まれたガエルの中で響いている物に他ならない。


「おれ、は。なんのため、に?」


 哀れな男は、今更になった自分がやってきたことを後悔していた。

 父の力を使い、権威を振るうのが気持ちよかった。誰も逆らえないような場所で、偉そうに振舞うことが楽しかった。

 だが、こうして最期の時を迎えてみれば、それに何の意味があったのだろうか。

 たった一人の女に全て奪われ、こうして惨めに朽ち果てる。もっともそれすらも、ガエルの一方的な逆恨みでしかないのだが。


「なにが、したかったん、だ?」


 哀れな男の呟きは言葉にならない。

 醜い何かを擦り合わせるような音だけが、水晶から響いていただけ。

 目の前に、無慈悲な魔女が迫る。

 月光を背に舞い降りる、蒼銀の髪をした少女。

 その姿を素直に美しいものであると認められていたのなら。


 ――そんな異なる可能性に意味はない。


 光が広がっていく。

 それが、水晶と一体化したガエルが見た正真正銘の、最期の光景となった。

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