儀式の前に

 アルイースの六番街。

 そう呼ばれる地域は、かつて一人の不気味な魔導師が住んでいたとされている。彼はそこに立てた小さな搭に籠って魔導の研究を続けたが、やがてこの世を去った。

 しかし、そこに残った魔力の残滓から異常現象が多発したことで、ここ数年までは殆ど人が寄り付かない地域と化していた。

 街の人の避難も進み、騒めきも遠く聞こえてくるその塔に、ユスティを伴ってイリスややってきていた。

 搭の一階は生活空間、二階は物置となっていたが、目的の施設は三階にちゃんと残されている。


「これなら、何とかなりそうだね」


 打ち捨てられたその場所は、かつては何らかの儀式を行うための空間だったのだろう。

 色褪せた魔法陣、辺りに転がる素人目には何に使うのかもわからない品物の数々。

 イリスはそれらを眺めながら、満足気に頷いた。


「ここにボクが集めた道具を足せば、何とかなりそうだ」


 ごそごそと鞄を漁り、イリスがそれらを取り出していく。

 魔物の部位や、鉱石。森に生えているキノコなど一見すれば統一性がないが、それらはイリスの中ではちゃんとした意味を持っている。


「魔力を集めやすい物質、という物がある。ボク達の文明を支えてくれている、魔力をエネルギーとして貯蔵、放出してくれる魔石なんかもそうだけど、それ以外にもそういった物質は至る所に存在しているんだ」


 何の変哲もない石を手に持ちながら、イリスは説明を続けた。


「もっとも、多くの人はその性質の違いには気が付かない。彼等にとって大切なのは、魔力の量の多さだ。勿論、それも大切だよ」

「えっと、ごめんなさい。魔法に関してはあまり」


 回復魔法を操れるユスティだが、それはあくまで体系的な技術として習得したものだった。その理屈までは詳しくはない。


「ああ、大丈夫。独り言だとでも思ってくれたまえ」


 喋りながら、埃の積もったテーブルで作業を続けていく。

 それらの素材をまた別途で用意した薬液に浸してそこに僅かな魔力を与える。そうすることで、それらは瞬く間に溶けて消えて、光る液体のような姿になった。


「凄い……。それじゃあ、ひょっとしてイリスさんが冒険中に素材を集めていたのって」

「そういう理由もある。勿論、単に珍しかったからでもあるけど。魔法学園を追放になった際に、封印術式を掛けられてね。ボクが自分から絞り出せる魔力の量は、たかが知れている」


 そう言いながら、指先に光を灯す。

 一般的な魔導師ならば何の苦も無くやってのけるその行為ですらも、イリスにとっては額に汗を浮かべるほどに辛いものだった。


「前回ガエル君を倒した際には、切り札的に無理矢理引き出したけど、今回ばかりはそれとカートリッジで対応するには数が多すぎる」


 イリスが魔力を引き出すのに用いるカートリッジも、この応用で作られていた。物質から魔力を抽出し、それを保存できる形にして小さな箱の中に封じる。

 言葉で言うのは簡単だが、それを一晩でできるだけの知識と技量を持った魔導師は、決して多くはない。

 その液体を部屋の中央の魔法陣に垂らすと、次第に線に沿って広がっていく。次第光を放ち、薄暗かった部屋の中が魔法陣から放たれる光で満たされていった。


「こんなものだろう。後は馴染ませるのに数時間ぐらい掛かる。……それまでみんなが持つかどうかだね。それに……」


 何かを言いかけて、イリスは口を噤んだ。

 これをユスティの前で言っていいものかを、躊躇ったからだ。


「それに、なんですか?」

「……いや、うん」


 歯切れが悪く、イリスが目を逸らす。

 そのまま椅子に腰かけて、テーブルの上で儀式に必要な品物を何度も確認する。

 ぼうっと魔法陣の白い光を見ながら、イリスの心は今はこの場にはなかった。


「この日が来るのはわかっていた」

「わかっていた……?」

「子供のころから、ボクの目には他の人とは違うものが見えていた。魔法の術式を見ればすぐに理解できたし、実践もできた。魔導式を用いなくても魔法を使うことも、ボクにとっては容易いことだったんだ」

「その凄さはわかります……。わたしも、少しですけど魔法を使えますから」

「確かに君の回復魔法は、癒し効果は高そうだね」


 イリスの視線が胸に向いているのを見て、ユスティは小さく頬を膨らませる。


「……ボクにとって、学園で魔法を学ぶのは楽しかった。次々と、知らない知識が溢れるように、ボクの中の欲を満たしてくれたからね。でも」


 その日、イリスはとある魔法の研究をしていた。

 それ自体は特に禁じられていたわけではなく、ただ学生がやるには少しばかり高度過ぎる儀式。

 教師から許可を取り、今ここでこうしているのと同じようにそれを行った時に、イリスは本来見てはならないものを見た。


「災厄の女王」

「災厄の……女王?」


 赤黒い肉の世界。

 臓物と眼球と、脳漿に囲まれた、見ただけで正気を失いそうになるその最奥に、そいつはいた。


「ボクを見て、笑った。そして、一方的なメッセージを伝えてきた」


 それは、言葉ではなかった。

 頭の中に直接流れ込む、得体の知れない情報。何処からか現れた怪物達によって滅ぼされた、あってはならない未来。


「ボクはその未来を見た」

「それは、魔法学園の人達は知っているのですか?」


 イリスは首を横に振る。


「言ったところで信用されなかったよ。ボクが問題児なのは事実だったからね。だから、それを観測するために幾つもの魔法を探した。実際に証拠を見せれば、彼等も動くしかないだろうからね」

「でも、その方法は見つからなかった……?」


 察しの良いユスティの言葉に、軽く頷いた。


「ボクは彼女が何よりも恐ろしい。だから身を護るために、彼女を倒すために死に物狂いで魔法を学び、身に着けた。その中には禁術と呼ばれるものもあったけど」


 それらは、イリスに助けになることはなかった。

 あまりにも残酷過ぎて封印された魔法の数々は、所詮はこの世界の理の内側にあるものに対してだけの話だ。


「結局、教師の言いつけを無視し続けたボクは追放処分と言うわけさ」

「そんな……!」

「無理もないさ。それに、別にそれでよかったよ。あの場所から出たおかげで、偶然とはいえ奴の断片と出会うことができた」


 あの水晶を見たとき、災厄の女王に見られているときと同じ寒気を感じた。

 それに、魔物を無尽蔵に呼び出すと言う性質。それはこの世界の理外の力だ。


「でも、イリスさんはみんなを助けるために頑張っていたのに」

「みんなを、じゃないよ。ボクは自分が怖かったからそうしただけさ。最初にこの街に来たのも、冒険者仲間なら一緒に命を賭けてくれるんじゃないかって思ったからだし」


 共に命を預けるほどの仲間になれたのならば、一緒に戦ってもらえるかも知れない。

 そんな淡い期待を抱いて、イリスはこの街にやってきた。

 自身の能力を生かして、然るべき機関で成り上がると言う方法もあったのだが、そのためには人間関係の構築や権謀術数などが求められる。

 それらはイリスが苦手とする分野だ。時間が掛かるだろうし、道半ばで倒れる危険性もある。


「でも、そうだね。ここで得た仲間というのは、ボクが思っていた以上に温かい。だからこそ、失敗が怖くなったよ」


 手が震える。

 これから行う儀式は、一度も試したことはない。周囲に与える影響も大きなものだからだ。

 もし失敗すれば何が起こるのかもわからなかった。当然、何度も検証を重ねてはいるが、それら全ては理論上の話でしかない。


「失敗すれば、みんなが死ぬ。君達に情を抱いてしまったから成功率が下がるなんて、笑える話だよ」


 自嘲するイリスを、ユスティは真剣な表情で見つめていた。

 そして意を決したように一歩踏み出して、その小さな身体を抱きしめる。


「ちょ、なんだい……?」


 柔らかな膨らみが顔に押し付けられて、イリスは思わずその場で目を閉じて全てを委ねそうになってしまった。

 何とか留まったのは、これからやることに対しての責任感があるからだろう。


「まだ、時間はありますよね?」

「それは、あるけど……」

「ではイリスさんの緊張を解きます!」


 その声は裏返っていて、ユスティ自身も緊張していることが伺える。


「ルブリムさんに、予め聞いておきました。イリスさんが調子が悪そうなら、してあげた方がいいって」

「いや、だから何を……!」

「初心者だけど頑張るので、イリスさんは気を楽にしていてください!」


 そう言いながら、足元にしゃがみ込む。

 嫌な予感がしたが、もう遅かった。ユスティはすっかりその気で、しかもメモ帳を捲りながらことに及ぼうとしている。


「ちょ、ちょっと待ちたまえよ。そのメモ帳ってひょっとしてボクの弱点が……」


 申し訳程度の抵抗をしてみるが、そんなものは無意味だった。

 頭の片隅で、確かにされるがままにしていた方が緊張も解れるし、気分も紛れるだろうと、そんなことを考えている間に事は進んでいく。

 ユスティなら嫌ではない。そう思えば、本気で抵抗する気もなくなって、いつの間にか彼女に完全に主導権を握られていた。

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