イリスの傲慢と、積み上げてきたもの

 その日の冒険者ギルドは、いつもと明らかに様子が違っていた。

 酒場のスペースで飲んで談笑しているグループは一つもなく、椅子に座って項垂れる者達や傷の治療をしている人達で溢れている。

 イリス達が首を傾げている間にも、ギルドの中には冒険者と思しき者達が慌ただしく出入りを続けている。

 中には冒険者ではなく役人のような恰好をした者達もいて、彼等はユスティを始めとする受付や事務担当と真剣な面持ちで会話を交わしていた。


「イリスさん!」


 そんな中、ちょうど会話が一段落したのか、ユスティがこちらに駆け寄ってくる。

 通行の邪魔にならないようにギルドの隅の方に移動してから、何があったのかを尋ねた。


「穏やかなじゃい様子だね」

「……はい。先日の夜から、アルの森で大量の魔物が確認されました。幾つかのパーティが討伐に向かいましたが、未だに殲滅はできていないどころか、以前増え続けているようです」

「それってつまり……!」


 ヘイゼルが声をあげる。イリスも同じく、思い当たる節があった。

 あの時、吹き飛んだガエルは……いや、彼が持っていたあの水晶はまだ生きていた。アルの森で魔物達を生み出し、今度こそ本格的に動き始めた可能性がある。


「状況はよくないのかい?」

「はい。ギルドの権限で、動ける冒険者全員で事に当たっていますが、殲滅は難しいでしょう。……最悪の場合、アルイースの放棄も考えられています」

「……それは可能なのかい?」

「正直、難しいです。街やそれを護る城壁を捨てて逃げても、追いつかれます。それにこのまま数を増やし続けたとしたら、何処に行っても」

「騎士団はどうなっていますか?」


 そう尋ねたのはヘイゼルだった。

 ウィルベーラの騎士団はこの国でも最強の軍隊と評される。特に聖騎士と呼ばれる騎士達は、一騎当千の実力者達だ。


「今から要請しても、間に合うかどうかは……」

「厳しい状況ということだね」


 ユスティが俯いた。

 イリスが声を掛けようとした瞬間、頭の中に鋭い痛みが走る。


「うっ……!」


 立っていられないほどの苦痛に、その場で膝をついた。


「イリス!」


 倒れ込みそうになったところをルブリムが支えてくれるが、その声もまともに頭に入ってこない。

 まるで頭の中を掻き混ぜられているかのように不快な痛みと、耳鳴りような音が鈍く響く。

 床を見つめ、手で額を抑える。

 視界が歪み、一瞬目の前が暗くなった。

 その瞬間、イリスの目は彼女を見た。

 彼女も同時に、こちらを見つめている。

 血と臓物のドレスを纏った、一人の少女。

 彼女はイリスを見て、挑発的に笑っていた。ここからが本番だと、そう告げるかのように。


「イリス……?」

「イリスさん!」


 それから数秒ほどで、頭痛は消えた。

 ルブリムに支えられながらなんとか立ち上がって、ユスティが持ってきてくれたコップに入った水を受け取って一気に飲み干す。

 空になったコップを返しながら、イリスは改めてギルドの中を見た。

 冒険者達は誰もが疲れ切り、少しでも身体を休めるために座り込んでいる。

 前線に出てその数を見た彼等だからこそ、絶望感は誰よりも理解しているのだろう。


「奴等を倒せる手段があるとしたら、どうする?」


 イリスの問いは、このギルド全体に向けられたものだった。

 冒険者達も役人も、その発言に注目するようにイリスの方を見つめる。

 しかし、彼等の大半が抱いているのは、疑念だった。突然現れた幼い少女が、何を言っているのだと。

 次第に何かの聞き間違えとでも判断して、彼等は自分達のやるべきことに戻ろうとする。

 イリスが次の一言を発する前に、冒険者達を代表して問いかけた男がいた。


「そいつは本当か?」


 その男の名はロレンソ。

 最初にイリスをパーティから追放した真面目な冒険者は、縋るような目で少女を見ていた。


「……確実とは言えないけどね。ボクに任せてもらえれば、恐らく奴等を倒すことができる。……あくまでも、ボクが自分で組み立てた理屈の上でだけど」

「ただの絵空事かよ!」

「期待させやがって」


 イリスの言葉を聞いて、ロレンソの背後で非難の声が上がった。

 彼等は皆、傷ついた冒険者達だ。このままでは命がないと知っていて、それでも抗っていた。

 そこに垂らされた一縷の希望の糸は、イリスを知らない彼等にとってはあまりにも細すぎたのだろう。


「お前等、黙ってろ」


 ロレンソの低い声に圧されるように、彼等は黙り込んだ。


「どっちにしろ、俺達はこのままじゃ死ぬ。街の人達も、全員だ」


 ロレンソの言葉に最初に頷いたのは、ユスティだった。

 冒険者として最前線で、全体を見なければ、その事実から目を逸らせたのかも知れない。

 ただ、ギルドの職員として事情を知っているユスティと、彼等のリーダーとして冷静に戦局を見ていたロレンソはいち早くその事実に気が付いてしまっていた。


「でも、最悪俺達だけ逃げることだって……!」


 それができるのが、冒険者だ。

 彼等はギルドに所属し、仕事を斡旋してもらうことで生計を立てているが、所詮は根無し草。

 こうなったときに一番に逃げられることを理由として、騎士ではなく冒険者をしているものもいるだろう。

 だから、彼の言葉は間違ってはいない。

 そんな彼等の説得をロレンソに任せるのは、少しばかり卑怯かもしれない。


「ボクに力を貸してほしい。みんなの協力が必要だ。貴方達が命を賭けてくれれば、この街を救うことができる」


 深々と頭を下げて、そう口にする。

 決して広くはないギルドにいる冒険者達の注目が、イリスに集まっていた。


「で、でもよ……」

「貴方達の気持ちはわかる。ボクを信用できないのも。確かに今から逃げれば、少しの命を救うことはできるだろう。でも、ボクは」


 これは、イリスの傲慢だ。

 だが、その傲慢を突き通すために今日まで自分の道を貫いてきた。


「みんな救いたい。ボクの我が儘に、命を賭けてほしい」


 イリスの頼みは、彼等にとってはある意味理不尽であるかも知れない。

 逃げれば命が助かるものもいるだろう。そんな彼等に、今から命を賭けて戦ってもらわなければならない。

 それは全て、この街で暮らす多くの人達のため。戦いなど知らず、明日も同じ日々がくると信じている人々のためだ。


「わたしは戦う」


 最初にそう言ったのは、ルブリムだった。

 彼女はイリスの横に立って、そう宣言する。


「わたしもです!」


 ヘイゼルも同じように、そう言ってくれた。

 それだけでイリスにとっては充分なほどだったが、それに続く声があった。


「俺も、嬢ちゃんに乗るぞ」


 ロレンソが響く声で、宣言する。


「この嬢ちゃんはとんでもないんだぜ? ガエルを追っ払っただけじゃなくて、空を切り裂く魔法を使えるんだ! そんな嬢ちゃんができるってんなら、できるだろう」


 ロレンソが強く、イリスの肩を二回叩く。そしてその顔に笑みを浮かべて、冒険者達を見た。


「俺達はこういう時のために、冒険者になったんだ。日銭を稼ぐためじゃない。騎士じゃなくても、貴族じゃなくても、戦いを知らない奴等を護ってやるためだろ?」


 ロレンソはこのギルドで戦って長い。

 ガエル以外では、唯一の銀等級の冒険者だ。それだけではなく、和を大切にし、大勢をまとめるだけのリーダーシップを持つ。

 それは紛れもなく、イリスにはない力だった。

 彼の力強い声に、一人また一人と冒険者達が声をあげていく。


「どうせ逃げても死ぬかも知れないなら、全員生き残る方に賭けようぜ」

「ロレンソさんの言う通りだよ! 俺、道具屋のミカちゃんを見捨てて逃げられねえ!」


 口々にそんなことを言って、己を鼓舞し始める。

 それは決して、完全なる勇気とは言い難い。必死で絞り出した、無謀とも呼べる程度のものだろう。

 だがそれでも、今のイリスの心を打ち、目頭を熱くさせるには充分だった。


「おいおい、泣くなよ」

「ありがとう、ロレンソ君。……ボクを初日に追放したことを許すよ」

「……まだ怒ってたのかよ」


 呆れたように、ロレンソが笑う。

 イリスは何処までいってもイリスだと、釣られてユスティ達も笑ってしまっていた。

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