オークの襲来
アルイースからそれほど離れていないところに、『アルの森』と呼ばれる場所がある。
その名の通りの木々が生い茂る深い森だが、入り口付近にはそれほど危険はなく、新米冒険者達の修行場としてもよく使われる。
その森の中にできた、冒険者達が踏み固めた土の道を歩いて、ヘイゼルを先頭とする三名はそれなりに深いところまで到達していた。
「……以前撤退したのはこの辺りでした」
「ふむ」
イリスが視線を下に向ける。
まだ真新しい足跡が四人分、奥に向かって伸びている。
「どうやらもっと奥に向かったようだね」
「……はい」
「そんな心配そうな顔をするな。別に友達というわけでもないのだろう?」
「それはそうですけど……でも」
「……まぁ、そうは言っても割り切れないものか」
恐らくこのヘイゼルという少女は優しくて、責任感が強いのだろう。
彼女の忠告を無視した冒険者達がどんな目に遭っても、自業自得でしかないというのに。
ただその考えは、イリスにとっては好感が持てるものだった。同行している理由は見習いを脱却するためだが、そうでなくても一緒に来ていた可能性は高い。
「先を急ぎましょう」
ヘイゼルが先頭に立って歩きだす。
その後ろをルブリムが無言で続いた。
ルブリムが一歩前に歩き出したとき、イリスが口を開く。
「時にルブリム」
「何?」
「そろそろ下ろしてはもらえないかな?」
現在、イリスはルブリムによって荷物のように担がれている。
「駄目」
「どうしてだ? あの木々の奥を見ろ、あそこに生えている花は貴重な魔法薬の材料になるもので……」
「だから駄目」
入ってすぐに、イリスは森の中にある様々な自然の恵みとも呼べる草花に目を光らせた。
それらは魔導師であるイリスにとっては貴重な薬や道具の材料であったからだ。
「イリスさんはロレンソさんのパーティを……その」
「ああ、クビになったよ。まったく、魔導に対する探究を理解しない連中め」
イリスは当然、ロレンソのパーティでも同じ振る舞いをしていた。とは言っても遭遇した魔物との戦闘では多少なりとも力を貸したのだから、それ以外の行動を咎められる筋合いははないと言うのがイリスの弁だ。
「いえ、森の中でうろちょろされると見つけるのが難しいからじゃないでしょうか?」
「……それは暗に、ボクが小さいと言いたいのかね?」
ヘイゼルがちらりと視線を向ける。
「軽くて持ちやすい」
ルブリムの意見が全てを端的に表していた。
せめてもの腹いせに持ちにくくしてやろうと手足をジタバタさせていると、前を歩ているヘイゼルが立ち止まり、腰に差した剣に手を掛ける。
森の奥から少しずつ足音が近付いてくるのが、イリスにもわかった。しかし、それはどうやら魔物の物ではない。
正体はすぐにわかった。よろめきながら歩いてきたのは一人の男。まだ青年と言っていいぐらいの年齢で、全身に傷を負っている。
「リックさん!」
慌ててヘイゼルが駆け寄る。
ルブリムもイリスを持ったままそれに続いた。
リックと呼ばれた青年は、ヘイゼルの顔を見ると心底安堵したような表情を見せる。
そしてそのまま力尽きたかのように、近くにあった木の傍に座り込んでしまった。
「ヘイゼル……来てくれたのか……!」
「リックさん、何があったんですか? 他の方は……?」
「……すまん。あんたの言う通りだった……! オークは一匹だけじゃない……奴等は群れを作っていやがった」
その言葉の意味することを察するのは、それほど難しいことではない。
「それじゃあ、他の人達は……」
「ビルはやられた……。他の二人は連れ去られて、どうなっているかはわからん」
その言葉を聞いて、ヘイゼルから血の気が引いた。
オークやゴブリンなどの魔物は一見すればただ暴れるだけに過ぎないが、多少なりとも文明の真似事のようなことをする。
で、あれは人間が連れ去られた末路は食われるかそれとも何らかの儀式に利用されるか。どちらにせよ碌な結末にはならない。
「助けに行きます!」
「無理だ……! 奴等は十匹以上の数がいる……。明らかに、普通の数じゃない」
「……普通の数じゃない」
イリスはその言葉を繰り返したが、二人はそれを気にも留めなかった。
「それに後ろの二人は多分、見習いだろ? 戦力外を引き連れてオークの巣を攻めるなんて不可能だ」
「でも……!」
「彼の言うことは正しいよ」
見かねたイリスが、そう口を挟む。
二人の視線が同時に、イリスを見た。
「無謀な挑戦した奴が痛い目を見た。でも君は勇気でそのうちの一人を助けることができた。ボクから見れば、それは上等な戦果じゃないか? 君の人間性が現れた美談になりうる」
「そう言う問題ではありません!」
「じゃあ、一人で突っ込んで死ぬのかい? ボクにはそれが正しい選択とは思えない」
「……では、皆さんを見殺しにするのが正しいと言うのですか?」
「一人で死ぬのは正しくはないからね」
イリスの言葉に、ヘイゼルは少しだけ黙り込むが、すぐに顔を上げてはっきりと口にした。
「お二人は、リックさんを連れて街に戻ってください。わたしは何とか、攫われた人達を助ける方法を探します」
「正気かい?」
「例えほんの少しでも助けられる可能性があるのなら、それを見捨てる方が余程正気ではありません!」
「……ふぅん。どう思う、ルブリム」
「格好いい」
「揶揄って……」
ヘイゼルの怒りの言葉は、森の奥から聞こえてくる足音と唸り声によって掻き消された。
がさがさと木々を掻き分けて、巨大な影がイリス達の目の前に迫る。
「……ここまでか」
絶望を滲ませた声で、リックが呟く。
緑色の肌、人間を超える巨体。手には棍棒を持った豚の顔をした魔物、オークがそこに三匹立っていた。
オーク達は鼻息も荒く、どうやらリックの血の匂いを辿って追ってきたらしい。既に臨戦態勢で、いつこちらに襲い掛かってきてもおかしくはない。
「皆さんは撤退を! ここはわたしが時間を稼ぎます!」
すぐさま剣を抜いて、ヘイゼルがオークと対峙する。
その身体の小さな震えを見て、イリスは内側から湧き上がる笑みを堪えることができなかった。
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