第2話 また会ったね
帝国直属地方治安維持組織――通称「
私の目の前にある立派な赤レンガ造りの建物は、その組織のものである。その名も「
私は今日、この地安に入団するために街へとやってきた。無事に書類審査をくぐり抜け、入団試験を受けることになったのだ。通知が届いたときは「これで無個性な自分とはおさらばだ」と小躍りして喜んだ。――そんな邪な理由で応募したのか? と思われるかもしれないが、そもそもは私でも正義のために何かできないか、と考えての行動である。……本当だよ?
***
建物の外周に沿うように裏側へと回る。裏口は建物の陰になっており、日差しが遮られてひんやりとした空気が漂っていた。裏口は正面のそれとは対照的にシンプルな作りで、民家の玄関と大して変わらない見た目のドアが一つだけあり、質素なインターホンが付いていた。正門とは違って機能性重視ということだろう。私は緊張を脳の隅っこへ押しやると、ドアの横に立ち、暇そうにクリップボードを弄っている青髪の美少女に声をかける。
「あの、入団試験の会場ってこっちで合ってますか?」
近くで見ても現実離れして非の打ち所のない美貌を持ち合わせた少女は、身体を動かさずに人形のそれのように大きな青緑色の眼だけをこちらに向けると、黒い手袋に包まれた手でクリップボードの金具をパチパチと鳴らし小さく頷いた。
「あ、ありがとうございます……。」
少女の横を何故か忍び足で通り抜け、ドアノブを握ろうとする――と、かなりの力で首根っこを掴まれた。後ろに倒れそうになるのを慌ててこらえ振り返ると、少女は表情を変えず鮮やかな瞳でこちらをじっと見つめている。
「サインしろ、です。」
透き通るような高めのアニメ声から繰り出されるぶっきらぼうな口調に、取って付けたような丁寧な語尾。一言に含まれる情報量の多さに面食らって一瞬たじろぐも、頭の中で言葉を反芻する。
「……サイン?」
そうオウム返しすると、彼女はクリップボードの表をこちらに見せつける。挟まれていた紙には「入館証明書」と印刷されていた。
最初から言ってくれればいいのに……証明書に名前を書いて恐る恐るドアを開けると――今度は引き止められることはなかった――、その先は狭いながらも小綺麗なエントランスだった。ダークウッドを基調とした壁や家具。床には赤い絨毯が敷かれている。
「入団希望の方ですね?ようこそ。」
小柄で中性的な少年に出迎えられる。なぜか春なのに(しかも室内なのに)マフラーを首に巻いており、声は変声期前のかわいらしいものだった。姿勢良く立つその姿は、しかしながら威圧感を感じさせない柔らかなもので、素人目に見ても相当洗練された立ち居振る舞いであると分かる。
はい、と少し上ずった声で返事をする。彼はニコリとほほ笑み、それ以上何も言わずにくるりと振り返ると、スタスタと歩き出した。慌てて後を追う。玄関に段差はあったが、どうやら土足のままで構わないようだったのでスニーカーのままで絨毯を踏んだ。毛足の長い絨毯に、足の裏が沈んだ。
彼はそのまま廊下をまっすぐ歩き、突き当りの階段を下りて行った。明るい雰囲気の上り階段とは違って下り階段の雰囲気は無機質で少しジメジメしている気がした。一瞬二の足を踏んでしまったが、先を行く少年がこともなげに階段を下りていくので、慌てて後に続く。
地下一階は絨毯や壁紙のない石造りだった。真っ白を通り越して青白さすら覚える蛍光灯は、清潔感よりは緊張感を生み出している。冷たい光に照らされた石の壁はすっかり冷え切って、結露から少し湿っているような錯覚に襲われる。――どこからか鉄のようなにおいが漂ってくる。しばらく歩くと少年は立ち止まり、重厚そうな鉄扉の横にちょこんと立った。こちらを微笑みながら見つめている。入れということらしい。
「失礼しまーす……。」
冷たい鉄の扉を開けたら中は豪華な部屋――って展開を期待してたんだけど、そんなことはなく、廊下と変わらない石造りの部屋に見えたのだが。……いや、廊下と変わらないほうがまだよかった。
部屋の照明は思ったよりも明るく、それが余計に室内の異常さを目立たせていた。隅や壁には大小さまざまな機械――多分だけど拷問器具――が整頓されて行儀よく並んでいる。中には使い道を知ってるものもあるな。中に人を入れるトゲだらけの棺桶みたいなやつは有名だろう。次に気付いたのは部屋に漂っている鉄のような臭い――いや、これは鉄じゃなくて……。考えると気持ち悪くなりそうだからやめておこう。そして最後に目に留まったのが、部屋の奥の椅子に座った女性だった。
革張りの丈夫そうな椅子に、退屈そうな表情で座っていたその女性は、私の姿を認めるとゆっくりと立ち上がった。刺すような鋭い目つきと180cmはありそうな長身から一瞬は男かと思ってしまったが、身長の半分は優にありそうな胸囲と下半身の肉付きで女性だと分かる。彼女はいつの間にか部屋に入ってきていたマフラーさん――玄関で迎えてくれた人だ――に視線を向けると、面倒そうに低い声で尋ねた。
「おい、これで全員か?」
「はい! 今回の入団希望者はこの二人です!」
マフラーさんが対照的な高い声でそう答える。……ん?二人? 不思議に思って目を凝らしながら部屋をよく見てみると。私から隠れるように部屋の隅にもう一人いた。見たことある顔だ。
「あっ、さっきの強い人!!」
私に見つかったことを悔やむように、彼女は目線だけをこちらに向けた。どこか信じられないものを見るときの、呆れたような引き攣った表情なのは気のせいだろうか。
「あ? なんだよ、顔見知りか?」
「はい! そうで――」
「赤の他人です。」
……何も被せなくても。私的には仲良くなったつもりだったんだけど、きっぱりと数十分前の出来事を食い気味で否定されてしまった。私、何か嫌われるようなことしたかなぁ?心当たりはない。今のところは。
「まぁいい。さっさと検査を始めたいんだが。おいエナ、リリオはまだか?」
マフラーさんに強面さんはそう尋ねる。検査、という言葉が耳に留まった。おそらくはタスクの検査でもするのだろう。
ギルドの仕事はタスクがなければ始まらない。まぁ書類整理の仕事ぐらいならどんな能力でもできると思うが、事件や事故と直接かかわる可能性のある職員はそれなりに有用なタスクが求められる。らしい。経験よりも才能が重視される職業なのだと、ネットで調べた。一応履歴書にも自分の能力については書いたが、噓をついていないか確かめるのだろうか。
「もうすぐ来ると思いますよ? さっき仕事が終わったって言ってたので。」
マフラーさんはスマートホンを操作しながらそう答えた。エナさん、というらしい。ということはリリオというのが検査官かリーダーなのであろう。……できれば後者であってほしいものだ。目の前の強面の彼女がリーダーなら、仕事中何かと委縮してしまいそうだし。検査官だとしても怖いけど。
そんな失礼なことを考えていると、扉がきしんだ音を立てながら開いた。
「おっ、お待たせしましたっ! も、申し訳ありません、申し訳ありませんっ!」
「や~、ごめんね。思ったより長引いちゃった。」
部屋に入ってきたのは気弱そうな女とチャラそうな男の二人だった。おそらく青髪の男のほうがギルドマスターだろう。そうじゃなきゃ何人も待たせてるにしては態度がデカすぎる。自分の組織に1stなんて名付けそうなのは明らかにこっちだ。強面さんと青髪さんはそのまま二三業務連絡じみた会話をすると、私たちに向き直って話し始めた。
「それじゃあまずは初めまして、と言っておこうかな。僕の名前はフェ=リリオ。リリオって呼んでね。一応ここのリーダー、ってことになってるから、よろしくね。後ろのマフラーしてるのがブラウィン=エナ。僕の秘書だよ。……あぁ、それと、2人とも外国名だけど、育ちはプロジアだから言葉は通じるよ。心配しないでね」
リリオと名乗った青髪の青年は胸に手を当てたり、"リーダー"のところでダブルピースをニョキニョキさせたりと、気取った身振りで自己紹介をする。エナさんが「おぉ~」と声を漏らしながら小さな拍手をした。自分の紹介もされたってのになんだか他人事だな……。「育ちは」とわざわざ前置きしたあたり、生まれは外国、ということだろう。外国名ということは少なくとも帝国領の出身ではない。珍しいが、地元でも何人かはいたし、驚くほどのことでもなかった。
「
強面の女性が続いた。なんだか物騒の極みみたいな単語が聞こえたが……聞かなかったことにしよう。ついでで紹介を済まされた気弱そうな少女は特に異存なさそうに深々とお辞儀をした。きれいな黒髪が柔らかそうに揺れる。名は体を表すという奴だろうか。顔を上げると大きな黒縁メガネが少しずれていた。
そこまで終えると、リリオさんは私たちにも自己紹介を促す。隣の少女は話し始める気配がないので自分から切り出した。
「ええっと、
「……
深々と90度腰を曲げてお辞儀をした私の横で、彼女は目礼もせずに名乗った――叵辿ククリ。耳慣れないはずの彼女の名前を聞いたとき、何か不思議な感覚がした。知らない名前だけど、聞き覚えがあるような……。それはククリも同じだったらしく、お互いに顔ごと目線を向けあって二、三秒ほど経ってから慌てて正面に向き直った。
この違和感の正体を私たちが知るのは、まだ先の話。
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