第1話 出会いはいつも春 その②
「はぁ……はぁ……、追って来てねぇか? 金持ち見つけて裏路地入るまで付け回したはいいものの、見られちまうとはな……。まぁ、顔は隠してるし、通報こそされてもわざわざ追いかけては来ないだ――」
「待ちなさーい!」
「――はぁ!?」
角を何度も曲がってはたどり着いた、裏路地の中の裏路地のような場所に男はいた。持ち主に無断で借りてきてしまった自転車から飛び降りる――後で謝らないと。連れ去られていた女は地面でぐったりとしているが、呼吸はしているようなので気絶しているだけらしい。男はすっかり安心しきっていたらしく、覆面を外していた。つまるところ、素顔を見てしまったということだ。
「てめぇ……どうやって追ってきやがった!? タスクか?」
強面のわりに豊かな表情筋で驚いてみせる男に対して、私は肩で息をしながら答える。
「どう……って、あ……足跡を……追ってきた……だけだけど――」
「足跡なんて山ほどあんだろうが!」
「いや、そんなデカい足跡、一つしかないでしょ……」
目測50cmはありそうな足を指してそう言うと、男は驚愕の表情を羞恥の表情に変えながら襲い掛かってきた。
「顔見られたからには生かしちゃおけねぇな! てめぇは金持ってなさそうだから安心して殺せるぜぇ!」
「ひゃわぁ!?」
巨大な拳の振り下ろしを間一髪で躱す。
え? それまで逃げ続けることしかできなくない? 私。……これって――詰んでない?
軽く絶望しながらも男の力任せで単調な攻撃を何とか回避し続けていると、しびれを切らした男が叫んだ。
「クッソ! 鬱陶しい! ……おい皆! 手ェ貸してくれ!」
後になって思えば、男がなぜこの場所で逃走をやめたのか、どうして覆面を外していたのか。そもそもどこへ向かって逃げていたのかを考えれば、ここが危険極まりない場所であることなど分かりそうなものであるが、当時の私は悪事を阻止することしか頭に無く、男の呼びかけに応じて建物から現れた5人の姿を見てようやくここが彼らのアジトであると気付いたのだった。
「何だおめぇ、人さらいすらマトモにできねぇのか、何なら出来るんだ? やめるかこの仕事? また物乞いでもするか?」
真っ黒なロングコートに身を包み、タバコを燻らせている男が不機嫌そうにまくし立てる。周囲の人物たちが威を借る狐の如く控えているところを見るに、こいつがチームで最も格上のようだった。
「す、すんませんボス! でもコイツ、非力そうな見た目して逃げ足だけは素早いんだよぉ!」
「……おい、聞き間違いか? おめぇ今、このガキ一人に手こずってるって言ったのか?」
「す、すんませ――」
誘拐犯が頭を下げようとするのと、腹部から血を噴き出して倒れるのはほぼ同時だった。ボスと呼ばれた男の手には、未だ銃口から硝煙を吐くピストルが握られていた。
「俺は面倒事を持ち込むやつがこの世で二番目に嫌いなんだ」
男は口から紫煙を吐くと、吸殻を誘拐犯に投げ落とし、その動きと同じぐらい無駄のない動きで私へと銃口を向けた。
「そして面倒事がこの世で一番嫌いだ」
あれ?もしかして私死ぬ?
男が銃口をこちらに向ける。全身の血が引いていくのを感じた。凍死してしまいそうな寒気がする。特に意味はないが、固く目を閉じた。現実逃避というやつだ。瞼の裏に走馬灯の輝きを期待したが、そんなものが見えるほど私の人生は有意義なものではなかったらしく、さっき見た銃口の残像が映るのみであった。
「――
落雷のような銃声が辺りに響いた。あれ、銃で撃たれても意外と痛くないんだな。まぁこういうのってワンテンポ遅れて痛みが来るイメージあるし、撃たれたときもそうなのかな……。私は痛みを耐えるため全身に力を入れてその時を待った。
二、三秒待っただろうか。それにしてもやけに遅いな、と私が目を開けると、目の前には空中で静止している弾丸があった。
「ひぇっ。」
情けない声を出して尻餅をつき、後ずさる。目を凝らすとどうやら私は透明な壁のようなもので囲まれているらしく、弾丸はその壁にめり込んで止まっているようだった。空間がわずかに揺らいでいる。
「……仲間か?」
男が私の頭上――正確に言うならば私の後方――を見て言った。不思議に思って振り返ると、そこには白髪の少女が立っていた。
歳は私と変わらないぐらいだろうか、ストレートの髪は腰あたりまで伸ばされており、風に吹かれて頼りなさげに揺れていた。拳銃を持った人間と相対しているというのに、その眼にはどこか覇気がなく、その網膜には何も映っていないのではないか、という不安感を抱かせる。
しばらく少女の出方を窺っていた男だったが、少女が棒立ちで微動だにしないのを見ると、ゆっくりと照準を持ち上げ、狙いを定める。それを見て、呆気に取られていた周囲の取り巻き達も、めいめいに構えた。つま先で地面をトントンと叩く者、両手の間に雷を迸らせる者、鉄パイプを握りしめる者。
2対5……もとい、完全に腰を抜かしてしまっている私を除外して、1対5。数の利は完全に相手にあった。にもかかわらず少女は目の前で起こっている出来事を、まるで観客席から舞台を見るかのように冷めた様子で眺めている。
「やれ」
男の号令で取り巻きが一斉に襲い掛かるのと、少女が片手を水平に持ち上げるのはほぼ同時だった。
「――
巨大な壁が私と少女を包み込む。地面がえぐれるほどの脚力で繰り出される回し蹴り、空気が焦げたような臭いを漂わせる雷撃、先端がモーニングスターのように変形した鉄パイプ、4本の腕から繰り出される打突。それらすべてをほぼ同時に受け止めた壁に無数の亀裂が走る。氷を奥歯で噛み潰そうとするかのような音が周囲から降り注ぐ――ダメだ、割られる――。私が目を細め、身体を縮こまらせているのをよそ目に、少女は今にも壊れそうな壁に掌を付け、呟いた。
「
少女の掌から溢れる僅かな揺らぎが壁を震えさせたその瞬間、特急電車が目の前を通過したかのような音が私の鼓膜を揺らした。前髪が突風に煽られぶわりと浮かび上がる。浮かび上がった前髪が元の場所に落ち着いたときには、飛び掛かって来ていた4人は路地の反対側の建物近くまで吹き飛ばされてうんともすんとも言わなくなっていた。
「なっ――!?」
男が目を見開く。それは数の有利が一瞬で覆されたからであり、本来一つのタスクしか持ち得ないはずの人間が防御と攻撃、全く性質の異なる能力を発揮したからでもあり、その手に握られた拳銃の引き金が目には見えない異物で塞がれてしまっていたからでもあった。男は戦闘向きのタスクではなかったらしい。仲間も頼みの綱の武器も無力化されてしまったことを悟ると、ヘナヘナと力なく膝を折り、そのまま部下たちと同じように吹き飛ばされて一塊になってしまった。
倒した、のか? この子が? 誰? どういう能力なんだ? 疑問が浮かぶが、それらを口にするよりも早く、私は感謝の言葉を述べていた。
「あ、ありがとうございます……」
少女はその声で存在を思い出したかのように私の顔を見下ろすと、全く悪意の――というよりは思考の――窺えない表情で言った。
「戦えないのなら、戦わないほうがいいよ」
彼女はそれだけを言うと、私を置いて歩き出す。
「ちょっと――待ってよ!」
ビビッて腰を抜かしていたような奴が存外大きな声を出した事に驚いたのだろうか、彼女は立ち止まって振り向いた。……やっぱり。
「血、出てるよ、口から」
私がそう呟くと少女は自らの唇を拭い、指先に付いた血液をあらためると、少し眉間に皺を寄せただけで、何事も無かったかのように再び歩き出した。
「だから……待ってってば!」
反動をつけて勢いよく立ち上がると、彼女の手首を掴む。少女は拒絶するかのように硬直すると少しだけ身体を震わせた。手を振り払われそうになるのを慌てて制止する。
「なんともないから。放っておいて」
「放っておけるわけないでしょ、ケガしてるじゃない。……タスク」
私は目を閉じ、精神を両掌に集中させる。暗い海の底へ沈んでいくようなこの感覚が、私は存外好きだ。両手で彼女の手首を掴み、能力を発動すると、金属同士をぶつけたような軽い音が小さく響いた。
「ふふん、血、止まったでしょ」
私のその自信ありげな言葉に、少女は空いている片手で唇を拭う。指に血は付かなかった。それどころか顎に垂れていた血もいつの間にか無くなっている。目を丸くした少女は自身の口の中に指を入れて、出血の一切が無くなっていることを確認すると、思い出したように我に返って私の手を振りほどいた。
「治してくれてありがとう。でも、もういいから」
彼女は簡潔に礼を述べると先ほどよりは少し慌てて曲がり角に消えていった。……とりあえず通報するか。私は地面に寝そべっている男たちを見て、そう考えた。
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