16話
父が機嫌の良い時は、手に取るようにわかる。午後、仕事場で、一人で生菓・半生菓子・焼き菓子を作っている時、必ず鼻歌を歌っている。都々逸なのか、何なのか?
父の手からは、面白いように菓子が生まれる。いつ、どこで習った物か、私は知らない。またその事を聞くこともしない。
庭に出る手前の、戸の内側に、背の高い‘‘はえちょう‘‘があって、‘‘あん‘‘はそこに入っている。小豆の漉餡・つぶ餡・白い花豆の白餡。
それらを元に焼菓子のどら焼きやワッフル、生菓子・求肥・練り切り。
私が好きなのは蒸し焼きの‘‘君しぐれ‘‘。店に並べると必ず一個は口に入れる。盗む訳だから、味わうなんてことはしない。誰もいないのを見て、さっと取って、パクッと口に入れる。
白いあんに食紅で色を付け、外側に黄色、その中にピンク、そして黒あんが顔を出す。味わってはいられない。とにかく、素早く口に入れ、飲み込むのである。
小学五年の時、同級生の花ちゃんが遊びに来た。
「父ちゃん、花摘んでいい!」
私は仕事場の父に聞いた。父は機嫌が良い筈だ。
「あゝ、いいよ」
私は、花ちゃんと色水ごっこをするつもりだった。と花ちゃんが、
「父ちゃんだって!」と言い出した。
花ちゃんは東京育ちだったが、戦争のためか引っ越してきたらしい。
父ちゃんじゃなければ何と呼べばいいのだろう。お父さん、お父ちゃん、父上、よくわからない。私の育ったここでは父ちゃんと言ったけど。
父には聞こえなかったのか、相変わらず鼻歌を歌っていた。
中学校には、気持ちの抜けない先生もいた。三年にもなると、なおさら生徒を女性として見ているのか、安心できなかった。
「カナ、今日残ってくれ」村上先生の声だ。いやだなあと思う半面、家の手伝いが少なくなるのは少し嬉しい。
村上先生は、テストの印刷の手伝いに私を指名したようだった。
印刷室に行くと、もう準備は出来ているようで、ガリ版の印刷を始めた。
先生がインクの付いたローラーで一往復する。原稿を上げる。私が印刷された藁半紙を一枚めくる、という単純作業だ。
どの先生も、一人で作っているプリントに、どうして手伝わなければいけないのか?と思いながら、先生に触れないよう極力、努力して仕事をした。
先生が原稿を上げた時、私はその腕の下に潜るようにして紙をめくる。その時のスリルが先生としては、はたまらないのだろうと思う。
やっと終わると、私は失礼しますといいながらホッと安心して、家路を急いだ。孝子さんは、たぶん一人で先に帰ったのだろう。
村上先生は数学を教えていたが、授業が始まる前に、五分間の黙祷というのがあって、黙祷している生徒の机の間を回って、先生が気に入った生徒の髪をなでたり、肩を触ったりする。黙祷は、気を落着かせる為ではなく、好きな生徒を触る時間になっていた。
そのことに何人かの女の子が質問し、先生の答えも貰えないままだったが、しかし、先生の行為はなくなった。音楽の先生にしてもしかり。音楽の先生は、頭や髪どころか、膝のあたりを狙ってくる。いやらしい。しかし、多分職員会議にでも出たのか、二人の先生は、ある時から、静かになった。
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