14話
兄がせんべいの製造を辞めて、菓子の卸し専門の仕事にすると、父は寂しくもあったのだろう。まるでまるで父の人生を否定しているような考えを受けたとさえ思える。母は何も考えず、流れに身を任せているようだ。
私はその日の学校が終わると、自転車で、電話の注文の配達をした。
電話を受け、品物を用意し、私の帰りを待つ父母に替わり、伝票を書き、品物を自転車に乗せ、配達するのは当然の事。
岳夫兄は高校に進み、大学受験生になった。支障が起きたのは、蓄膿症だと学校の検診で言われた事である。兄は急遽、電車でいく駅から離れたところの病院に入院する事になった。
ならばと私も扁桃腺がひ大していたので、手術する事になった。
兄の手術は時間が経てば、二、三日すれば治っていった。が、私は手術の夜、大量の出血をし、母が診察室まで負ぶってくれた。
その病院は入院は別棟で、しかも二階の部屋だった。雪の降る寒い夜で、庭の真白な雪の上に、ゲホッゲホッと真赤な血を吐いた。
一週間程入院したが、その間母と二人切りだった。母は散歩に行こうとか、買い物に行こうとか、私とふたりで町の中を歩いた。六畳一間の部屋に火鉢を囲み、する事もなくいる事は、時間がもったいなくもあり、しかし、一生に一度のこの時間を神からのめぐみのような気もした。私が母を独り占めしている事実が嘘のような気がしていた。
三年生になると、女性らしくなったのか、
「○○さんは学校休んでいるの、なぜだか分かる?」と友達に言われた。
「ウウン、なに?」
「赤ちゃんができたらしいって!」
「ウソー!」
何か月か過ぎて、その同級生は何食わぬ顔で学校に来た。
そのままずっと、卒業するまで学校に来た。私は言葉をかわすことがなかった。
岳夫兄は、町の高校に行った。
そして私も三年後、高校受験になろうとしていた。
母が風邪が元で肺炎になって寝込んでいた。夜、食事が終わって母以外のみんながお茶を飲んでいると、一本の電話が入った。
父が電話機を取る。
「あゝヒサ子か、今どこにいるんだ、寒くなるから早く帰ってこい。あゝ母さんは大丈夫だ。みんな待ってるから早く帰って来いよ。」
電話は切れた。
「どっから?」
「わからん」
その夜はそれで終わった。
しかし、終わらなかった。まだ朝が明けない夜中、父は近所の人達を頼んで行ったのだろう。昼近くに帰って来ると、私を呼んだ。父は疲れているようだったが、私に靴の空箱を見せた。蓋は無く、その中にセーターの切れ端やブローチや化粧品のたぐいが入っていた。
「姉ちゃんのか?」
私の前につき出し、父はそう言う。
「うん、姉ちゃんのっ」
姉ちゃんがどうしたの? とは聞けなかった。父はまるでおばけのように精気が無く、そのまま倒れそうな姿だった。
姉ちゃん、どうしたんだろう。
父の持って来た箱は、そのまま玄関にあった。私はその中から、ブローチを取った。木彫りの花の形の上に、女の子がペイントされていた。
姉が亡くなったのは、事実だろう。そうして、近所の人の手を借りたという事と時間がかかり過ぎている事を考えれば、姉は電車か夜中の貨物列車にでも、飛び込んだのだろう、と想像がついた。しかし、この事は誰にも聞くことは出来ないし、また、聞けなかった。そしてこのまま封印してしまうのだろう。
それなのに、みんな、そのことを知っているという不思議さ。
真っ先に本宅にいたハルオさんが駆けつけてくれた。
肺炎で寝込んでいる二階の母の枕元に来て
「おばさん、大変なことでしたね」と労ってくれた。私もすぐにハルオさんの後に付いて行き、母への見舞いやら労いやらを聞いていた。ハルオさんは気持ちの優しい人に育っていたのだ。
母を家に残して、粛々と式が終り、焼場で骨あげとなった。
ふたり一組でお骨を壺にいれようとした時、
「これはビールの蓋じゃないか、飲んでいたんだな」と大きな声を出したのは、キミ姉の嫁ぎ先の弟の声。
物見遊山にでも来たのか、落ち度でも捜しに来たのか、その人の声を、大声を聞きたくは無かった。あの人の性格からいえば、多分そんな事だろう。何十人といた参列の人の中で、一人だけ大声を出し、そして悪びれもなく、大発見でございます、と宣言したかったのかも知れない。粛々と葬儀は終わった。
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