閑話:良枝さんの事(1)

 良枝さんの事


朝、何気なく新聞を開いた。最後に「おくやみ」欄も見る。同じ歳の人を探す。特に私の生まれ育った町には、知り合いもいる。

 と、苗字は違うが、名前と歳が同じで、噂に聞いた結婚相手の住所までが同じだった人がいた。

 息子と思しき人が

「お母さん、ご苦労様でした」とコメントが綴られている。

 彼女が死んでしまったらしい事が書かれていた。私は少なからずショックを受けた。

 頭の端にあって、時々は思い出してみたり、忘れてみたりしていたけれど、もう彼女とは会う事が叶わないとなると諦め難い気がした。

 私の父も母もずいぶん前に亡くなっていた。だから彼女の事で話す相手もいなくいなっていた。だからといって、彼女の息子達も、母親の若い頃の行いや考えに、嫌も応もないだろうし、いや答える権利も義務もないだろう。勿論、そんな気もない。

 そうそう、息子さんの名前が喪主であるという事は、彼女の夫も亡くなってしまったのか?


 私の生家は菓子屋さんを営んでいた。工場ではせんべいを製造し、卸したり販売していた。兄がわざわざこの時期に、テレビを買い、近所の子供達に自由に茶の間に上げテレビを見せていたのは、私を高校受験に失敗させようと企んだから、とは考えたくない。

 私はテレビを観ず、仕事以外は勉強をした。高校の合格発表に名前を確認すると、入学の手続きをした。他の他の親達もチラホラ来てはいたが、私の家では当然のごとく誰も来ていなかった。まるで受かるのがあたりまえとでも思ったか。

 親達は

「良かったね」と言うが、受かるのが当然の如くである。

 その日も終わろうとした頃、店によく来る客のひとり、おばさんが、ひとりの娘さんを連れて来た。

 親達との話はついていると見えて、娘さんは、身の回りの荷物を幾許か風呂敷に包んで持って来て、そのまま私の家の、住み込みのお手伝いさんになった。

―――ええっ、何も聞いてないよ―――

 私は誰彼にそう言ってみようとしたけれど、父母は勿論、家族の皆が彼女が来る事は知っていたらしく、不思議に思っていないらしい。

 彼女は私の六畳の部屋に入ると、私の机に向かい合わせに、兄達の使った机を置き、タンスも下から三段までを彼女用にして、そこに持ってきた衣類を入れた。

 彼女は、私がたぶん自分の境遇を知っているとでも思ってか、挨拶すらしなかった。

 次の日、母が彼女の事についての話しを始めた。

「あの娘さんは、名前を良枝さんといって……」

 良枝さんのお父さんは、農閑期になると、都会に手間取りに行っていた。それは毎年の事で、近所の旦那さん達もそうだ。

 ところが、その年は違った。舅がお母さんと男女の仲になっていたらしい。お舅さんにはお姑さんがいたのに、その目を盗んでいい仲になっていたらしい。

 正月になり、お父さんが帰って来ると、隠し事はばれてしまい、娘の学費は出さないから自分で働けと父親は娘に言ったらしい。それで近くのおばさんに相談し、家事手伝いを条件に、私の家に住み込みで、学校に行く事になった。と母は私に言った。


 私は何の考えも持たず、彼女を受け入れるでもなく、と言って拒絶するでもなく、冷静に接した。

 それが冷たく感じたとすれば、そうかも知れないし、有難いと思えばそうとも言える。

 学校が始まり、私は普通科に入り、彼女は家庭科だった。家庭科は普通科よりワンランク下になるが、同じクラスにならないだけ救われた。家庭科の方が、お金はかかるだろう。

 通学時、中学生の時は近所の友達とおしゃべりしながら通っていたが、高校は彼女と通学しなければならず、近所の友達とは行かないと断った。

 彼女は私との会話に気を使ったのか、何を話しても、「はい」「いいえ」だけで済ます。話しが続かず、その内に話す事もなく黙って登校した。下校は、彼女はひとりで帰り、家の仕事をした。私は適当に帰った。それでも私の仕事は待っていて、電話注文の品物を配達したり伝票を書いたりした。

 夏休みになり、嫁に行った姉の家に遊びに行った。子供達と遊んだりして家の事を、特に彼女の事を忘れようとしたが、姉は誰彼かまわず、私の境遇を

「この娘はかわいそうなのよ。同じ歳の娘が働きに来てて、しかも同じ高校に通ってるのよ」 と、まるで小説の主人公のように私も哀れんででもいるように話す。そしてお土産は私と同じ物をふたつ持たされてくれた。

 朝早く電話で注文が入る。母はメモを持って仕事場に行く。がすぐ帰って来て

「みんな、手が離せないんだって! 仕方無いから二人で配達に行って。学校には遅れて行くと電話しておくから」 と言う。

 母がそう言うならそうする他ない。私はバイクに乗り、彼女は自転車で商品を持って、配達に行った。田舎道に行くに従い、向かいから自転車で登校する顔見知りの友人が来る。

「どうしたの?」

「何してんの!」

 と声がかかるが、彼女の手前、どう返事して良いのか分からず、黙って過ごす。

 配達が終って、遅れて学校に行ったが、その間、彼女とはひと言も話していない。それありかと思いながら、当然のごとく学校に行った。

 三年間という年月、そのように過ごした。親が二人で登校する事と望むなら、それはそれでいいと私は思った。

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