11話

 「小学校の教室でお弁当の時間、みんな、お弁当やにぎり飯を持って行くのに、私は大根の入ったご飯だった。

「大根メシ! 大根メシ!」って言われて、私は学校の外のあぜで、みんなに隠れて弁当を食べたんだよ。

 だから、お前たちにそんな苦労はさせたくない。そう思って頑張ってきたんだよ。

 店を出した当初、一升の米を借りる。せんべいを作って売る。お米の代金を返したら、もうせんべいは作れない。だから又一升借りる。せんべいを作って売る。そうしてやっと前々回の借りたのを返す。そうして又一升借りる。

 自転車だってそうだ。街の真中の自転車屋に行って、こういうわけで商売を始めた。店売りはほんの少しだから、私は自転車で遠くをまわりたい。だがお金がない。だからしばらく私に自転車を貸してほしい。と頭を下げた。

 自転車屋の旦那さんは、私を見込んだのか、気持ちよく貸してくれたよ。

 田舎へ売りに行くのは誰しも同じ気持ち、同じような茶店でお昼になる。夏の暑い日には冷たい豆腐がごちそうだ、私の好物でもある。今日は半分を買って食べようか?と思う。けれども、我慢するのだ。私は土手でおにぎりを広げ、食べる。毎日、そんな事の繰り返しだよ。そして、とうとう一か月後に自転車の代金を払いに行った時は、思わず泣いてしまった。自転車屋の旦那さんも涙をこぼしてくれて―――。今でもおつき合いしているんだよ。その旦那さんとは。」

 母も横から口を出して

「私だってそうだった。竹筒に毎日旦那さんのタバコを買ったつもりで、少しだったけど、貯めていたんだよ。竹筒がいっぱいになったら、旦那さんの腰の飾り物みたいだったけど、キセルとキセル入れとタバコ入れを買って、かっこうだけはひとり前に―――」

 母は、格好だけは、理想の旦那さんに作りたかったんだろう。自分の育った家と同じ町に住んでいて、自分の旦那さんも見てほしかったに違いない。勝気な母の一面を見るような話しだった。

 そうして、その夜は更けていった。

 昭和三十二年、私は十三歳になった。

 もう多分、正月の羽根つきも、空き缶でゲタを作って歩いたのも、近所中を駆け回った缶けりやかくれんぼも卒業した。竹馬もしかり川のほたるも、もしかして今は見えないのではないか。あんなに夏を楽しみにしていたのに。

 そして私は、中学生になる。

 その前に、春休みに中に十三参りをすることになった。

 近所の世話役さんから声を掛けられた母は、行くといいよ、と私に言った。十三の厄除けらしい。海の近くのお宮さんに参って、お昼を食べて帰って来た。知らない人ばかりで、黙っていたけど、海は良かった。

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