9話

 父が考案した、三センチ角位の生地を焼き砂糖がけする、”君が代”というせんべいは、甘い物がない頃で良く売れた。砂糖を煮つめてかけ、ゆかりという粉をかけると、甘さにしょっぱさが加わって、いくつでも食べられた。

 難点は、砂糖がけして、ほんの少し乾かしたら、人の手でせんべいどうし、くっついた所をひとつずつ剥がすという手間がかかるという手間がいる事だ。

 ばん台の上に紙を広げ、焙炉の引き出しに入った網のひとつ分を空ける。そのひとかたまりのせんべいをひとつずつ剥がしていく。

 ばん台の前に、父母私弟が一列に並んで剥がすのだが。時々割れていたりすると、口にいれたり、いろいろ話しが出てくるのが楽しかった。

 父と母と兼吉兄と私と弟と―――時には岳夫兄がいたりする。だけどそこに、ヒサ子姉はいない。いつもいない。

 どうして?今どこにいるんだろう?

多分、父も母も口には出さなくても心配しているに違いない、と思えば思う程に私は心配する。

 先日の事、店のショーケースに入っている板チョコを取ってくるようにヒサ子姉に言われた。午後で、客も店番もいない。店番はトイレにでも行っているのか?

「黙っているからさ!」と姉はいう。

 私は初めて店の物を取った。店で一番大きな板チョコだ。

「あんたにも半分あげるよ」姉は銀紙に包んだままの半分を割ってくれた。

 その翌日、仕事場にいる父に呼ばれた。

「チョコレート取ったろ。もう取っちゃだめだよ」

「ウン」

 それだけで父は許してくれたし、私も姉の名前を出すまでもなかった。

「チョコレート取ってきて!」

 次の日も姉に言われたけれど、もう出来ないと断った。姉の机の脇にあるごみ入れを見たら、チョコレートの包紙がすててあった。

―――あゝ、これで父ちゃんは、私が取ったと思ったんだ―――と分かった。

 学校は、私達に風呂敷を一枚持って来るように言った。

”良い物でなくていいから”と言うけれど、何に使うかは言わない。

 次の日は、勉強はなかった。風呂敷を持って校庭に集合だ。それから、高学年から順次一列になって、学校の東に向かって歩いた。お城山の切通しのような所を通りぬけて、川原に降りた。

 男の先生が川原にスタンバイしていて、先生の前に風呂敷を広げると、大きなスコップに一、二杯、砂を入れる。生徒はそれを受け取って四隅を持ち、あるいは二隅ずつ結び、肩にかけたり、手に下げたりして学校に帰る。一人二往復もすれば、もう昼に近い。結構な距離である。重くもある。校庭に撒くと、どこに―――という感じだけど、先生の希望通りにはいったのかもしれない。

 冬になると、砂取りに行く途中にある竹やぶの下の田んぼを借りて、前日の夕方に、男の先生はバケツを持って行き、田んぼに水を蒔き、スケート場を作る。朝から学年ごとにスケート教室になる。スケート靴のない人はゲタスケートといってゲタにスケートの刃を付けたのを学校から借りてすべる。

 私はころんでばかりで、すべる事ができなかった。その教室は、一日で終わった。

 その頃、私の家に”電話”来た。町はずれの私の家にも、電話がやって来たのだ。

 私が描いていた電話という物は、例えば注文の品物を機会に結び付けると、電線を伝ってどこまでも配達してくれるとか、電話している人の顔が見えるとか。

 しかし、電話は、今まで配達した事のない知らない家にも届けなければならなくなった。

 その日の電話もそうだった。ケーくんが届け先を父に聞き、私に

「一緒に行こうか?」と誘って来たので

「ウン」という。

 家を出て右に行き、川を越えて左に曲がり、川の土手の上を歩き、土手を降りると、その家はあった。無事お金も貰い、帰ろうと土手に上がると、大きな黒い牛が、私達を追いかけるように近づいてきた。

 咄嗟にケーくんは私の前に出て、牛から私を守ると、

「その赤い服を脱いで、丸めて―――」と叫び、牛にドウドウといい、落着かせると、帰れと命令して、しばらくにらみ合っていた。が、その内、牛はすごすごと帰って行った。

 ケーくんは何事も無かったように歩き出したが、私はしばらく足が竦んで前に出なかった。ケーくんは笑っていたが、私の中のケーくんに底知れない男性というものを持っているような気がして、恐ろしくも思った。

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