閑話

 歳暮


私が育つ頃、歳暮といったら塩引(塩鮭)で、丸々一匹を箱に入れて、やったり貰ったりした。同じ鮭行ったり来たりもした。塩鮭は大きいし、頭から尻尾まで利用でき重宝した。見は切り身にして晩に、弁当にそれだけで十分だった。嫁ぎ先では「しもつかれ」を作っていて、塩引きの頭やしっぽを入れ、塩味や味を出しにした。「あます所なく」とはよく言ったものだ。あます所なく、そんな人間になりたい。



  いちじく


 私はいちじくが好きだ。堀の外に出た熟れたいちじくを見るとたまらない。取りたい衝動を抑える。昔、私の田舎の庭の南端に一本のいちじくがあって、今あるような大きな実ではなく、昔ながらの小さめな実だったけど、熟すのが楽しみで朝一番に起きて

は食べた。

 あの期はたぶん父が植えたのだろう。カキの木も一本あって、子だくさんの家にはもってこいのなり物の木だった。


  花見(近所の方と)


 御近所で花見をしようという事になり、青年部の部の人達が中心になり準備をした。父は卵を産まなくなった飼っていたにわとりを二羽も潰し、煮物に入れ、それぞれ、むしろ、七輪、酒、薬缶、弁当、煮物、湯のみ等持って山に向かった。私の家は父母、姉二人、兄二人私と弟が参加し……、その内に風が出てきて、男達を残して帰って来た。その写真があって、今にも「宴会ダーッ」と言ってるよう!!


  ダンスホール


 地方の町でもダンスホールというものが出来、行ってみた。昭和三十八年頃で、当然のごと流れ者が黒スーツを着て、二、三人いた。一緒に行った直子がちょっかいを出されその気になり、その気になった様だけど連れていかれるまでには至らなかった。直子は背が高く、田舎町には稀な人で目立っていた。なんだか危なっかしいけど、それからどうなったかは、トント知らない。


  冷蔵庫

 隣が自転車屋でその隣が肉屋、その肉屋に大きな冷蔵庫があった。冷蔵庫は時として私の家の冷蔵庫になる。例えばスイカ、例えば魚類、例えば……。頼みに行くのはいつも私。「すいません、これを冷蔵庫に入れて置いていただけますか」娘さんが店にいて「いいわよ」と言う。父母は「肉を買ってるんだからいいんだ」と言うけれど、頼みに行く身にもなってくれと思う。それを貰いに行くのも私なのだ‼


  クリスマス

 

 兄が初めてケーキを作るという。その頃はバタークリームのケーキだった。大きいのから小さいの、二段と三段があって、私は兄に相談した。「全部売ったら最後のひとつは食べていい?」って。兄は「うん」と言った。弟を連れて雪の中、かさをさしてまず家に出入りする人達の家に行った。あんま、八百屋、etc……。

全部売って三段ケーキが残った。店を閉めようとして客がそれを買って行った。


  ゲートル

 店に並べる商品が手に入らず仲間と東京へ買い出しに行った。(戦後の頃)リュックを背負って足にはゲートルを巻いて。汽車の中は買い出しの人で一杯らしい。と仲間が気付いた時にはリュックの底を切られ、お金を取られていた。父は一斗缶を入れその中にお金を入れていたので無事だったようだ。

 ゲートルを足に巻いている父を時々思い出す。いつまでも戦後ではないだろうに……

 

  東京

 私が始めて東京へ行ったのは小学校高学年の時だった。母と弟と嫁に行った姉の家へ行く途中、二番目の兄に上野に来てもらった時、上野のケーキ屋さんに寄ってくれた。その時始めて生クリームのケーキを食べた。口の中で無くなる不思議なクリームだった。美味しかった。それ以後、田舎でも生クリームが流行し、今では普通になったが、何も無い頃はバタークリームでも美味しかったのです。

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