第6話
「横須賀のおじさん家へ遊びに行ってくる」
兄が言うので、父はまあ仕方ないかとOKの返事をした。
数日して、また高校の先生が来た。
「横須賀のおじさん家へ行くといって大学の受験をして来たようで、きょう学校に合格の通知が来たのです。どうか大学に行かせてあげて下さい」
先生がどんなに頼んでも、父は頭を前にする事はなかった。
長男兼吉はしかたなく家を継ぐことに決まった。
ヒサ子姉が、電車で一時間ほどの所にある地方都市に買い物に行くと言い出した。母は、たぶん若干のお金を持たせたのだろうけれど、それはどこにも足らない程の買物で、あろう事か、本宅の直系の親類の家へ行って、
「お金を貸してください」という。驚いた家人は、どこの誰か聞いて、すぐ電話をしたらしい。私の知らないところで話しがついたらしく、ひさ子姉はミドリ地にバラの花の絵がある着物地を買った。
初釜にでも着ていくつもりだったようだが、一度着ただけで、タンスにしまわれた。
その内に、二男好男が大学に行き、長女キヨもお嫁さんになった。
座敷にある母のタンスの一番下の引き出しを開けると、白地に青の水玉のワンピースがあった。いつから入っていたものだろう。そしてその頃流行っていた日傘も入っていた。
ワンピースは二段もフリルがついていて、今着なければ着られなくなってしまいそうだ。それに日傘は小ぶりで紙で出来ていて、でも日本舞踊でも習っていればいいが、でなければ外にさして行く所などない。
何度か見ている内に、ワンピースも日傘もなくなってしまった。そして私は母にそれを訊ねる事もしなかった。
春の日、少年が学校の先生だという方と、家に来た。
父と長いこと、座敷で話していた後、先生という方は帰り、少年が残った。少年の座った隣には小さな風呂敷包がいっこ、ちょこんとあった。
その日から少年は住み込みの小僧さんになった。名前はケーくんという。
母に話しを聞くと、両親は亡くなってしまい、お兄さんと二人暮らしだったらしいが、そのお兄さんが今度結婚する事になり、弟のケーくんは家を出たという事のようだ。かわいそうにね。母とうなずいた。
父と兄に少しずつ教えられ、素直にそして役に立つようになった。しかし、正月休みも盆休み、どこにも行く所がなく、映画によく私を連れてってくれた。娯楽のない頃で、映画館はギュウギュウで身動きすら出来ない。するとケーくんはやおら私の前に膝をつき、私を肩車すると、立ち上がった。何も見えていなかったのに、こうすると大人の頭越しに映画が見える。私はケーくんに感謝しながら、映画を見た。
小学四年生の時、ケーくんが来たばっかりの頃だったと思う。私は小学校の校庭で友達二人で話しをしている所に近づいて行った。キヨちゃんが猫とジャレあっている話しをしているのが面白そうだったので、私も入れて、と言って、三人でキヨちゃん家へ行く事にした。
母にことわって町の中にあるキヨちゃん家に行くと、三人はキヨちゃん家の店の脇の狭い露地の途中にある玄関から上がり、そのまま二階に行った。二階の廊下には手摺が張り巡らされており、まるで旅館のようだ。
―――旅館はまだ行った事がない。本の挿絵で見た―――
座敷には違い棚があって、靴が入っていた箱が何個か重なっていた。
「ここに人形が入ってるから」
そういうとキヨちゃんは、市松人形を出してきて、着物を着せ変えたりして遊び出した。
―――猫は?——— とは言えなかった。
下に降りて行ったキヨちゃんは、台所からそのまま持ってきたのか、りんごを丸のまま持ってくると、その内の一個をかじり出した。りんごは四個あった。洗ってあるのかしら?
例えば母だったら、その内の二個位を洗って皮をむいて、四個なり八個なりに切って、楊枝を人数分刺し、娘を呼ぶだろうと思う。
帰ろうと友達が言い、帰る事になった。ふたりの友達はリンゴの芯をどこに置いてきたのか、今は持っていなかった。私は迂闊に、その食べカスを持って出た。なので、お店の旦那さんであるキヨちゃんのお父さんに
「おじゃましましたと」言って、店の前で友達と別れた。キヨちゃんは二階から出て来なかった。そしてりんごの芯は、私の場合スカートの裏、いい換えれば、背中に隠して持っていたのである。それは断じてお金ではない。
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