第5話

ある日、母と私と山木のおばあちゃんで『鞍馬天狗』の映画を見に行った。

おばあちゃんは初めて映画を観るわけでもないのだろうに、

「早く、早く、こっち! こっち!」と、まるで本当にある事の様に大声で忙しい。手をたたいたり、拍手したり、ニュースになると、涙を流して、戦争に行った人達の引き揚げや、戦死者の名前等が映し出されると、

「だからさ、いやなんだよ。私の息子もさ……」と言って泣くのである。私は母と顔を見合わせて、仕方ないね、と思う。

 私の家族はまだ小さく若く、父も身長が足りなかったらしく、戦争には行かなくて済んだ。

 山木さんのおばあちゃんは、長男の息子さんが転勤もなくなり落ち着いたらしく、息子さんに引き取られて行ってしまった。

 ある日、父は

「本宅の庭の長屋に住んでいる大工さんに、来るようにって行って来い」という。

 私は ウン と言って駆け出した。本宅は、駆け出せば五分とかからない。

 母の生家である本宅の店の、左側にある門を潜り、広い庭に行くと、左に蔵がある。するとすぐ右側にも大きな蔵があり、その蔵の先は広い庭で、左側に桐が数本、天を突いて立っている。

 右側に小じんまりとした長屋があり、何世帯かが連なってある。一番手前だと聞いていたので、一件目の玄関に声をかけた。

 すぐに女の人の声がして、戸が開いた。

「あの、荒井と申しますが、父が来てほしいっていってます」

「わかりました」

 おばさんは、待ってました、とばかりに、歯切れ良く答えた。そして次の日には、もう大工さんが来た。

 父と大工さんが、あっちこっちと見てコソコソ話して、家の改築が始まった。

 次の日には左官屋さん、屋根屋さん、材木までが勢揃いの体である。

 母が

「焚き付けが無くなると、またどっか直すに決まってるから見ててごらん」と言う程に、父は子供の成長に合わせて、何度も何度もいえの造作を変えた。父の趣味といえばそうなのかも知れない。そして、子供達が日増しに大きくなって行くのを止める事もできない。

 店と台所、仕事場、家の中の全て土の所はコンクリートとした。そして台所にはスノコを張り、水を飲むのも汲むのも、風呂に入るのも、履物をはかずに出来る事が便利になった。

 二階の手前に中二階が、丁度台所の上に部屋が出来、作り付けの大きな机が東の窓いっぱいに作られた。東の窓には、城あとがみえ桜の頃はうれしい。

 作られた時は、左からヒサ子姉、私、そして岳夫の三人が使った。勉強の途中で仕事の手伝いに行っても、誰も散らかっていると文句を言う人もいなくなった。

 春になり、長男兼吉は高校を卒業する年になった。高校生の兄は、バンカラに色付いたのか、友達と我慢くらべをしているのか、黒いマントに素足で高下駄を履き、真冬でも、雪の日でも焼けになってもそれを通した。なのに夕食になると、———憎らしいやつはいないか—――とばかりに煮物から肉ばかりを食べてしまう。肉はあったがめったに食卓には上がらなかった。

 兄は大学に行きたかった。でも父は仕事を手伝って欲しい。なかなかうまくいかない。

 父は小学校へは三年しか行かせてもらえず、働きに出された。

 雇い主は、女の子が欲しかったが。少し大きくなると父の生家近くは機織りの仕事が待っているので、しかたなく、必ず小学校は卒業させてやるからといいながら、そんな話はどこ吹く風のごとく、もっぱら赤ん坊の世話係だった。

 食事の事、おむつを洗う、おぶってけ貸せたら掃除をして、息つく隙もない。

 唯一嬉しいのは、むづかる赤ちゃんをおぶり、家を離れた時、懐にいれた教科書を出して読む事だ。友達は今頃どうしているか?考えても仕方のない事は考えないようにする。そうだ、それで行こう。

 赤ちゃんが大きくなると、畑仕事や馬を引いて荷物を運ぶ、と毎日大人並みの仕事であった。霜が降りる頃の朝、着物に素足に草履、素手で大豆を抜いていたら、

「寒かんべえ」 という声。近所の人だろう。こらえにこらえていた物が、そのひと声で折れてしまい、涙が流れた、と父は言った。

 そんな苦労とは違う。だから長男には大学を諦めて、家の商売を次いで欲しいと思う。

 高校の先生が来た。

「息子さんをどうか大学に行かせてあげて下さい」という。

 父は返事をしなかった。

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