第32話 モラハラをしていたのは…
花火はか弱い声でそう言うと、何かに怯えるように身を縮こませた。
普段の花火とはかけ離れた態度だ。
こんなの演技に決まっている。
俺は一瞬たりとも騙されなかった。
でも、花火の本性を知っている人間は他にはいない。
案の定、華奢な肩を震わせて泣く花火を見て、野次馬たちの顔に同情の色が浮かび上がった。
「別れるって、あの二人付き合ってたってこと……?」
「嘘!? 私、最近の一ノ瀬くんいいなあって思ってたからショック……!」
「そんなの私もだよ……!」
「それより女の子のほうって、学園一の美少女って評判の如月花火ちゃんでしょ?」
女子たちの間だから、そんなヒソヒソ声が聞こえてくる。
花火は周囲の様子を視線でサッと確認してから、ポロポロと涙を流しはじめた。
「どうして何も言ってくれないですか、センパイ……。確かに付き合ってる時、口ごたえするなって命じられてましたけど……、でも何も言わなかったら、私捨てられちゃうんですよね……。中学生の時からずっと付き合ってきたのに、人気者になった途端、振るなんてひどいです……。ううっ……」
花火は、手のひらに顔を埋めて、激しく泣きじゃくった。
周囲の取り巻きたちが慌てて花火に駆け寄る。
花火は甲斐甲斐しくハンカチを差し出す男子や、なぐさめの言葉をかける男子に囲まれてシクシクと泣き続けている。
野次馬たちの混乱は当然増した。
「『口ごたえするな』って……やばくない?」
「完壁モラハラだし、なんならDVじゃん!?」
「信じらんない。そんなふうに見えないのに……」
「DV男って外面はいいっていうじゃん?」
「しかも人気が出た途端、別れるって……」
もう誰も声を潜めたりせず好き勝手なことを言っている。
俺は開いた口が塞がりなかった。
言葉の暴力で支配していたのは花火であって、俺ではない。
「ちょっと待て! 一方的な話を鵜呑みにして、一ノ瀬を変な目で見るのはよくないだろ」
そう言って庇ってくれた蓮池がこちらを振り返る。
「一ノ瀬、正直俺は今の話を信じていない。そもそも付き合っていたなんて噂すら聞いたことがないぞ」
「蓮池、それに関しては事実なんだ」
俺の言葉を聞き、野次馬たちからサラッと声が上がる。
蓮池も目を見開き驚いている。
当然、こういう反応が返ってくることはわかっていた。
でも、嘘を吐くわけにはいかない。
視界の端には、泣き真似をしながらこちらの様子を伺う花火の姿が映っている。
「そうだったのか……。それじゃあ、一ノ瀬から振ったという話は……?」
「それも本当だ」
またざわめき。
「でも、DVだのモラハラがどうかという部分は否定させてもらう」
むしろ被害にあっていた側だ。
俺の言葉に顔色を変えたのは蓮池だけだった。
他の生徒たちは、俺が付き合っていたことを認めた時点ですでに悪人を責めるような目つきになっていたし、実のところ口を開く前からこんな結果になる気がしていたのだ。
「……モラハラされてた側って。……女子が男子にそんなことするなんて考えられないでしょ……」
誰かがぽそっと呟く。
そう。世間的には、『男が加害者で、女性は被害者』というイメージが根強く植えつけられている。
それゆえ、今の俺は完全に分が悪かった。
俺を見る生徒たちの視線の中には非難するような敵意が宿っている。
まるで、オセロの板上で白い石が見る見るうちに黒い石へと裏返っていくみたいに。
気づけば俺の周りは、蓮池を除いて敵だらけになっていた。
なるほど。花火の言っていたのはこういうことだったのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます