第28話 図書館デート

 数日後の土曜日は、六月だというのに珍しく澄み渡った空が広がった。

 待ち合わせは、駅前に十一時となっている。


 平日と同じ時刻に起きてしまったので、食パンを焼いて軽い朝食を食べ、のんびり準備をした。

 それでもまだ時間がかなり余っている。


 せっかく天気もいいし、早めに家を出ようかな。

 駅まで散歩がてら歩けば、ちょうどいい頃合いになるはずだ。


 平日休みの両親はどちらもすでに仕事へ出かけたあとなので、いつもどおり鍵を持って家を出る。

 玄関前で施錠をしていると、不意に悪寒がした。

 こういう経験をするのは、もう三度目だ。


 うんざりしながら振り返ると、意外にも花火の姿はなかった。


「あれ……。今度こそ気のせい……?」


 まあ、そうだよな。

 あれだけしっかりと突き放したし。


 そのうえでさらに付け回したりしたら、もうストーカーと変わらない。

 いくらなんでもそれはないはずだ。


 誰もいないのに視線を感じるなんて、被害妄想も甚だしい。

 自嘲気味に笑った俺は、気持ちを切り替え、駅に向かって歩き出した。


◇◇◇

 俺が駅の改札についたのは、待ち合わせ時間の三十分前だった。

 ところが――。


「えっ」


 信じられないことに、もう雪代さんがいる。

 噴水の縁に腰掛けた彼女は、いつものようにカバーを外した文庫本を熱心に読んでいた。


 学校にいるときとは違い、ふわりとしたセミロングの髪を肩まで垂らしている。

 少しダボっとした白いワンピースが、雪代さんにはとてもよく似合う。

 頭にはピンクベージュ色のベレー帽がちょこんと乗っている。

 どことなくレトロな印象を与える服装は、個性的だけど女の子らしくもあって、制服姿の時以上に雪代さんの魅力が引き立っていた。


「雪代さん」


 駆け寄りながら声をかけると、雪代さんは驚いたように顔を上げた。


「あれ! 早いね、一ノ瀬くん」

「雪代さんこそ」

「えへ、実は緊張して早く来ちゃったの」


 はにかんだ笑みを浮かべながら、「よっ」と言って彼女が立ち上がる。

 文庫本は斜めがけにされた帆布バッグの中にしまわれて、代わりに革のパスケースが取り出された。


「前から感じてたけど、雪代さんっておしゃれっていうか雰囲気があるよね」


 思ったことをそのまま伝えたら、雪代さんは一瞬で真っ赤になってしまい、唇を尖らせた。


「一ノ瀬くんって、やっぱりナチュラルすけこましだ……!」

「ええっ!?」


 素直に褒めただけなのに解せない。

 まあ、雪代さんは怒っているわけではなさそうなので、その点はよかった。


 というか、どちらかというと照れてるように見えるような……。

 もしかして今の態度は、褒められたことへの照れ隠しだったのだろうか?


 この一ヶ月ちょっとの間で、雪代さんとはだいぶ親しくなれたと思うけれど、まだまだ未知の部分がたくさんある。


 今日一緒に過ごすことで少しでも雪代さんのことを知ることができたらいいな……。


「……えっと、それじゃあ、そろそろデートをはじめようか? はい」


 俺が手を差し出すと、雪代さんはきょとんとした顔で首を傾げた。


「えっ。え……!? い、いいの!?」


 なんでそんなに慌てるんだろう。

 不思議に思いながら手を差し出したまま待っていると、その手をおずおずと雪代さんが握ってきた。


「え!?」


 今度は俺が驚きの声を上げる番だ。


 だって、なんで手を繋がれたんだ!?


「わ!? うそ、私、間違えた……!?」


 慌てたように彼女がパッと手を放す。

 また首まで赤くなってしまった雪代さんが、「もうやだ、恥ずかしすぎて死にそう」と言いながら頭を抱えている。

 それを見て、俺のほうが何かをやらしかたのだと気づいた。


「なんかごめん……」

「……ううん。あの、でも、一ノ瀬くんの手って……どういう意味だったのかな」

「荷物持とうと思って」

「荷物……。私の……?」


 信じられないという顔で聞き返されて、確信を持つ。

 しまった。

 やっぱり俺がやらかしたんだ。


 花火は会った瞬間、俺に荷物を押し付けてきていたし、それに街中でも彼女のバッグを持ってあげている彼氏を時々見かけることがあったから、それが普通のデートスタイルなんだと思ってきた。

 でも、どうやら普通じゃなかったらしい。


「荷物は持たないほうがいいんだね。わかった。気をつけるね」

「ううん、私こそ勘違いしちゃってごめんね」


 お互い何とも言えない恥ずかしさを抱えながら目を合わせた。

 数秒後、どちらからともなく笑ってしまった。


「ぷっ……あははっ。だって一ノ瀬くんずるいよ……。あんなふうに手を差し出されたら、勘違いしちゃう……あはは!」

「ふっ、ははっ。だよね。よくよく考えれば、荷物を持ってあげてる彼氏より、手を繋いでる人たちのほうが圧倒的に目にする確率高いし。これからは気をつけます。あ、でも、雪代さんがバッグを持ってもらいたいタイプなら俺全然持つけど」


 俺がそう伝えると、雪代さんは恥ずかしそうに目を伏せてから、消え入りそうな声で言った。


「……バッグを持ってもらうより、手を繋いでほしいな」

「えっ、あ、そ、そっか……」

「うん……」


 俺たちの目がぎこちなく合う。

 雪代さんの瞳が何かを期待しているかのように、一瞬だけ俺の右手に向けられた。


「……手、繋ぐ?」


 せっかくデートに誘ってくれた雪代さんが少しでも喜んでくれるなら。

 そう思って尋ねてみたら、彼女は両手で口を覆って「うれしい……」と呟き、その場にしゃがみ込んでしまった。


 何、この反応……。かわいすぎないか……。


 俺はやけにうるさい胸の鼓動を聞きながら、ごくりと息を呑んだ。

 手を繋いでみるかと自分で言い出したのに雪代さんがドキドキさせるから、手を差し出すのがめちゃくちゃ照れくさい。


「あの、えっと、はい……」

「うん……」


 俺がしどろもどろしながら差し出した手を、雪代さんは真っ赤な顔で握り返した。


「えへへっ、一ノ瀬くんと手繋いじゃった……」


 やばい……。

 うれしそうな雪代さん、めちゃくちゃかわいい……。


 さっきからかわいいって単語しか出てこなくなっているが、語彙力がなくなるほど今日の雪代さんがかわいいのだから仕方ない。

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