第23話 「君は私のヒーローだよ」

「これで全部終わらせられると思う」


 そう伝えた瞬間、雪代さんはホッとしたように肩の力を抜いた。

 いつも通りに振舞っているように見えても、きっと本当はすごく気を張っていたのだ。

 俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、強引な方法でも解決させる道を選んで良かったと思った。


 絶対に今日のホームルームで全てを終わらせよう。


「大道寺さんには、みんなの前で今回のことが嘘だったと認めてもらうつもりなんだ。ただ、そこに至る途中で、もしかしたら大道寺さんが雪代さんにひどいことを言う可能性があって……」

 また雪代さんを傷つけてしまうかもしれない。

 それが何より心配だったのだけれど、雪代さんは安心させるように俺の腕にそっと触れてきた。


「私なら何を言われても大丈夫だから。たしかに先生に疑われたり、クラスのみんなから噂されるのは辛かったけど……。でも、一ノ瀬くんと蓮池くんが味方になってくれたし。一ノ瀬くん、私を信じてくれたでしょ? それで、もう全部大丈夫になっちゃった」

「えっ」

「誰になんて思われてもいいの。一ノ瀬くんに、嫌われなければ」


 上目遣いで俺を見上げたまま、雪代さんが微かに頬を赤く染める。

 雪代さんの言葉と、この表情の意味について考える間もなく、予鈴が鳴りはじめた。


「一ノ瀬くん、教室戻ろ?」

「あ、うん」

 俺がベランダのドアを開けるの同時に、教室内がざわついた。

 クラスメイトたちの視線は教室の入口に向かっている。

 大道寺絵利華が登校してきたのだ。


 大道寺絵利華は朝のホームルームがはじまる直前の時間を狙って、登校してきたのだろう。

 誰かが大道寺絵利華に声をかけるより先に担任もやってきてしまったので、クラスメイトたちは物言いたげな顔をしながらも自分の席についた。


 担任は出欠の確認を事務的に終わらせたあと、クラス名簿を教卓の上に置き、迷わず雪代さんのほうに視線を向けた。


「雪代さん、大道寺さんに謝る時間をもらいたいとのことですが、いじめがあったのを認めるんですね?」

「え……」


 きょとんとした顔で雪代さんが声を上げると、担任は訝しげに眉を寄せた。


「あなたが朝のホームルームで、大道寺さんに謝罪したいと言ったのでしょう? 大道寺さんからそう聞いていますよ」

「待ってください」


 突然割って入った俺に、教室中の視線が集まる。

 俺は気にせず、大道寺絵利華に話しかけた。


「大道寺さん、最後にもう一度聞くけど、雪代さんにいじめられていたってのは嘘だったと認めるつもりは本当にない?」

「なっ……!」


 雪代さんに謝罪させられると思い込み、面白がるような顔をしていた大道寺絵利華が顔色を変える。


「何言ってるの!? これから雪代さん本人が謝罪することになってるのに!」


 口元を歪めて大道寺絵利華が叫ぶ。

 大道寺絵利華にとってはこの段階で嘘を認めてしまった方が絶対にいいはずなのだが、本人にその気がないのなら仕方ない。


「わかった。それなら君が嘘をついてるって証拠をみんなに見せるよ」

「は……?」


 席から立ち上がった俺は、昨日のSkypoのスクショを印刷したものをクラスメイトに配って回った。

 もちろん、大道寺絵利華本人にも。

 コピー用紙を受けとった瞬間、大道寺絵利華の目が驚愕のあまり見開かれた。


「あっ……あああっ……」


 カエルを潰したような声で喘ぐ大道寺絵利華の周りで、少し遅れてクラスメイトたちが騒ぎはじめる。


「嘘、何これ……!?」

「Skypoの履歴? えりかちって大道寺さん!?」

「はぁ!? ここに書いてあるの本当のこと!?」

「大道寺さんが雪代さんからいじめられてたって嘘だったの!?」

「あ、こ、これは違……っ」


 ガタッと机の音を立てて、大道寺絵利華が思わず立ち上がる。

 しかしクラス中から視線で糾弾される彼女に逃げ場なんてなかった。


「どういうことですか、大道寺さん。ちゃんと先生にもわかるように説明して下さい!」


 これまで大道寺絵利華側にいた担任が、散々雪代さんに浴びせてきた責めるような眼差しを大道寺絵利華に向ける。

 大道寺絵利華は動揺しまくって、大量の汗を流しながら怒鳴り返した。


「違います!! これ私じゃありません! えりかって名前が一緒だからってだけで私だって言い張るんですか!?」

「それならもう一枚配るよ」

「へっ!?」


 俺が追加でばらまいた紙には、えりかちを名乗る人物のアカウントと拡大されたアイコンが載せられている。


「daidouji_erika_0228って、本名と自分の顔写真をSNSにそのまま載せるのはまずかったんじゃないかな」

「……っ!! こ、これでもまだちゃんとした証拠には……」

「その辺の言い訳は先生にしなよ。まあ、少なくともなんの証拠もないいじめの訴えよりはよっぽど信憑性があるし、アカウントが大道寺さん本人のものかどうかは、その気になればいくらでも調べられるよ」

「……っ」

「先生。証拠もこのとおり見せましたし、雪代さんはいじめなんてしてなかったってことでいいですよね?」

「あ……」


 雪代さんが否定した時に聞く耳を持たず、林間学校の中止をチラつかせて彼女を孤立させた担任は、血の気の失せた顔で後退った。

「あ、あの先生は別に雪代さんが犯人だと決めつけていたわけじゃなくて、そ、そう! 雪代さんの疑いを晴らすために良かれと思っていたのよ……」


 静まり返った教室内の雰囲気に追い詰められ、担任がさらに半歩下がる。

 誰も担任を擁護するものはいない。


 担任はオロオロとした顔で生徒たちを見回していたが、ついに深々と頭を下げて、雪代さんに謝罪をした。


「雪代さん、それからみなさん、先生が間違っていました……。このとおりです。ごめんなさい……」


 俺がチラッと雪代さんを見ると、彼女はもういいという感じで俺に向かって首を横に振った。

 担任にとって、生徒たちからの信頼を完全に失ったという事実は、今後の学校生活に相当マイナスな影響を及ぼすだろう。


 しかも俺たちが行動を起こさなくても、このいじめ事件はあっという間に学校中に知れ渡ることとなる。

 担任は、即座に副担任の座に落とされ、そこから学校を休みがちになって、一年後辞職することになるが、自業自得だと思われ、庇う者は教師の中にすら一人も現れなかった。


 話を戻そう。


「――先生、最後に一つ確認したいんですが」

「な、なにかしら」


 怯えた目で引き攣ったような笑いを浮かべた担任に問いかける。


「林間学校は予定どおり行われますか?」

「も、もちろん! ちゃんと先生から、今回の顛末と一緒に、林間学校は問題なく行えることを学年主任や校長にお話ししておきます! じゃ、じゃあ早速報告してきますね……! 大道寺さんは一緒にいらっしゃい!!」


 担任が大道寺絵利華を連れて逃げるように教室を出て行った瞬間、教室内には安堵したような空気が流れた。蓮池も、俺と雪代さんに向かって、ホッとした顔で目配せをしてきた。


「……まさか大道寺さんがあんな人だったなんて」


 誰かがぽつりと呟くと、「驚いたね」などと言う声が周囲から上がる。


「だけど、そんなことより雪代さん、ごめん……。いじめてるところなんて見たことないのに、俺たち誰も庇わなくて」


 最初にそう謝ったのは相原だが、みんな同じように感じていたらしく、次々謝罪の言葉を口にした。


「あの、みんな気にしないで。林間学校がなくなるかもって話も出ていたくらいだし、その原因を作っちゃったのは私だったんだから」

「いや、雪代さん被害者だし、林間学校のことで冷静さをなくした俺らがどうかしてたんだよ。本当に申し訳ない」

「絶対辛かったよね……。もっとちゃんと話を聞いてあげればよかった……」

「雪代さん、ごめんね……」


 みんな完全に謝罪ループに陥っている。雪代さんはまさかこんな展開になるとは思っていなかったようで、オロオロしながら俺に助けを求めてきた。

 これは助け舟を出さないとかわいそうだ。


「みんなの気持ちは伝わったと思うし、暗い話はここまでにして林間学校が無事行われることを喜ぶのはどうかな?」

「たしかにあまりしつこく謝ると、雪代さんに気を遣わせちゃうな」


 相原は俺の言葉に賛同するようにニカッと笑ってくれた。

 ホッとしながら雪代さんを振り返ると、目があった雪代さんがパタパタと傍までやってきた。


「一ノ瀬くん、ありがとう……! 君は私のヒーローだよ」


 微かに頬を染めている雪代さんはそう言うと、俺だけに特別な笑顔を見せてくれた。

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