第18話 彼女が流した涙の分、必ず報いを受けさせる
体育祭の翌日以降、二年A組の教室内には親しみを込めた空気が宿るようになった。
それまではみんな、まだなんとなくよそよそしい部分もあって、朝の挨拶を交わすのも親しい者同士の間だけという感じだったのだけれど、今は誰かが登校してくるたび、一斉に声をかけている。
恐らく以前にはなかった仲間意識が、体育祭とそのお疲れ様会をとおして芽生えたのだろう。
ところが、クラスの平和はそう長くは続かなかった。
事件は、ある朝、真っ青な顔をした担任教師が一枚の封筒を手に現れたことに端を発する。
生徒たちはいつもどおり談笑しながらホームルームの開始を待っていたが、みんな担任である若い女教師の顔を見るなり、何らかの事件が起きたのだと察した。
教室内がシーンと静まり返る。
今読んでいる本について、雪代さんの解説を聞いていた俺も、話を中断した。
雪代さんの瞳が「どうしたのかな」と問いかけてきたので、首を傾げて返事の代わりにする。
担任はまず生徒の顔を見回してから、重いため息をついた。
「本日、このクラスのいじめを告発する手紙が学校に届きました。いじめがあったなんて先生は悲しいです。大道寺絵利華さんをいじめて、学校に来られなくした人は誰ですか?」
生徒たちの間に緊張が走る。
みんな困惑顔で、犯人の姿を探すように視線を動かしている。
でも、俺は犯人捜しの前に、被害者捜しをしなければいけなかった。
……大道寺絵利華って、どんな子だっけ。
隣の席の雪代さんや、クラスの中でも目立つ生徒のことはさすがに把握できていたけれど、今までクラスメイト達と全然絡んでこなかったから、名前を聞いただけでは顔が思い出せない。
そういえば、さっき担任が『学校に来られなくした』って言ったよな。
となると今現在空いているのが、大道寺絵利華の席か。
少し視線を動せば、廊下側前列の席に空席があるのを確認できた。
あれ? あの席はたしか……。
カラオケの廊下でクラスメイトの愚痴を言っていた太めの女子の席だったはずだ。
ということは、あの女子が大道寺絵利華か。
あの時、結構辛辣な意見を口にしていたけれど、あれはいじめに遭っていた反動なのだろうか?
一応、辻褄は合っているのに、なんとなく違和感を覚える。
文句を言っている時の大道寺絵利華は、かなりきつい態度だったから、 いじめの被害者という弱い立ち場を、想像しづらいだけかもしれないけれど……。
「――なぜ誰も名乗り出ないのですか? 少しでも罪悪感があるのなら、自ら手を挙げるべきだと先生は思いますよ」
うーん。この犯人捜しっぽい雰囲気はどうなんだろう。
こんな空気じゃ、たとえいじめたことを反省していたとしても、名乗り出ることなんて不可能だと思う。
担任は今年の新卒だという話だから、気負いが間違った方向に作用しているのかもしれない。
「はぁ……。名乗り出る人はいないようですね。いいですか、皆さん。世の中にはいじめがあった事実を隠蔽するような悪い教師もいるようですが、この学校は違います。いじめ問題が解決しなければ、林間学校が中止になる可能性だってありますよ」
それまで黙って教師の話を聞いていた生徒たちが、「そんな……」「どうして」と、呟き声を零す。
林間学校はみんなが楽しみにしている一大行事だ。
その予定が潰れるなんてありえないという想いが、教室中から伝わってきた。
◇◇◇
――結局、あのあとも犯人が名乗り出ることはなく、翌日から教室内はお葬式のような空気になってしまった。
追い打ちをかけるような動きがあったのは、それから五日後のことだ。
「今日また、学校に手紙が届きました。手紙にはいじめをしていた生徒の名前が書いてあります。でも先生は、自ら進んで罪を告白して欲しいと思っています」
前回と同じように担任が教室内を見回す。
しかし、結果は同じ。五分間、嫌な沈黙の時間が続いた挙句、担任は暗い顔で首を横に振った。
「わかりました。こんな結末は一番避けたかったのですが仕方ありません。――雪代史さん、先生と一緒に来なさい」
「……えっ」
「えっ!?」
雪代さんと俺の声が重なり合う。
「今日届いた告発書には、雪代さん、あなたの名前が書かれていました。いったいどういうことなのか、生徒指導室で説明してもらいますよ」
「そ、そんな……私、いじめなんてしていません……」
「詳しい話は学年主任の先生と一緒に聞かせてもらいます」
「……っ」
担任は、戸惑っている雪代さんの背中に手を添え、席を立たせた。
雪代さんが泣きそうな顔で俺を振り返る。
その目を見ればわかる。
彼女はいじめなんてしていない。
「ちょっと待ってください。何かの間違いじゃ――」
たまらずに声を上げると、最後まで話す前に担任に遮られた。
「話は雪代さん本人から聞きます」
「……っ」
いじめを告発する手紙に彼女の名前が書かれていたとしても、明らかに濡れ衣だ。
でもいったい、なぜこんなことになったのか。
担任のせいで言葉も交わせないまま、雪代さんは生徒指導室に連れていかれてしまった。
◇◇◇
――結局、雪代さんは二限の途中まで戻って来ず、休み時間の間は彼女の噂話でもちきりとなった。
「ねえ、雪代さんと大道寺さんって仲良かった?」
「一緒にいるのみたことないよね」
「雪代さんっていつもマイペースに本を読んでたし、大道寺さんはなんていうかそのぉ、オタク系の子たちとアニメの話ばっかりしてたでしょ? 絡みなさそうだけどなー」
「でも学校に届いた手紙には、雪代さんが苛めてたって書いてあったんだよね?」
そんな会話が聞こえてくる。
「――なあ、一ノ瀬。おまえ、どう思う?」
蓮池に問いかけられ、俺はため息を吐いた。
「色々変だよね。学校でいじめがあった場合、担任が把握してなかったとしても、クラスメイトは気づくものだよ」
露骨ないじめ方を人前でしなかったとしても、そういうのはちょっとした空気で伝わってくる。
「たしかに今回はみんな寝耳に水って感じだもんな」
俺の言葉に蓮池が頷く。
「それに俺は、雪代さんがいじめをするような子だとは思えない。蓮池だってそうだろう?」
「ああ。もちろん」
「――となると、学校に届いた手紙が疑わしくなってくるね」
目を見開いた蓮池が、まじまじと俺を見返してくる。
「手紙を出した人間が嘘をついてるっていうのか? でも、いったいなんのために……」
「それは……」
俺が口を開こうとしたとき、教室内が突然静かになった。
みんな一様に入口の方を見ている。
俺も視線を向けると、そこには目を赤くさせた雪代さんの姿があった。
雪代さんは気まずげに俯いて、自分の席まで戻ってきた。
居心地が悪そうに縮こまっている姿は見ていられない。
何か声をかけたい。
そう思ったのに、タイミング悪く始業のチャイムが鳴ってしまった。
クラスメイト達も雪代さんのことを気にしつつ、それぞれの席に戻っていく。
ただ、次の授業の担当教師はまだ教室に現れていないので、みんな席が近い連中とひそひそ声で噂話をし続けた。
雪代さんは机の上で両手を握り締めていたけれど、不意にペンを持ってノートの切れ端に何かを書きはじめた。
その紙が俺の机の上にすっと差し出される。
『私は大道寺さんをいじめたりしていません。一ノ瀬くん、信じて』
白い紙に小さな女の子らしい文字でそう記されていた。
「安心して。疑ってないよ」
雪代さんにだけ聞こえる声でそう伝えた途端、彼女の大きな瞳に透明な涙が溢れた。
「……っ」
その涙を見た瞬間思った。
この事件の真相を、俺が必ず解き明かしてみせると――。
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