第14話 『体育祭の英雄』と『調子に乗りすぎた敗北者』
風の流れが、向かい風から追い風に変わる。
柔らかいグラウンドの土をトンッと軽く蹴って、前へ前へと進む。
一歩踏み出すたび、桐ケ谷の背中が大きくなる。
桐ケ谷の背中にぴたりとくっついたとき、独走状態で余裕だと思っていたらしいヤツの体が目に見えて強張った。
ゴールまで残りわずか。
最後の直線レーンに入ったとき、俺と桐ケ谷は横並びになっていた。
さすが陸上部のエースだ。
桁違いに速い。
だけど、どうやら俺はそれ以上に速かったようだ。
「うっ……くうっ……! あ、ありえないっ……! この俺があんな素人に負けるなんてッッ……!!」
桐ケ谷の負け惜しみを後ろに聞きながら、ゴールテープを切る。
息を呑んで見守っていた生徒たちが、一瞬後、わああっと大歓声を上げた。
応援席にいたクラスメイト達が、一斉に駆け出してくる。
「うおおおっ!! 一ノ瀬ーッ!!」
「一瀬くん、最高だよおお!! すごすぎっ!!」
俺はあっという間に取り囲まれ、気づけば胴上げされていた。
「ちょ、みんな、落ち着いて……わぁあ!?」
宙を舞いながらそう伝えてみるが、興奮しているクラスメイト達に俺の声は届かない。
まいったな。
飛びながら視線を動かすと、涙をためて感動している雪代さんと、その隣で号泣している蓮池の姿が見えた。
……まあ、あのふたりが喜んでくれたならいいか。
「一ノ瀬、おまえ、まじですごいよ……!」
「めちゃくちゃ速かったし!!」
「ねっ! 一ノ瀬くんがアンカーを引き受けてくれたおかげで一位になれちゃったし!」
「かっこよかったよなあ!」
「二組のアンカーって桐ケ谷くんでしょ。陸上部のエースなのに、抜かれちゃったのウケる」
「あいつ顔だけで性格クソだからざまあみろって感じ」
桐ケ谷がもてるのは事実だけれど、どうやら彼の本質を見抜いている一部の女子からは不人気だったようだ。
やっとのことで解放してもらい、地面に降り立つと、茫然と立ち尽くしている桐ケ谷の姿が視界に入ってきた。
二組はうちのクラスと真逆でお葬式状態だし、クラスメイトのもとへ帰るのも気が引けるのかもしれない。
ちょうどその時、桐ケ谷は二組の生徒たちの視線から逃げるように、一年生の応援席に視線を向けた。
なんとなくつられて俺もそっちを見ると、眉間に皺を寄せて唇を噛みしめている花火と目が合った。
自分の彼氏が俺に負かされたのが、悔しくて仕方ないのだろうか。
花火への嫌がらせだと勘違いされていたら迷惑だな……。
蓮池のために桐ケ谷に勝ちたいとは思っていたけど、花火の存在なんてこっちはまったく意識していなかった俺は、やれやれとため息を吐いた。
◇◇◇
体育祭が無事終わると、俺はクラスメイトたちが開くお疲れ様会に誘われた。
集合場所は駅前のカラオケボックスだ。
クラスの集まりになんて誘われたことも参加したこともないから、どうしようか迷ったけれど、雪代さんから「一緒に行きたいな」と言われてしまったし、クラスメイト達も「主役がこなくてどうするんだよ!」と騒ぐので、思い切って顔を出すことにした。
さらになんとなくの流れで、カラオケ店までは雪代さんとふたりで向かう感じになった。
思えば女の子とふたりで行動するのも、花火以外では初めてだ。
「一ノ瀬くん、更衣室で着替えたら、教室に行けばいい?」
「うん。昇降口でもいいけど、あ、でもどうせ鞄を回収しないといけないか。じゃあ教室にしよう」
体育祭で使った椅子を部室の並びにある用具入れに運び終え、その脇でこの後の段取りを雪代さんと相談していると、グラウンドに続く通路のほうからよく知った声が聞こえてきた。
「――こんなところに呼び出してなんなんですか?」
「いやあ、今日のリレーのこと謝りたくて。ごめん、はーたん……! ちょっと今日、本調子じゃなかったみたいでさ」
花火と桐ケ谷がこちらに向かって歩いてくる。
二人の間に流れているのは、どことなく不穏な雰囲気だ。
できれば花火と遭遇したくない。
しかもタイミングが悪いことに、他のクラスメイト達はすでに撤収した後で、ここには雪代さんと俺しかいない。
そのせいで、人だかりに紛れてやり過ごすという手段は取れなかった。
「雪代さん、こっち……!」
俺は咄嗟に雪代さんの手を掴んで、木陰にしゃがみこんだ。
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