第13話 あいつを仕留める

 体育祭当日は天候にも恵まれ、晴天のもと、体育祭は大いに盛り上がった。


 俺と蓮池と雪代さんは自然に三人でかたまり、一緒に観戦を楽しむこととなった。

 ムカデ競争、綱引き、ソーラン節、玉投げ、借り物競争、応援合戦、などなど。

 見ごたえのある種目が続いていく。

 雪代さんは玉投げに、蓮池は綱引きに、俺は大縄跳びにそれぞれ参加した。


 ――そして、いよいよクラス対抗リレーの時間がやってきた。


「一ノ瀬くん、蓮池くん、がんばろうね!」


 雪代さんの言葉に、蓮池とふたり頷き返す。


「俺はトップバッターとして全力で走ってくる。あとは任せた」


 今度は蓮池の言葉に、俺と雪代さんと頷く。


「第一走者はレーンに並んでください」


 案内役の生徒会員に言われて、緊張した面持ちの蓮池が去っていく。

 俺と雪代さんは並んだまま、蓮池を見守った。

 スピーカーから流れる音楽が、リレーの定番曲『天国と地獄』に代わる。


「位置について、よーい!」


 パンッ――。


 高らかなピストルの音が白煙をあげて鳴り響く。

 四組の生徒が一斉にスタートを切る。


「蓮池くん、がんばれー!」


 待機列にいる雪代さんやクラスメイト達が、一生懸命声を出して声援を送る。

 それに応えるように、蓮池が頭一つ分飛び出た。

 そのままトップでバトンが引き渡される。

 クラスメイトは全部で三十一人。参加するのは、A組からE組までの五組だ。

 抜いたり抜かれたりを繰り返しつつ、リレーが進んでいく。


「どうしよ……。そろそろ私だ……」


 自分の順番が近づいたせいで緊張してきたのだろう。

 雪代さんの頬がいつも以上に白くなっている。


「落ち着いて。練習したとおり走れば大丈夫だよ」

「ありがとう。……ね、一ノ瀬くん、一瞬だけ手、貸してくれる?」

「手?」


 よくわからないまま、雪代さんに求められて腕を伸ばすと、彼女は両手で俺の右手を包むように握ってきた。


「……!」

「うん。これで勇気もらえた。ありがと……!」

「う、うん」


 さっきまで青白かった雪代さんの顔に、ピンク色の熱が差す。

 俺はちょっとドキドキしながら、雪代さんを見送った。


 レーンに立った雪代さんは強張った面持ちで心臓の辺りに手を当てると、深く息を吐き出した。

 雪代さんの緊張が伝わってきて、俺まで胸が苦しくなる。

 このあと控えている自分の順番より、雪代さんのことが心配で頭がいっぱいだ。


 そのとき、A組の走者が最終レーンに入ってきた。

 雪代さんが右手を後ろに伸ばして構える。

 ついに、雪代さんの手にバトンが手渡され、彼女は勢いよく走り出した。


 見学席から声援が上がる。

 俺は祈るような気持ちで拳を握り締めた。


「雪代さん、頑張れ!!」


 気づけば応援するクラスメイトに混ざって、俺も声を上げていた。

 こんな大声を出したのは、自分史上初めてのことだ。


 雪代さんは、やわらかい髪を揺らしながら駆けていく。

 一生懸命な彼女の姿が眩しくて、俺は思わず目を細めた。


 転んだり、バトンを落としたり、抜かれたりすることもなく、雪代さんは自分の役目を立派にやり遂げた。


 走り終えた雪代さんは、一目散に俺のもとへと駆け寄ってきた。


「雪代さん、おつかれさま!」

「ありがと……! はぁ……っ……ごめんね、息がまだ……整わなくて……っ」


 膝に手を当て荒い呼吸を繰り返しながら、雪代さんが上目遣いで俺を見上げてくる。


「ふぅ……。……あのね、不思議なんだけどね、一ノ瀬くんが頑張れって言ってくれた声、ちゃんと聞こえてきたの」

「えっ」


 確かに声は張ったけれど、飛びぬけて大きかったわけじゃない。

 それに、周りの声援のすごさを考えると、走っている最中に俺の声だけ聞き分けるなんて、ほぼ不可能だ。


「距離だって結構あったよ……?」

「うん、だから不思議だよね。なんだか奇跡が起きたみたい。一ノ瀬くんが走るとき、私も精一杯応援するね!」


 まだ頬を上気させたまま、雪代さんがにっこりと笑う。

 俺は雪代さんにお礼を告げて、気合を入れ直した。


 蓮池からはじまり、クラスメイト達の手を渡り、雪代さんが引き継いでくれたバトン。アンカーである俺の責任は重大だ。

 みんなのためにも、いい結果を残したい。


 今のところ、二組がかなりのリードをつけて独走している。

 うちのクラスは二位と僅差で三位だ。


 そしてついに、アンカーの順番がやってきた。


 レーンには走ってくる順番で並ぶことになる。

 桐ケ谷、C組の男子、俺、D組の男子、B組の男子という順で立つと、俺以外の奴らは体の筋を伸ばしたり、手首を回したりしはじめた。

 俺だけ棒立ちでいると、C組の男子越しに桐ケ谷が話しかけてきた。


「なあ、なんで一組は素人なの?」


 言われてみれば、C、D、B組のアンカーは、運動部で活躍している生徒だった。


「A組にだって陸上部員がいるだろ。まあ、あいつは彼女にフラれてからタイムがグズグズだけどな。ははっ」

「……」


 桐ケ谷が言っているのは明らかに蓮池のことだ。


「それに、あいつは何やっても俺に勝てないもんな。陸上でも、恋愛でも――」

「桐ケ谷、バトンくるよ」

「えっ、お、おう。んじゃお先」


 桐ケ谷は前髪をサラッと掻き上げて、余裕の表情で笑うと、バトンを受け取る体勢に入った。


 一位と二位は、さらに差がついている。


 自分のクラスの待機列に視線を向けると、並んで立った蓮池と雪代さんが心配そうな顔で走者の姿を追っていた。


 その直後、二組の女子が駆け込んできた。

 パシッと音を立てて、バトンが桐ケ谷の手に渡される。


 体育祭の花形リレーのアンカーということもあり、会場中がにわかに活気づく。

 応援団の太鼓の音、女の子たちの高い声、男子たちの野太い声援。

 それらが渾然一体となって、五月の青空に響き渡った。


 後続の走者たちは、最後のレーンを曲がり終え、ようやく直線コースに入ったところだ。

 D組の生徒に続いて、俺もバトンを受け取る準備をはじめた。


 桐ケ谷はハイになっていたようだったけれど、俺のほうは自分でも驚くほど冷静だった。

 ここまできたらあとはもう蓮池の教えてくれたとおり走るだけだ。


 D組のバトンが渡された。

 それから数秒。

 俺の手にも、クラスメイト達が引き継いできたバトンが確かな感触とともに託された。


 よし、行こう。

 風を切って走り出す。


 声援が遠ざかり、自分の呼吸音だけを近くに感じる。

 少し前を走るD組の生徒がなぜか止まって見え、あっさり追い抜けてしまった。


 これで二位。

 でも、重要なのは順位じゃない。

 視線の先に桐ケ谷の背中が映った。

 ――あいつを仕留める。

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