第12話 体育祭前日

 早朝と放課後、それから休日を使って練習に明け暮れているうちに日々は過ぎていき――、いよいよ明日は体育祭当日。


 放課後のグラウンドで最後の練習を終えた俺たちは、二週間の努力を讃えるように笑顔を交わし合った。


「二人ともお疲れ!」

「うー……やりきったぁ……」


 蓮池の声を聴いた途端、雪代さんがグラウンドの土の上にごろんと寝転がった。

 あまり人目を気にしていないらしい雪代さんは、ただ大人しい文学少女というわけではなく、時々こんなふうに奔放な姿を見せる。


 俺は彼女の自由な振る舞いに憧れに近い感情を抱きながら、隣に腰を下ろした。

 さらにその横に蓮池も座る。

 俺たちは三人並んで夕日を眺めながら、練習で疲れた足を癒した。


「いよいよ、明日は本番だねえ」


 雪代さんが空を見上げたまま、誰に言うでもなく呟く。

 その言葉を蓮池が拾った。


「ふたりともすごくタイムが伸びたから、きっといい結果を出せるよ。俺が保証する! リレーは一対一の勝負じゃないってところはあるけど、桐ケ谷は恋愛にうつつを抜かして部活の練習もサボってるし、今の一ノ瀬と桐ケ谷が普通に競ったら、一ノ瀬が勝つと思う。もともとの才能に合わせて、二週間分の努力の成果もあるしな」

「ありがとう、蓮池。そう言ってもらえてうれしいよ。もっと時間があれば、納得がいくまで練習できたんだろうけど」

「一ノ瀬、おまえ……。この二週間の間だってかなり頑張ってくれたのに、そんなふうに思ってくれるなんて……。ううっ……どんだけいい奴なんだ……!」


 涙もろいところのある蓮池が男泣きをする。俺は苦笑しながら落ち着くように伝えた。


「はあっ……。一ノ瀬の男気には惚れてしまうな……。――一ノ瀬、雪代、俺のわがままに付き合ってくれて本当にありがとう。実を言うと、振られてから毎晩、元カノや桐ケ谷のことばっかり考えてしまって全然眠れなかったんだ。でも、この練習が始まってからは、どうやったら二人のタイムを良くできるかってことに意識が持っていかれて、ちゃんと睡眠も取れるようになった。二人には感謝してもしきれない」

「私はそんな……! 一ノ瀬くんのおかげで、蓮池くんから走り方を教えてもらえるようになっただけだし。それで前より足も早くなったし。だから私こそ、二人に感謝だよ」

「俺もこんなふうにクラスメイトと過ごせて楽しかったから。ありがとう」


 三人でお礼を言い合っているうち、だんだんこそばゆくなってきて、気づけばみんな笑っていた。


「……ほんと、おまえらと過ごせて気が楽になったよ。もちろん桐ケ谷に対する憎しみが消えたわけじゃないけど」

「そ、そういえば桐ケ谷くん、昨日すれ違ったら、髪型全然変わっててびっくりした」


 雪代さんは話が重くならないようにと思ったのか、さりげない感じで話題の舵を切った。

 言われてみれば、以前の桐ケ谷は運動部のくせに、まるでホストのように長めの髪をワックスでセットしていた。

 駅のホームで目撃するようになった時には、すでに今の普通っぽい髪型になっていたが。


「爽やかな感じっていうか……、今の一ノ瀬くんと似てる気がしたなあ」

「俺と?」

「あっ、髪型だけだよ!? 雰囲気は全然違うから……!」

「う、うん」


 慌てて弁解するから笑ってしまった。

 俺とあのモテ男の雰囲気が似てるなんて、さすがにそんなこと思ったりしないよ。


「あれは一年の女子と付き合いはじめて切ったんだ」


 憎んでいる相手のことだからか、蓮池は桐ケ谷について異様に詳しい。


「俺の元カノは桐ケ谷の髪型も好きだって別れ際に言ってたから、もしかしたら当てつけで切ったのかもしれない。クソッ……あの野郎……。もしそうだとしたら、ますます許せねえ……」

「蓮池……」

「……俺のことバカだって思うだろ」

「え?」

「二股かけられた挙句、乗り換えられたのにまだ未練があるなんて。笑いたきゃ笑ってくれ」

「なんで? 笑ったりしないよ。蓮池はただ一途なだけだろう。真面目に恋したやつを笑う権利なんて誰にもない」

「……っ。一ノ瀬……おまえ、本当にいいやつだな……!!」


 鼻を啜る音がしてハッと顔を上げると、蓮池が腕で涙を拭っていた。

 どうやら蓮池は、見かけによらず涙もろいらしい。

 でも今回のは、「いちゃつくなよ」と言っていた時とは明らかに種類の違う涙だった。


 俺が雪代さんのほうをそっと見ると、彼女は心配そうな顔をしたまま小さく頷き返してきた。

 言葉はなくても、見守ってあげようという気持ちが伝わってきたから、俺も頷き返す。

 それから雪代さんと俺は蓮池が落ち着くまで黙って傍にいた。


 この日以来、俺たち三人は友人になれた。

 俺にとっては生まれて初めてできた友だちだ。


◇◇◇


 その日の帰り道、蓮池と別れて二人きりになると、雪代さんはしみじみとした口調で言った。


「今日改めて感じたんだけど、一ノ瀬くんて本当に思いやり深い人だよね」

「ええっ!? 突然どうしたの?」

「蓮池くんが泣いちゃった時、実は私も感動してうるっときたの」


 俺は驚いて、瞬きを繰り返した。


「私のコーチ役を頼んでくれたこともそうだし、蓮池くんのためにこの二週間本気で努力していたでしょう? 一ノ瀬くんのそういうところ本当に素敵だなあって思ったよ」


 歩みを止めた雪代さんが、両手を胸の前でぎゅっと握りしめながら力説してくる。

 俺が圧倒されていると、ハッと我に返った雪代さんは耳まで真っ赤になってしまった。


「ごめんね……! 私ったら勢いあまっちゃって……!」

「あ、いや、びっくりしたけど大丈夫」

「……なんかね、一ノ瀬くんのことを知るたび、この人やっぱり素敵だなあって思えることがうれしかったの……」


 雪代さんは、まるで大事な想いを抱きしめるかのように自分の胸に両手を当てた。

 俺はあっけにとられて、ぽかんと口を開けてしまった。

 誰かからこんな言葉をもらったのは初めてだ。


「……めちゃくちゃ恥ずかしい」


 思わず本音をこぼすと、雪代さんはふふっとかわいらしく笑った。


「私もだよぉ。でもどうしても伝えたくなっちゃったの」

「そ、そっか……」


 二人の間に沈黙が流れる。嫌な感じではないけれど、少しそわそわする。


「えっと……一ノ瀬くん、明日がんばろうね……!」

「あ、うん! がんばろう……!」


 雪代さんが赤い顔のまま笑いかけてくるから、俺もなんとか笑顔を返す。

 心臓の奥のほうでは、くすぐったいような苦しいような感覚がして、やたらとドキドキした。

 その感覚は、雪代さんと別れたあとも、彼女の顔や言葉を思い出すたびに蘇えってきた。

 こんなの初めての経験だ。


◇◇◇


 ――そして、一夜明け。

 ついに体育祭当日がやってきた。

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